第91話 白面金毛

御簾を隔てた御前の表情はどんなものなのだろうか、やはり不敬に怒っているのだろう。

そんな僕の予想は最高の形で裏切られることとなった。


『ふふ……何を言うかと思えばそんなことか。そちとて人ではなかろう? それも私よりずっと奇妙な者ではないか』


『ま、自分でも何を名乗るか決めかねてるからね』


『……いつから気づいていた』


『最初っから、獣臭くってさぁ。籠の中に何入れてんのかなって思ってたよ』


『そうかそうか、期待通りじゃ。そちらなら信頼できると思うての』


くすくすと楽しげに笑いながら御簾の影から這い出る。

その姿は先程までとは違っていた。

金色の髪を分けて同じく金色の耳が、赤い着物の隙間から大きな尾が生えていた。

金の尾は全部で九本、その全てが美しく輝いている。


『おぉー、狐?』


『そうじゃの。そちも見せてみよ』


『僕はあんまり変わんないよ』


狐の耳と尾を現した御前は僕達の前に足を崩して座り、柔らかい笑みを見せていた。

以前までの凍てつくような印象はない。

『黒』は背に白い翼を現し、輝く光輪も見せた。

だがその天使らしい姿の真逆に額には角が生えている。


『ほう、天使、いや鬼? 不可思議な見た目をしておるの、間の子かえ?』


『そういうわけでもないんだよねぇ』


「……あ、僕は人間です」


『分かっておる。そちの魔眼に惹かれたのじゃ』


御前はその細腕で僕の髪をかきあげて右眼を曝す。

その獲物を見るような目に萎縮してしまう。


『伏せるな、可愛らしい顔をしておるのに』


「なっ……可愛いなんて」


『世辞ではないぞ? 少し化粧をすれば姫を名乗ってもよいであろ』


褒められているのだろうが、全く嬉しくない。

可愛いだの姫だのと言われて喜ぶような性格はしていない。

そもそも褒められるのは苦手なのだ、僕にはそんな価値などないのだから。


『そちは女か?』


『こんな美少女捕まえておいてよく言うね、まぁ天使っていうのもあって無性が基本かな? でも見た目は女寄り』


片目を閉じ、可愛らしくポーズを決める。

儚げなその美しさの前には性別など存在しない。


『貧しい胸をしておるからの、男に見える』


『はぁ!? 貧しい!? どこが!? 豊かの極みだろ! ねぇ! どう見たって僕の方が大きいし!』


「えっ? あ 、あぁ、そうだね?」


『着痩せするタイプなんだよ! 今脱いでやる、ちょっと待ってて』


「や、やめてよ! ダメだって!」


帯を解こうと立ち上がる『黒』を無理矢理座らせる、隣でそんな真似をされたら僕の目のやり場はどうなる。


『ふん、ド貧乳が喚きよる』


『君のが小さい! このイヌ科! 油揚げ!』


「落ち着いて! イヌ科も油揚げも悪口でも何でもないから!」


『なんじゃと……? もう一度言うてみい! 誰も彼も狐と知ると油揚げ油揚げと!』


「なんで怒るの!?」


どうでもいいことで騒ぐ二人を完全に落ち着かせた頃にはもう日は落ちきって、爛々と月が輝いていた。

二人は人の姿に戻り、縁側で僕を挟んで酒を飲んでいた。


『今宵の月は美しいの』


『僕の方が可愛いけどね』


「ああ、うん、そうだね」


『私の方が美しい、そちには大人の魅力というものがない』


『ハッ、僕の方が年上だっての。この老け顔』


前言撤回、まだ完全には落ち着いていない。

下火になっただけだ、いつ燃え上がるかも分からない。

そうなればすぐに鎮火しなければと神経を尖らせ、美しい女性達と腕を組み胸を押し付けられる幸せは全く堪能できなかった。





あの堕天使との戦いの日から毎日見る悪夢。

何度も飛び起きてはまだまだ顔を見せない太陽に方向違いの恨みをぶつける。


音を立てずに布団を這い出て、手探りで隣の布団に潜り込む。

『黒』の体温を求めて背に体を寄せる、腕を腰に回す。

静かな寝息を立てる『黒』は僕が布団に潜り込んでいることに気がついているのだろうか。

気がついていても、いなくても、きっと『黒』は何もしないのだろう。

ただただ僕が独り善がりに自分を求めているのを他人事のように眺めるのだろう。


それには拒絶されないという圧倒的な安堵と、愛されはしないという途方もない虚無感がある。


でもそれでいいんだ。

僕もどうせ『黒』に本当に愛して欲しい訳でもないのだろう。

ただ寂しいから、アルがいなくなった穴を埋めたいから。

そんな最低な理由なのだから、最低限の温度でいい。


『……また、来たの? しょうがないね、君は』


最低限でいいんだ。

心が壊れないギリギリの優しさでいいんだ。


『ほら、もっとこっちおいでよ、寒いだろ』


そんなにしなくていいんだ。

余計なことしないで。


『じゃ、おやすみ』


僕は『黒』に抱き締められて、布団の真ん中にいる。

温かい、柔らかい、心地良い。

でもそれは必要ない、僕なんかには勿体無い。


「……はなして」


『ダメ、そうしたら君また変な夢見るんだろ? 黙って抱き枕やっておきなよ。

こんな美少女と同じ布団で眠れるんだから何も考えずに、馬鹿みたいに喜びなよ』


「僕の名前呼ぶ気も、自分の名前教える気もないくせに」


『…………おやすみ』


僕に必要な最低限の温度を超えて、それでも僕が本当に欲しい温度には達しない。

中途半端な優しさが僕の心を裂いていく。


心の扉を閉じさせてはくれない、だけど中までは入ってこない。

だから僕は中途半端に開いたままの扉からの隙間風にどんどん冷やされていく。





朝、また『黒』は隣にいない。

朝食を取りに行っているのだろうが、僕はそれに心の底からは感謝できない。

眠るまで一緒に居てくれたのなら起きるまで一緒に居て欲しいから。


『あ、起きた? 朝御飯持ってきたよ』


「うん、ありがとう。ごめんね。朝弱くてさ」


心のこもっていない形だけの感謝と謝罪。

『黒』もそれには気がついていて、それでも何も言わない。


『生魚あーん』


「せめて刺身って言ってくれないかな、なんか不味そうだからさ」


うっすらと醤油のついた、冷たい刺身が口の中でとろける。

微かな甘みも感じるそれはきっと上等なものなのだろう。

だがどんなに美味しくても、どんなに高級であろうとも、僕は今、温かい物が食べたい。


『生魚の刺身あーん』


「そうじゃなくてね、刺身だけにしてくれるかな。生じゃない刺身とかないからね」


冷えきった体を温めたい。

いや、冷えきっているのは心か。


『……刺身』


「今のは僕が悪かったね、あーんは欲しい」


「もうなくなっちゃったよ」


二人分の刺身を平らげ、すっかり腹も膨れた。

空になった自分の器を片付ける、『黒』はまだ殆ど手をつけていない。


『……あ、まだ残ってた。ほら、味噌汁あーん』


「熱っ!? 汁物はそれやっちゃダメだよ!」


流し込まれた熱い味噌汁、じんわりと喉に熱を感じた。

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