第292話 即興演技
カマエルが持つ槍の切っ先は零の喉元から離れず、零には身じろぎ一つ許されない。
『悪魔に協力したというのは本当か?』
「……誰に聞いたのかなぁ」
口を開く度に、息を吸う度に、唾を飲み込む度に、刃に擦れて細かな傷がつく。
零の首についた無数の傷は氷で塞がれ、血は流れない。
『そこの修道女だ』
「…………雪華が?」
零の顔から表情が消え失せ、瞳だけが雪華を捉える。雪華は泣きながら首を振った。
「違うんです、違うんです神父様。私は、ただ……悪魔が人のふりをしていたから、それを伝えただけで、神父様を陥れようなんて、少しも……!」
必死に言い訳をする雪華の頭を優しく撫でて、カマエルは陶器製の天使達に合図を送る。殺せ、と。
構え直された槍は真っ直ぐに零に向かう──が、その槍は天使達と共に残らず破壊された。
零には傷一つなく、その隣にはまた翅と触角を現したベルゼブブが立っていた。
『私の獲物を横取りしようなんて、いい度胸じゃないですかぁ』
『……守った、ということは…………やはり』
零は悪魔と、それもベルゼブブと親交がある。カマエルはそう確信したのだろう、だがその考えは次の瞬間に打ち崩される。
ベルゼブブは零の首を絞めるように持ち上げ、腹を抉った。
『この神父はねぇ、さっき私に今の貴方達と同じことしたんですよ……前は何もしてこなかったから結構信用してたんですけどね』
「ベルゼブブ!? やめ──『ヘル、下がれ』
止めに入ろうとした僕をアルが止める。尾が胴に巻かれ、僕の前にカルコスが座る。
『少しは考えろ、下等生物』
クリューソスは僕の肩に額を当て、その金色の瞳で僕を睨む。
三体の合成魔獣に囲まれた僕には身動き一つ許されない。
「神父様!」
『……どういう事だ?』
雪華を背後に庇い、カマエルは魔法陣のようなものから二本の剣を引きずり出す。
その剣は薄紫色の液体に濡れていた。
『私に聞かれてもねー、私も騙されてたんで。ま、油断させて誘い込んでってとこでしょ。貴方が来たおかげで隙が出来ましたよ、どうもありがとうございます』
『そんな……っ! まさか』
「天使様? どうなってるんですか、説明してください、天使様ぁ!」
カマエルの顔が青くなっていく、剣を持つ手が震える。
あぁ、なるほど。零はベルゼブブに協力した振りをして、倒す機会を伺っていた──その機会を逃して、今危機に陥っているのはカマエルのせいだ、と。ベルゼブブはそんな話を作り上げたのか、疑いを晴らす為に
「はっ……はは、は、本当、最悪だよ……せっかく、零が悪魔も魔物使いも片付けられると思ったのにさぁ」
『…………ふふ、頭のいい神父は好きですよ』
演技だという予想は当たっていた。となると、僕は何を言えばいい?
僕もベルゼブブと同じく、零に騙されていたと怒ればいいのか。
「……酷いよ神父様! 僕に協力してくれるって思ったのに! ベルゼブブ、やっちゃえ!」
これでいいだろうか? アルに目配せをすると、にぃと口の端を歪めて返事をしてくれた。
しかしベルゼブブは演技にしてはやりすぎではないか、いくら零が傷口を凍らせて止血できると言っても、腹に穴を開けるなんて先程の恨みがあると言っても酷い。
『まずい……凍堂! 視界を塞げ!』
カマエルの叫びと同時に部屋に無数の氷柱が現れ、僕達の視界は塞がれる。
だがそれも一瞬で、氷柱はすぐに消え去った。
その後には零も雪華もおらず、腕を切り落とされたベルゼブブが座り込んでいた。
『……ベルゼブブは頑張りましたよ、ヘルシャフト様。褒めてください、報酬をください』
「大丈夫!? 怪我……うわ、酷い血」
『再生するにも魔力が、ちょっと、ねぇ』
「…………分かった」
僕は机の上のマグカップを壁に叩きつけて割った、その破片を手首にあてがい、一思いに掻っ切った。
「……っ、ほら、早く……」
『感謝します』
人とは違う細長く刺々しい舌で傷から流れ出る血を舐め取られる。
『今日は珍しく勘が冴えていたな、ヘル』
『ガキも少しは成長したか』
『そのまま老衰しようと下等生物は下等生物だがな』
アルが僕の頬を舐めて、きゅうんと甘えた声を出す。破片を捨ててアルの頭を撫で、その首に顔を埋める。
「あれ全部演技って……よくそんな咄嗟に」
壊れた義肢を外しながら、リンも会話に混ざる。
『神父が乗ってくれて助かりましたね、ヘルシャフト様のも良かったですよ』
「そう? ありがと。でもさ、僕さらに狙われるんじゃないの?」
『嫌ですねぇ、私を誰だと思ってるんですか? その辺の天使に負けるとでも?』
負けるとは思っていない、だが集団で襲われれば僕は守りきってもらえないだろう。
自分勝手な心配事は口には出さず、信じていると笑顔を作る。
『ですが、ここに長居するのは危険かと』
『そうですねぇ、私もしばらくゆっくりしたいですし。天使が来ない場所……一つ心当たりがありますよ』
「俺は科学の国に帰るよ、片腕じゃ不便だし、もう片方もメンテナンス必要だしね」
「すいません、僕のせいで……壊れてしまって、今度会ったら弁償しますから」
「あ、いいよいいよ。メイド服でも着てくれれば」
「…………二度と会いません、お金だけ送ります」
「手切れ金!?」
義肢を外している今なら、まさに''手切れ''と言った具合だが……なんとなくそれを指摘するのはやめた。
『科学の国、ですか。滅びてないといいですね』
『ふむ……我も戻ろう、一人では帰れんだろうしな』
カルコスが僕から離れてリンの隣へ。密着していた身体が減ると勝手に寂しさが湧き上がってくる。
「パスポート持ってきてないからね、不法滞在でしょっぴかれちゃうよ」
『俺も帰る。これ以上悪魔といたら入界許可が下げられてしまう』
クリューソスも僕から離れる。
『薄情な奴らだな』
『親の子孫を見守るのが薄情か?』
「非常食とか言ってなかったっけ君」
また喧嘩が始まりそうなアルとカルコスを引き離し、話を変える為にもベルゼブブに心当たりの場所とやらを聞く。
『ル・リエー・イミタシオン、海岸沿いから海中にかけて広がった都市です。身を隠すには絶好の場所ですよ』
「海中……って、海の中にあるの?」
『先程話した深き者共の仮の住処の一つですよ、イミタシオンにいるのは比較的大人しい者達ですし、何の心配もございません』
空を飛ぶ天使から隠れるのなら海の中は最適だろう。
別の種族の都市だというのは不安だが、ベルゼブブが心配ないと言うなら大丈夫だろう。
僕は長考せず頷いた。
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