第199話 白い炎
首を繋げた竜はゆっくりと起き上がり、腹を覗き込んで僕を探した。
肋骨の隙間から這い出て手を振ると、竜は少し高い声で鳴いた。
『あの天使は……何処に行った』
「さぁ、でも見当たらないから大丈夫だよ」
『楽天的過ぎるな、流石に肯定できん』
竜は頭をもたげ、ちぎれかけの首を回した。
一回転すると重力に任せて頭を落とし、口の端を微かに釣り上げた。
「いないみたいだよ」
『……見渡したと?』
竜の言葉は分からないが、竜が何を伝えたいかはなんとなく分かる。
アルはまだ納得がいかないようで、僕を尾で引き寄せた。
「ねぇ、何でここに来たの?」
『ハートが今なら簡単に手出し出来ないと言っていたからな』
「天使がってこと? 何で?」
『ふむ……ヘル、国に呪いをかけるのは何だ?』
「え? 悪魔?」
『ああ、その通り。この国にも当然悪魔が居る。だから天使は簡単に手出し出来ない。この理由は分かるか?』
国にかけられた呪い、それに手を出した天使は……僕が知っている限り、オファニエルだけだ。
他の天使は監視はするものの解こうとはしない。
「戦争が起こるから?」
『正解だ。天魔戦争は今まで幾度と繰り返され、その度に世界は壊滅しかけている』
「してはないんだ」
『していたら貴方も私もここには居ない』
「……そうだね」
『以前起こったのは約一万年前と言われている、地上の生物が全て滅び、そこからまた人間が住めるようになるのに何千年もかかったのだと』
「一万年……」
『神もそう何度も生物を創り直したくは無いだろうし、悪魔も人間という餌がなくなるのは避けたい。貴方一人を追って戦争を引き起こすとは思えん。ここを呪った悪魔は特に火種に成りやすいからな、天使連中は手を出すのを憚るだろう』
「じゃあ、ここにいれば安全なの?」
『だといいな』
「不安になること言わないでよ」
口先だけでも大丈夫だと言ってくれればいいのに、アルはそのあたり融通が利かない。
そろそろ僕の性格を理解して、適当なことを言って落ち着かせてくれてもいいものを。
拭いきれない不安に落ち込みながら、アルの背に腰掛けた。
その時だ。
突然竜が雄叫びを上げて、その折れた翼を広げ威嚇を始めた。
「なっ、なに? どうしたの?」
『来たのか!? 馬鹿な、そこまで執着するはずは……』
竜の体中に空いた穴から流れ出る黒い液体、アルはそれに翼を濡らされるのを嫌って竜の尾に飛び乗った。
骨が剥き出しになった尾の周りには粘着質な黒い液体はない。
『魔物使い、みつけたぁ!』
無邪気な声が響く、直後、僕達を閉じ込めるように炎の壁が出来上がる。
背の高い竜をも包むように、炎はドーム状に広がり空を覆った。
『……突破、は無理か』
悔しそうに唸りながら、アルは真っ白な炎を睨む。
直接触れてはいないのに、アルの体毛や翼は少しずつ焼かれている。
『……ヘル、熱くはないのか?』
「大丈夫、だけど」
竜にかろうじて残っていた鱗も焼け落ちていく。
そんな中、僕は何も感じていなかった。
夏場に外を出歩くような熱も感じていない、空調が整った部屋の中にいる気分だ。
『……ふっ、ヘル、貴方の兄は魔法の腕だけは素晴らしいな。あの性格でなければ良い兄だと言えたのだが』
嘲るような笑みを浮かべ、アルは僕の胴に尾を巻き付ける。
『体を丸め、袖を伸ばしてフードの端を掴め』
「こ、こう?」
『足もローブの中に収まるように……そうだ、それでいい』
胎児のように体を丸め、黒いローブに包まる。
何も見えず、アルの尾の感覚だけが確かなものだった。
だが、数秒後にその感覚すら消えた。
代わりにやってきたのは浮遊感。
僕はアルに投げられて、炎の壁を突き破って瓦礫の上に放り出された。
ドン、と背を叩かれたような軽い衝撃。
かなりの距離を飛ばされ、固く尖った瓦礫の上に落とされたというのに僕には傷一つない。
僕には自分の無事を喜ぶよりも重要なことがある、アルがまだ炎の中に残されている。
僕だけを外に放り出した、ローブを上手く使えば一緒に脱出できたかもしれない、それを試そうとも思わず、アルは僕だけを助けた。
また、僕だけが助かるのか。
大切なものを犠牲にして。
僕が放り出された数秒後、炎は消え焼け焦げた竜の影が揺らめいた。
熱を避けようと丸まった竜の体の下には、黒い液体が溜まり湖のようになっていた。
炭化した皮が剥がれ落ちて、竜はゆっくりと起き上がる。
アルは、アルは……何処。
竜の足元にも、どこにもいない。
嫌な考えが頭を支配する、否定したい思いが心を埋める。
そんな焦燥も背後からの強襲に掻き消される。
金属がぶつかり合うような音、頭の中を引っ掻かれているような不快な音に思わず耳を塞ぐ。
『……んのっ、とっとと……われろぉ!』
振り返れば、何度も何度も剣を僕に向かって振り下ろす天使がいた。
ローブから投影されているように浮かんだ魔法陣にはヒビが入っている。
おそらくは防護結界、それが今壊されかけている。
魔法陣は魔力を変質させて放出するための装置だ、紙や布に描いたものなら魔力を込めなければ効力を失う。
この魔法陣が僕の魔力を使って生成されたものでないとしたら、この魔法陣はあと何発耐えられるのだろうか。
ヒビが広がっていく、衝撃音と天使の振るう剣の大きさに萎縮し、足が動かない。
走って逃げたとしても、きっとすぐに追いつかれる。
結界に小さな穴が空いた、天使は剣先を穴に差し込み、ぐりぐりとこじ開ける。
『われろ、われろ、われ……たぁ!』
パンっ! という音ともに砕け散る結界、その欠片が地に落ちては消えていく。
ガラスを散りばめるようなその幻想的な景色に一瞬目を奪われた。
だから……いや、天使から目を離さなかったとしても、同じことだ。
どちらにせよ、僕の腹に突き刺さり、胴を二分するこの剣から逃げることなどできなかっただろう。
引き抜かれた剣は僕の血で真っ赤に染まっていた、天使は剣を地面に突き刺すと、倒れた僕の目を覗き込んだ。
『そくし、じゃないの? おかしいなぁ』
おかしい、天使のその言葉には全面的に同意する。
体が真っ二つなったというのに、僕はまだ生きている。
意識もはっきりとしているし、耳も目も正常だ。
それどころか痛みもない。
麻痺している? いいや、違う。
断面に暖かさを感じながら、異常事態の原因を理解した僕は天使が気づかないように薄く笑った。
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