第123話 驟雨、のち愚兄
この部屋には今、僕を入れて三人の人間がいる。
その三人を部屋の角に集め、シャルンはその前に立った。
「先に何する気か言えよ」
メイラは不満げにシャルンを睨んでいたが、当のシャルンはお構いなしに力を使った。
『……数十秒の間、氷漬けにする。ザフィのレインコートをしっかり着ておけ。呼吸に気をつけろ』
「はぁ!? 俺そんなもん渡されてねぇって……」
メイラは一瞬で氷の中に閉じ込められる、透明で冷たい棺桶から声は聞こえない。
僕達も同様に凍らされたが、レインコートのおかげが寒くはない。
ただ身動きが取れないだけとはいえ、その苦痛はかなりのものだ。
それと呼吸だが、今のところは特に問題ない。
天使達の狙いがが分からないまま、戦闘を眺めていた。
『ザフィ、終わった。早く』
『ああ、分かって……部屋だと言ったはずなんだがな』
ザフィは氷の棺桶に僅かながらの不満を抱きながら、傘を捨て翼を広げた。
『部屋を満たせ、驟雨よ!』
傘を捨てたザフィの喉元に迫る剣、ザフィはそれを手に突き刺して止めた。
手のひらの真ん中を貫き、握られて止まった剣を離すと、人形は六本の剣を振るう。
だが、人形の動きは部屋の中に現れた黒雲を見て止まる。
『……雨雲?』
ザフィの足を貫いた剣は床に刺さり固定されている。ザフィは自分を追えないだろうと油断し、人形はザフィから少し離れて天井を見上げた。
雲は雨を降らし、雨はその激しさを次第に増し、部屋に水が溜まっていく。
『密室が仇になったな、このまま溺れろ』
滝のように降り注ぐ雨、僕からは人形の動きも天使達の姿も見えず、音や声すら聞こえない。
部屋が完全に雨水に侵された時、雨雲は消えた。
水中で人形が元の白い姿に戻るのが見え、同時に水も消えていく。
『シャルン、お前も氷を消せ』
『……難しい』
『やれ! 俺のレインコートを着ていれば凍死はしないが、窒息や餓死はするぞ!? 死なせる気か!』
シャルンは面倒臭そうに氷の棺桶に手をかざす、バキバキと音を立てながら氷は崩れ消え、僕達の体は自由な動きを取り戻した。
酸素が薄くなっている気がしてきているところだったので、地下特有の湿った空気も新鮮に思えた。
「あー! 寒かった! 死ぬかと思った、ふざけんなよバカ天使!」
『ああしないと溺れる』
『……氷で部屋を作れと言ったつもりだった、それなら息も持つだろうと思ってな。まさか氷漬けにするとは』
『酸素は入れた』
『そういう問題じゃなくてな、シャルン』
『鍵』
優しく諭すつもりだっただろうに、それを遮られたザフィは深い深いため息をついた。
鍵を拾い上げメイラに投げ渡す。
「なんで俺が鍵開け係になってんの?」
「扉の前に座ってたからでしょ」
「……別にいいけどさ」
鈍く輝く鍵、錆びた錠前が落ち、侘しい金属音が部屋に響く。
「ねぇおっさん、聞きたいんだけど」
『おっさんではない! で、何だ?』
「さっきアンタが降らせた雨ってどこ行ったの?」
『お前の弓矢みたいなものだ、神力による生成物だからな、常に実体を保つ訳ではない』
「……もう一個いい? アイツ誰なの?」
『言わなかったか? 過去の戦争で戦った男だ、俺に加護受者はいないし、人間と深く関わる仕事もしていない。家族に等しい人間をコピーしていると言っていたが、彼とは数時間戦っただけで名前も知らないのにな』
「寂しいおっさんね」
ザフィとの関係を聞きたかったのではないだろう、アルテミスが聞きたいのはおそらく"亜種人類について"だ。
人ならざる人、天使をも圧倒する戦闘技能。
それは彼女の興味を引くに値した。
気に入った答えが得られなかったから、適当に茶化して話を終えたのだろう。
なんて柄でもなく分析していると次の人形が起き上がる。
僕が触れた人形は白いまま倒れている、つまり次はアルテミスだ。
僕は最後か、最後……僕の前に現れるのは、誰だ? 彼なのか?
気味の悪い蠢きを見せて、人形は燃えるような赤いグラデーションの髪と金の瞳を持つ男に変わった。
「……馬鹿にぃ? 嘘でしょ……最悪」
人形は太陽のような笑顔を見せ、大声で叫んだ。
『アルテミス! 愛する我が妹よ、何用だ? いや何用でなくともいい、ここに居てくれるのなら!』
「あ、あぁ……うん。あ、ちょっと若い」
妹、と呼んだということは人形が化けたのは女アルテミスの兄か。
女が「にぃ」と言った気もするし、間違いない。
……直前に会った知り合いや、仲の良い友人よりも何年も会っていない血縁者が優先されるのだとしたら。
僕の前に現れるのは、もしかしたら。
嫌な妄想を振り払うため、アルテミスに話しかけた。
「アルテミスさん、彼は?」
「あー……愚兄よ。バカ兄貴」
『愚!? バカ!? 酷いじゃないか妹よ! お兄ちゃん悲しい!』
「アタシ以外の人の前なら割と大人しいんだけどね、ホント残念」
「そ、そっか……うん、あんまりそういうこと言わない方がいいかもよ? ほら、住民の気分を害するな、なんてルールもあるしさ」
「そーね、まぁ馬鹿にぃがこのくらいで機嫌損ねるなんてありえないけど」
普段どれだけ酷いことを言っているのだろうか。
それにしても仲の良さそうな兄妹だ、アルテミスは鬱陶しがってはいるが、本心から嫌っている訳ではないとその緩んだ表情から伝わってくる。
兄……人形の方も、会えただけではしゃぐほどに愛情深い。
「…………いいな」
「え? 何か言った?」
「あ、ううん、なんでもない」
仲の良い兄妹、その光景に思わず羨望の声が漏れた。
アルテミスは僕の言葉を正確には聞き取れなかったようで、不思議そうに首を傾げてから人形に向き直った。
「それで? 馬鹿にぃ。何すれば鍵くれるの?」
『存在するだけで! と言いたいところだがそうもいかない。ルールはルールだからな、頼みの数に上限はないが下限はある。
そうだな……昔のように「お兄ちゃん大好きー! お兄ちゃんと結婚するー!」とか言ってくれれば鍵をやろう』
人形は裏声を巧みに使い、自らの願望を伝えた。
本当に仲が良いな、羨まし……あそこまで行くと嫌かな?
「はぁ!? 昔って……いつの話してんのよこの馬鹿!」
『たかだか十数年だ、歴史的に言えば誤差みたいなものだぞ』
「歴史的に言えば誤差でもアタシからすれば的外れもいいとこなのよ!」
顔を真っ赤にして嫌がるアルテミスを、天使達が冷めた目で見つめている。
メイラは扉の前で座り込み、鍵を今か今かと待っていた。
僕? 僕はそりゃ、羨ましい妬ましいってそれこそ的外れな恨みを込めて睨んでたよ。
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