第398話 月の魔力

結果としてフェルは元気だし、友人のような存在の十六夜をそう簡単に殺せる訳もなく、僕はぼうっと彼女の瞳を見つめていた。潤んでいて、震えていて、どことなく愛らしく、切りつけてしまいたくなる。


「ヘルさん……っ」


僕にも兄と同じ衝動がある。涙を溢れさせて、それでも希望を失っていない媚びた笑顔を見れば、その衝動は昂ってしまう。


「…………そんな顔しないでよ、虐めたくなっちゃう」


「……っ、ごめんなさいっ! ごめんなさい……だって、私……」


「分かってる、仕事だもんね、仕方ないよ。殺したりなんてしないから安心して」


いくらフェルが無事だといっても、せっかく出来た弟の姿を壊されて怒りがない訳もなく、だからといって殺す気もなく、僕は悩んだ末に相応の罰を思いつく。

フェルを撃ったのは銃、銃を撃つのは手。ならば罪はその手にある。


「……約束してね。二度と僕の家族を傷つけないって」


「します! 約束します!」


「ありがとう。でもね、僕……人を信用出来ないんだ。念のために銃を持てないようにしておくね」


兄に貰ったナイフを地面に縫い付けられた十六夜の手に突き刺す。耳元で響く絶叫に眉を顰めながら、手の神経が全て切れるようにナイフを回した。


『ヘル! 頭下げて!』


フェルの声に従い、地面に這いつくばる。頭上を光り輝く剣が通り抜けていった。


「オファニエル!? どうして、力を封じられたんじゃ……」


オファニエルは肩で息をしている。確かに弱ってはいるのに、何故か剣と鎧は輝いたままだ。兄の魔法に腕を撃ち抜かれ、オファニエルは標的を兄に変える。


『……月の天使とか言ってたね。なるほど、君は神に与えられる力とは別に、月の魔力を扱うわけだ』


『月……!? よし、ヘル! こっちに来て!』


兄とオファニエルの足元をすり抜け、フェルの隣に立つ。地面はまだ黒く粘着質な液体で濡れていた。


『僕の後ろに隠れててね、お兄ちゃん…………月に吼ゆるは我等が神、月に愛され月夜に堕ちよ。月は満ちた! 我等が満願成就の時!』


フェルが持った杖が光り輝き、反対にオファニエルの剣と鎧が光を失っていく。


『……月の魔力をこっちに移してる。逃がすとこがないからちょっとまずいけど…………にいさまならその前に決着を付けてくれるよ』


「…………そうだね」


オファニエルの鎧と剣が錆びた鉄のような色になり、十六夜の前に倒れ込む。兄はそんな彼女の頭を踏みつけて、彼女の剣で近くに蹲っていた住民を殴りつけた。


『やっぱり、魔力がなかったらただの石か。ね、天使様、気分はどう?』


パァン! という破裂音が何度も響いて、兄の足の周りに防護結界が展開される。


『ウサギ……しまった、忘れてた!』


フェルは杖を振り、先程と同じ詠唱を始める。

オファニエルはぐったりとしたまま、それでも上体を起こし銃を構えた。銃はフェルの杖よりも強い光を宿している。


「フェル! あっちも!」


『──成就の時! って、あれは無理だよ! 降ってくる力の方向は変えられても、既に貯められてる力は僕には吸い取れない!』


「そんなっ……ぁ、アル! カヤ! にいさまを 助 け て !」


物陰から飛び出したアルが兄を突き飛ばし、カヤが銃身を噛んで弾道を逸らす。銃弾は兄の頭の横を通り、髪を僅かに消滅させた。


『結界を抜けた…………流石月の魔力……アレは、当たってたらまずかったかも』


『……ヘルに感謝するんだな。あの妙な結界のせいで鼻が効かん、ヘルが力を使わねば私は動かなかったぞ』


兄はアルの下から這い出て、上体を起こしてはいるが満身創痍のオファニエルを睨む。銃は彼女の手を離れて地面に落ちていた。


『……へぇー、月永石が入ってるんだ。あの威力も納得かな』


『やるなら早くやれ』


『分かってるよ、可愛くないペットだね』


兄は興味深そうに観察していた銃を蹴り飛ばし、空中に魔法陣を描いた。


『お兄ちゃん……お兄ちゃん、やばい、やばいよ……』


