第372話 代わりに傷付く為のもの

額に命中した石片は呆気なく砕け、偽物の額からは真っ赤な血が流れ出した。


『痛……い、よ。やめてよ、謝るから…………痛いことしないで、お願い、ごめんなさい』


僕は新しい石片を拾い、もう一度偽物の額を殴った。躊躇は無かった。むしろ、彼を傷付ける快感に酔っていた。

一方的に相手を痛めつけるのがこんなに楽しいなんて!

暴力で支配するのがこんなにも気持ちが昂ることだったなんて!

謝る相手を責め続けるのがこんな大きな悦びになるなんて!


『…………君は、知ってるはずだ』


「……何を? こんな楽しいことがあったってことは知らなかったけど」


僕は気分を良くして、額の傷を石片で抉りながら顔を近づける。偽物は黒いだけの醜い眼を僕に向け、僕にだけ聞こえるように呟いた。


『こんなふうに痛いことされるのが、どんなに嫌なことなのか』


「…………え?」


『謝っても、泣いても、叫んでも、ちっともやめてくれなくて。どうすればやめてくれるのか分からなくて、怖くて怖くて仕方なくて。

でもそのうち気付くんだ、僕は何も悪くなくて、ただ楽しいからやってるだけなんだって。何やったってやめてくれないんだって』


「……ぁ」


幼い頃の痛みの思い出が鮮烈に蘇る。謝れば謝るほど、泣けば泣くほど、兄は楽しそうに笑った。

声を出さずに耐えれば早く終わるかと試せば、兄は反応を求めて更に過激な方法で僕を嬲った。


『ごめんなさい』


「……違う」


だから結局、謝るしかない。


『やめてください』


「僕は……」


無駄な懇願を続けるしかない。


『痛いの……もう、嫌だ』


「……楽しいなんて思ってない!」


泣くことしか出来ない。


『……嘘吐き』


「嘘じゃない! 僕は……っ!」


『楽しかった? 僕を殴るの。楽しいよね? 楽しんでくれたなら良かった。そうじゃなきゃ殴られた意味ないもんね』


「違う違う違うっ! 僕はにいさまとは違う!」


『…………唯一の存在意義なんだ。唯一愛される方法なんだ。そうだよね?』


「違う……」


『君が何を感じたのか、何を考えたのか、全て手に取るように分かる。僕は君の複製だから』


僕は石片を手放す。立ち上がって、偽物が怖くて後ずさる。真っ赤に濡れた両手で顔を覆う。

座り込んだ僕の肩に、誰かの手が触れる。


『大丈夫だよ。その役目は僕が引き受けるから。僕がその愛され方をするから、君は甘やかされて』


「…………僕、は」


『にいさまは、ちゃーんと弟を愛してくれてるよ』


「……本当?」


僕はもう痛い思いをしなくていいの?

普通に愛してもらえるの?


