第114話 銀弓の神具

セツナが賢者の石の制作に取り掛かってからもう三日目。

僕は夕飯の買い出しに出かけていた。

走り書きのメモは解読不能、僕の中の何かが試されている。


「ねぇ、ちょっといい?」


果物屋で見知らぬ女に声をかけられる。

金色のグラデーションの髪が特徴的だ。


「アンタ、ヘルメスの知り合い?」


「ヘルメス……って?」


聞き覚えはあるが今ひとつ思い出せない、女は苛立った様子で深く息を吐く。


「弓、持ってるよね。返してもらえる?」


「弓? 弓ってもしかして、銀色の……光るやつですか?」


「分かってるなら早く返して」


温泉の国で渡されたあの銀の弓、そういえばあの青年の名はヘルメスだったな。

あだ名の印象が強く、すぐには思い出せなかった。


「ヘルさんのお姉さん……ですか?」


「姉? 違うしアンタには関係ない、早く返して」


返せ、と言われても。

あの弓は僕の手元にはない、ルシフェルとの戦いで紛失した。

弓だけではない、黒い本も何もかも、光に紛れて見失った。

それらを探しもせずに獣達の石だけを回収して、新しくカバンを買うこともなくこの国まで来た。


「すみません、その……持ってないです」


「はぁ? じゃあ何? 今の所有者はアンタじゃないの?」


金の瞳が僕を睨んだ。

美しい輝きは余計に女の感情を増幅させて伝える、僕は萎縮してしまって黙り込んだ。


「……なんだ。じゃあアンタを探さなくてよかったんじゃん」


面倒臭そうにため息をつき、女は水をすくうように両の手を胸の前に。

大気からこぼれたような銀の光が集まり、光は次第に長く細く、弓の形をとった。


「アルテミスの弓よ、我の元へ戻れ!」


女の声を合図に光は完全な弓へと変わる。

何度か弦を引き、女は向き直った。


「ろくに使えもしない上に失くすとか、ありえない。この弓がなんだか知ってる? 十二神具の一つよ?」


「え、ご、ごめんなさい……?」


「はぁ……ありえない、マジありえない。何でこんなのに渡したんだか。ってかあのバカ神具盗むとか最っ低」


少々汚い言葉遣いで文句を垂れる、僕は居心地の悪さから早く買い物をすまそうと急いだ。

セツナに頼まれたのはリンゴだ。それと『黒』が桃を欲しがっていたな。

僕も何か、なんてのんびり考えていた。

その時だ。



真昼間だというのに急に辺りが暗くなる、太陽が何かに隠されたらしい。

分厚い雲? 違う、今日は快晴だ。

航空機? それにしては影が大きすぎるし、何よりエンジンやプロペラの音がない。

聞こえるのは羽音だ。



店を飛び出した僕の目に飛び込んできたのは巨大な鳥だった。

鳥──いや、鳥なのか? 羽根がない、まるで蝙蝠のような皮膜。

それに体を覆うあれは鱗だ。

顔は馬に……似ているような。

ぎょろんと下を向いた目は僕を捉えた。

あれが鳥かどうかなんて分からない、唯一分かるのは危険だということだけだ。


奇声を上げ、急降下する鳥。

咄嗟に横に飛び回避するも、羽の端が僕を吹き飛ばす。

頭を果物屋に突っ込んだ鳥は果物の汁で汚れた顔を不機嫌に振り、僕を睨む。


「とっ、 止 ま れ ! 」


何なのかは分からないが、見た目からして魔物だろうと声を張り上げる。

微かな耳鳴りと一瞬の目の痛み、魔物使いとして魔物に命令を下した。


手応えは確かにあった、効いたはずだ。

なのにどうしてあの鳥は僕に向かってくるんだ。


「さっさと逃げればいいのに、アンタもバカね」


鳥の後ろから女の声が聞こえた、その直後に銀の矢が射られ、鳥は力なく頭を落とす。


「この弓はこうやって使うの、まぁアンタには無理だろうけど」


不敵な笑みを浮かべ、女は鳥を乗り越えて僕の前に立った。

そして目の前に手のひらが差し出される。


「何してんのよ、ほら」


「あ、ありがと」


ぼうっと女の手を眺めていると、腕を掴まれて無理矢理に立たされる。

だらしなく舌を出し、見開いたままの目は焦点が合わず、鳥のようなモノは動かない。


「アルテミスの弓は一撃必殺、射られたモノに安らかな死を与える。その効力を引き出すには特別な才能と努力がいるのよ。

だーかーらー、これはアンタには勿体無い代物なの」


「は、はぁ……別に、いりませんけど。この鳥、死んじゃったんですか?」


「当たり前でしょ? っていうかアンタ意外と遠慮ないのね」


馬のような頭に蝙蝠のような羽、爬虫類を思わせる鱗。

落ち着いて観察しても、この生き物の正体は分からない。

見覚えのない魔物。

いや、魔物使いの力の影響を受けない魔物がいるのか?


「あの、これ……魔物、なんですかね」


「じゃなかったらなんだって言うのよ。でも……確かに、魔力が……違うような」


女の顔に浮かべられていた自信が不安に取って代わる。

そして、頭上から曇りガラスを引っ掻くような──酷く不快な鳴き声が降り注いだ。

商店の屋根の上でその巨体は不安定に揺れた。

レンガの壁は悲鳴を上げ、ひしゃげたガラスが割れ散った。


「嘘……ちょっと、多すぎ」


反射的に矢を番えた女は、無数に飛来する鳥を見てそれきり言葉を失った。

立ち尽くす女の手を引き、僕は鳥の反対方向に走り出す。

頑丈そうな建物の路地に入り込む、間髪をいれず鳥がその馬のような頭を突っ込むが、巨体がアダとなり僕達には届かない。


「な、なんとか……助かった?」


「…………どこが? ホンットに呑気ね」


女は大口を開けた鳥の喉を射る、鳥はそれきり動きを止めた。


「あんなにいたんじゃ弓で戦うのは無理ね、絶対間に合わないわよ。アンタ何かできないわけ?」


「さっき、やろうとしたんですけど。僕の力は相手が魔物じゃないとダメで」


「どう見たって魔物なのに……それっぽい魔力を感じないのよね」


路地の外からは人々の叫び声が聞こえた、鳥は逃げ惑う人々を追うのに気を取られ、近くにいる僕達を素通りした。


「しばらくはここでやり過ごす、アンタもそうしなさい。アンタが出ていったらアタシまで見つかるかもしれない、そうなったら一生恨むから」


「分かりました……けど、街の人が」


「どうしようもないの。見なさい、さっき頭を突っ込んできた奴のせいで壁にヒビが入ってる。あと二、三匹来ればアタシ達は瓦礫の下か胃袋の中。弓で相手取るには多すぎる」


女は足元のガラスの破片に映った景色を見て、弦を引く。

銀の光が矢に変わり、神々しく輝く。


「一匹こっちに来る。騒いだらアンタを先に殺るからね」


女は本気だ。

口を塞いで何度も頷く。

こちらに向かってきている鳥は歩いているらしく、大きな足音が響いた。

少しずつ少しずつ、近づいてくる。

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