第125話 完璧な不自然
僕が兄に化けた人形に鍵を求めてから一分も経っていないだろう、だと言うのに僕は、もう何時間も頭を下げている気がしていた。
『誰だ? アレ』
「さぁ……なんか似てるけど」
『ああ、確かに。ならお前と同じように兄かもな』
「まぁすぐ分かるんじゃない?」
放置を決め込むアルテミスとザフィ、その予想は当たりだと言う気にはなれない。
床しか映らなかった視界に靴が入ってくる、人形のものらしき黒い革靴が。
『ヘル、頭を上げて。その可愛い顔を見せて?』
聞いた覚えのない優しい声、恐る恐る頭を上げると、今まで見た誰よりも優しい笑顔があった。
『久しぶりだね、ヘル……国が滅ぼされて、君がどこにも見当たらなくて、魔物に食べられてしまったんだと思ってた。またこうして会えて嬉しいよ、ヘル、生きていたんだね』
そう言って僕を抱き締める、僕は思わず兄……いや、人形を突き飛ばした。
ありえない、ありえない、ありえない。
気紛れでだってこんなに優しかったことはない、違う、偽物だからなんて理由では納得出来ないほどにかけ離れている。
「だっ、誰? 作った人?」
この人形を、この部屋を、この遊戯を作った何者か。
鍵を渡した後の人形が物真似をやめたように、目の前の人形は初めから真似をしていないのではないかと考えた。
先程のノイズはコピーが上手くいかなかった証だと。
『何言ってるのヘル、お兄ちゃんが分からないの? 僕だよ、エアオーベルング・ルーラー、君の兄だ』
違う、そう叫びたいのに声が出なかった。
もう一つの仮説を思いついたからだ。
この人形は完璧なコピーではなく、触れた者の主観が入ると。
神父も国王も僕が知っている彼らとは少し違った、それらと同じように僕の主観で、優しい兄を再現したのだとしたら?
無意識のうちに記憶が歪み、優しい兄だけを思い描いていたとしたら、そうなっても不思議ではない。
「やっぱり兄だってさ、アンタ正解ね」
『……妙じゃないか? 特に仲が悪くも見えないのに、何故ヘル君はあんなに怯えているんだ?』
「さぁ……似すぎて気持ち悪いとか? アタシも思ったし」
『もう一つ、あの人形はさっき、久しぶり、国が滅ぼされて、魔物に食べられたと思って、と言った。
まるで心配していたような口ぶりだ、触れた者の主観が入るなら魔物に食べられたと思ったなんて言うか?
今までの人形は離れている間のことなんて話さなかった、過去を掘り返すだけだった』
「……何が言いたいの?」
『今はまだ様子がおかしいとしか』
背後のアルテミスとザフィの会話を聞いて、僕にもある疑問が生まれた。
今まで人形は「本物ならもう少し歳を食ってる」「ちょっと若い」なんて言われていた。
つまり人形は最後に会った、もしくは触れた者が最も印象の強い姿になると言えるだろう。
『それで? ヘル、何が欲しいんだって?』
「え? あ……えっと、え……?」
考えすぎて、怯えすぎて、言葉が出てこなくなった。
「ちょっと何まごまごやってんの、鍵でしょ鍵」
肩を叩かれて、声の出し方と言葉の紡ぎ方を思い出す。
『お友達……? たくさん出来たんだね』
僕の頭を撫でながら言う人形には、間違いようのない兄の雰囲気がある。
だがその言動は兄とは程遠く、その差が気味悪くてしょうがない。
『鍵だったね、コレかな? はい』
握手するように僕の手を取り、鍵を握らせる。
「……は? 何もしなくていいの? ちょ、ちょっとちょっと、どういうことよ!」
「に、にいさま? 何で? 僕まだ何もしてないよ」
シャルンも結果的には何もせずに鍵を手に入れたが、それとは訳が違う。
交渉も問答もなく、欲しいと言ったら渡された。
ルールすらも破綻している、明らかな異常が起こっていた。
『後払いだからね』
「どういうこと?」
嬉しそうに歪んだ瞳で僕を見つめると、また微笑んで僕の頭を撫でた。
『後で君自身を貰いに行くから』
そう言うと兄の姿が崩れ、元の白い人形へと戻る。
人形はこれまでのように倒れず、不気味な声を発した。
『この術に割り込むなんて……本当に人間か? ま、面白くなりそうだからどうでもいいか』
ぐりんと回る首、顔なんてないのに笑っている気がした。
それもとびきり邪悪な嘲笑。
しばらくするとそれも消えて、今までの人形と同じように倒れた。
ふらふらと扉に近づき、手の中の鍵で錠前を落とした。
音もなく扉が開き、暗い道が現れた。
ようやく出られると歓喜する皆とは対照的に僕の心は暗い。
僕の番にだけ起こった不具合、兄に化けた人形のの「後払い」という謎の言葉、その後の「術に割り込む」という不安を煽る言葉。
「人間か?」なんて、誰のことを言っていたのだろうか。
術に割り込んだ人間離れした人間は、誰なのだろうか。
嫌な予想が頭を支配していく。
地下から出て、メイラの家を少し見回った。
あの鳥を生成するための機械は全て壊されており、死体ももう溶けかけていた。
それは街の鳥達も同様で、ぐずぐずに溶けて腐臭を放つ鳥の死体が大量に転がっている。
そんな街の光景はまさに地獄絵図。
『……俺達は一度天界に戻る、鳥の件の収集よりも優先すべき報告ができた。
メイラ、今回は見逃してやるが、次はないぞ。これに懲りたらまともな研究に戻るんだな』
「へいへい。さっさと帰れよ寒いんだから」
ザフィは二、三言乱暴な注意をして翼を広げた。
その時に僕とアルテミスの着ていたレインコートを回収された。
その直後襲い来る寒さに震えながら、天使達に別れの挨拶を告げ手を振った。
「アタシも国に帰ろっかなー。べ、別に馬鹿にぃの顔見たくなった訳じゃないからね!」
誰に対するものでもない言い訳を吐きながら、アルテミスは僕の行く道とは真逆の道を行く。
……と、振り返って微笑んだ。
「アンタの兄さん、優しいしいい人そうじゃない。また今度紹介してよ」
優しい、いい人。
その言葉に思考が停止して、返事ができなかった。
遠ざかっていくアルテミスの後ろ姿を眺めていると、メイラに肩を叩かれる。
「お前セツナん家行くんだよな? 俺もだから一緒に行こうぜ」
「あ……はい」
「なぁ、お前さ、兄貴と何かあったわけ?」
「え? あ、いえ……何も」
「言いたくないならいいけどよ」
嘘は簡単にバレた、だがメイラはそれ以上追求せず、違う話をして僕の気を逸らしてくれた。
優しい人だと思いながら、セツナの家の前に立つ。
呼び鈴を鳴らして待ち、扉が開いて中の明かりが漏れる。
その光に安心して、僕は玄関先で倒れてしまった。
体の疲れと頭の疲れと心の疲れ、全てあったのだろう。
視界がぼやけていく中、二人の声が遠く聞こえた。
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