『本当だよ。だから……全部僕に押し付けて』


手を下ろして、目を開けた。

見上げた空には無数の鳥が──いや、天使が飛んでいた。鳶のように旋回して、ゆっくりと降りてくる。そのほとんどはあの陶器製の天使達だった。


『ヘルシャフト様! 天使共が来ましたよ、迎え撃ち…………ヘルシャフト様? 何処に行ったんです?』


僕の前を通り過ぎ、僕を探す。そんなベルゼブブの触覚を掴んだのはサタンだった。


『……魔力だけで見るな、光を捉えろ。魔物使いはここだ』


『…………あぁ! そのローブ、断絶の術がかかってるんですか? 全然分かりませんでした!』


ベルゼブブはフードに隠れた僕の顔を覗き込み、じっくりと観察した後そう言った。アルも同じように僕の顔を覗いたが、特に反応は見られなかった。


『鬼共も此方に向かってます。さ、迎え撃ちますよ』


『……魔物使いは僕だ』


『…………はぁ? 何言ってんですかスライムが』


偽物は瓦礫の山の上によじ登り、腕を大きく広げ、叫んだ。


『ヘルシャフト・ルーラーはここだ! 魔物使いはここだ! さぁ……僕を殺してみろ!』


『……ふむ、あの魔力なら少しは誤魔化せるか。だが、此方を集団で護れば鈍い天使共も此方が本物だと気が付く。よし、人の造りし同胞よ。貴様だけは本物の護りに専念しろ』


『承知致しました』


アルは僕をすくい上げ、背中に尾で縛ると翼で包み隠した。


『そこから指示を飛ばせ。魔物使い』


僕は未だに状況が把握出来ていなかった。

天使が来て迎え撃たなければならないのは分かる。けれど、偽物が僕のフリをする理由が分からない。

押し付けて、というのはまさか本当に……全てを押し付けて構わないのだろうか。


『……ヘル、愛している』


「…………何、急に」


『私を信じてくれ』


「………………ごめんなさい」


陶器製の天使達が降り立つ。ベルゼブブは真の姿を解放し、サタンは見物を決め込んで瓦礫に背を預ける。

アルは戦いの中心地から離れ、物陰に身を潜めた。


『ヘル、力は使えるか? 使えるなら工場の時と同じようにやってくれ。私の魔力は無限だ、鬼共やベルゼブブ様に配れば戦いが格段に楽になる』


「……分かった」


『貴方は私が守る、絶対にだ。髪の毛程の傷も付けさせん』


「…………ありがと」


『……ヘル、私は貴方だけを愛している。信じてくれ』


「………………ごめんなさい」


真っ白い陶器の破片と羽根が降り注ぐ。ベルゼブブは目にも止まらぬ速さで空を舞い、天使達を片っ端から落としていった。茨木はその打ち漏らしを狙って光弾を撃つ。


『魔物使い。驟雨が来たぞ、雪を連れてな』


空に黒い影が見えた。ザフィだ。その隣には小柄な天使が飛んでいる。

ザフィが傘を開くと同時に雨が降り出す……いや、これは雨ではない。無数の氷柱だ。


『茨木、戻れ! 隔離空間構築……臨兵闘者皆陣烈在前、急急如律令!』


茨木は銃を収め、酒呑の隣に跳ぶ。ベルゼブブは少女の姿へと戻り、酒呑の隣に降りる。

酒呑が作り出した結界は氷柱を弾き、四人を護った。


「……アル? なんで行かないの?」


アルは動こうとしない。尖った氷柱が脚を穿いても、眼を傷付けても、決して動かない。


『身代わりが居ると言っても、天使がいつまでも勘違いしているとは思えん。貴方は見つかってはいけない』


「でも……」


『そのローブを着ていれば寒くも痛くも無いのだろう?』


「アルは……寒いし痛いよ? アルは、怪我してるよ」


『私の傷は直ぐに癒える、気にするな』


僕よりも偽物の方が気に入っていたくせに、どうしてそんな事が言えるの。

どうして気に入ったモノを身代わりなんて呼べるの。

どうして捨てたはずの僕を傷付いてまで守ろうとするの。

アルの考えは僕には理解出来ない。


『……おい、魔物使い! こんな大技いつまでも保たんぞ!』


僕はハッとして前髪をかき上げた。今考えるべきなのはアルの心情ではなく、戦況だ。


『アルギュロスの魔力を酒呑童子に!』

「アルギュロスの魔力を酒呑童子に!」


全く同じ声で、全く同じ抑揚で、偽物は僕と同じ言葉を叫ぶ。異なっているのは偽物の言葉には何の効力もないという事だけだ。


『全く……危なっかしい子供だ』


『私にもください、お腹が空いて倒れそうです』


先程と同じように、偽物も僕に合わせて叫ぶ。ベルゼブブに魔力を移すついでに茨木にも移すと、アルがふらっと倒れ込んだ。


「アル? アル、大丈夫?」


『…………平気だ』


「魔力……本当に無限なの?」


『ああ、無限生成だ。最大出力は決まっているし、生成速度にも限界はある。だから……一度に移されて、目眩がしただけだ』


アルはもう大丈夫だと言って立ち上がり、眼孔に突き刺さった氷柱を頭を振って抜いた。その傷もすぐに再生するが、すぐに再び傷を負う。


「…………アルギュロスの痛覚を麻痺させろ」


『……ヘル?』


「痛くない? 怪我させないようには出来ないから、せめて痛くないようにって……ごめんなさい、これくらいしか出来なくて。ごめんなさい……ごめんなさい、戦えなくて、幸せに出来なくて、足手まといで……」


『いいや、助かったよヘル。有難う』


アルの優しさが何よりも苦しい。どんな刃物よりも鋭く、僕の心を引き裂いてしまう。

僕はアルの首に腕を回し、戦場に視線を戻した。

サタンは偽物に助言をする演技をして、 僕に指示を求める。


『毒蠍もやって来たな。それと、神の腕に沈黙、恐怖。一番厄介なのは恐怖だろう。さぁ、どれに誰をぶつける?』


カマエルが剣を結界に突き立てる。ヒビが広がり、ところどころに穴が空く。その穴に氷柱が刺さり、結界は崩れ始める。

僕は出来損ないの頭を必死に回して、勝機を探した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る