フェルが持っている杖が異常な振動を見せ、直視できないほどに輝いていた。


『もう、貯めてられない……っ!』


「ぁ……にいさま! 早くオファニエルを……」


倒せ? 殺せ? 何を言うか迷って、兄は僕の方を向いて動きを止める。パキンという音が背後から聞こえて、杖の欠片が足元に転がってくる。


『ヘル、目を閉じて!』


言うが早いか、フェルは僕の頭を抱き締め目を塞いだ。誰のものかも分からない叫び声が幾つも聞こえて、恐ろしくなった僕はフェルの腕を掴んだ。


『まずい、やばい、やばい……あんなに魔力吸い取ったら、ほとんど無敵みたいなもんだよ……』


フェルの腕が目から首元に移動し、僕は恐る恐る目を開いた。眩い光を見たものは総じて崩れ落ち、呻いている。トール以外は。


『形勢逆転だ。消え去れ、堕天使!』


オファニエルは魔力を取り戻し、目が痛くなるほどに輝いていた。


「フェル! グロルちゃん守って!」


『ごめん見えない!』


剣がグロルを狙う。だが、ランシアが手探りでグロルを探し当て、庇った。噴き出した鮮血が剣の光を受け、てらてらと地面を彩る。


「ランシアさん……! フェル、にいさま、どっちでもいいから何とかして!」


『見えないんだって! 杖折れちゃったし、今の閃光で身体がちょっと崩れた、もう僕には期待しないで!』


僕はフェルの腕を振りほどき、事切れたランシアの下敷きになっていたグロルを引っ張り出す。オファニエルは剣を振って血を払う。僕は剣をじっと見つめて、振り下ろされる直前にグロルを突き飛ばした。


『……君の行動は理解出来ないな』


僕の右腕は肘から下が切り飛ばされていた。


『ヘル! 何があった、何も見えん! 何処に居る、今どういう状況だ!』


僕は腕の断面を押さえ、蹲る。叫び声どころか呻き声すらも上げられない。


『君を殺すという命令は現在は無い。だが、殺せるなら殺した方がいいのは変わらないし、君は十六夜を傷付けた。それに何より……たぁちゃんの想い人だ、許せないね』


オファニエルの爪先が僕の肩を蹴り、剣が太腿に突き刺される。膝を折って座り込んでいたから、大腿骨を貫通した剣は脛も割って地面にまで到達した。

オファニエルは剣を引き抜かず、手前に引いた。僕の足は真っ二つに裂かれ、その過程でようやく僕は苦痛に声を上げた。


『……トォォールッ! 何してる! 僕の弟を助けろ!』


見上げていたオファニエルの身体に槌がめり込み、吹っ飛んだ彼女は住民達の上に転がった。槌は僕の目の前に落ち、それを拾う為に歩いたトールの足はどこか覚束無い。


『エア、もう無理だ。俺の力も封印されてる。アレには勝てない』


『……は? ふざけるな、何の為に君と行動してたと思ってんの!? こういう時の為でしょ!?』


『ならこの結界を解け』


『無理、神封結界は時間でしか解けない。破壊や解除は不可能だよ、でなきゃ神性なんか封印できない』


乾留液のような粘着質な液体が地面に広がり、僕の身体に触れて収束する。液体は触手のようなものを広げて僕を絡め取り、兄の元に運んだ。


『ヘル……あぁ、ヘル。ごめんね、お兄ちゃんは月の魔力に曝されて、今は魔法が使えないんだ。すぐに戻るから、すぐに治してあげるから…………待ってね』


腕の断面を触手が呑み込む。裂けた足に大量の触手が絡みつく。


『止血はするから……死ななないで、お願い……』


手に柔らかい毛が触れる、どうやらアルが傍に来たらしい。


『ほら、ヘルの好きなの持ってきたよ? 目を開けて、返事して……お願い、ヘル……お兄ちゃんをひとりにしないで』


身体は全く動かせないが、不思議と意識は明瞭だ。目は開けられないが五感もまだ生きている。


『ヘル、頼む、私も貴方が居なければ……』


兄に抱き締められ、アルに擦り寄られ、血を失って冷えていた僕の身体が温められていく。そのせいなのか、それとも出血が多過ぎたのか、僕は異常な眠気に襲われていた。

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