第68話 臨み嘲るは魔王城


窓から差し込む日光が僕の目を覚まさせる。

顔を狙ったようなそれは僕にとっては少し不快だ。

昔の名残なのか僕はあまり太陽が好きではない、外に出ろ外に出ろと言っているようだから。



重い、この重みはアルのものだ。

幸せな重みだ。

僕は独りじゃないと実感させてくれる僕の大好きなものだ。

でも、そろそろ起こさないと。


「アル、起きて、朝だよ」


アルの体を押し上げてベッドから這い出る、裸足に触れる剥き出しのコンクリートに背筋まで冷やされた。


「うわ……寒っ」


思わず漏れた独り言。ベッドに戻り、アルとベッドの間に足を突っ込む。

そっとアルを抱き上げて暖を取る。


「もうちょっと寝ようかな。うん、そうしよう、もうちょっとすれば暖かくなるだろうし」


地下の存在を忘れたわけではない、寒さゆえの現実逃避だ。

僕はそのままアルを抱き締めて二度寝した。




ぐぃ、と襟を引かれ床に落ちる。

ベッドとの高低差はそうないが、温度差はとてつもない。

情けなくも短い悲鳴をあげてベッドに戻ろうとするも、腹に巻きついた黒蛇はそれを許さない。


『起きろヘル、何時だと思っている』


苛立ち混じりのアルの声が耳元で響く、剥き出しのコンクリートに仰向けに寝かされた僕の体は急速にその温度を失っていく。


「さ、寒い……もうちょっと寝かせてよ、あと五分でいいから」


『そう言って貴方は何時間も眠るのだろう? 五分だけ、は常套句だ』


ベッドに伸びた腕がアルの前足の下敷きになる。


「分かったよ。起きる、起きるから」


『早く着替えろ、風邪を引く』


「……コンクリートに寝かせたのは誰だよ」


『私だが何か文句でもあるのか?』


「……何でもないです」


最近、いや最初からかもしれないが、主従関係が逆転していないか?

薄い寝間着を脱いで、羊の毛のセーターを着る。

柔らかく暖かい、冬には欠かせないスグレモノだ。

まぁ今は冬ではないのだが。


「あんまり見られると着替え辛いんだけど」


『貴方は自ら運動しないからな、腹が垂れては困る。私の主人ともあろうものがだらしない体をしている訳にもいくまい』


「僕は太ってないよ、筋肉もないけど」


『そうだな、骨と皮しかないな』


「肉も脂肪もあるよ! 人よりは少ないかもしれないけど!」


そんな軽い言い争いをしつつ、部屋を出る。

少女達は既に朝食を済ませ出かけていた。

ふと、見慣れない男に視線をやる。

淡い水煙色スプレイグリーンの髪と目をした若い男だ。

黒のスウェットに身を包んだ男は、少しずつ食パンを口に運ぶ。

その一口は兎のものよりも小さいのではないかと思うほどだ。


「あ、おはよう。ヘルシャフト君にアルギュロス……さん」


『お早う。貴様、朝は調子でも悪いのか?』


「昨日がおかしかったんだよ、一ヶ月に二、三日ああいう日があるんだ。いつもはこんな感じだよ」


アルは普通に会話している……昨日? この男に会ったのか? マズい、全く思い出せない。

取り敢えず話を合わせつつ、食パンにジャムを塗りたくる。


『ヘル、塗り過ぎだ』


「普通だよ、これくらいじゃないと美味しくない」


『山が見えるぞ? おかしいだろう。なぁ凍堂』


「うーん、人の事をとやかく言うのは苦手だなぁ」


凍堂……? まさか、凍堂とうどうれい? この男が神父なのか。

全く気がつかなかった。

言われてみればこの優しい声には聞き覚えがある。

あの気味の悪い格好をしていなければこの声にはただただ安らぐ。


『ヘル、今日は何処へ行く気だ。尋ね人は何処にいる』


「分かってたら尋ね人とは言わないんじゃないかなぁ」


『そもそも見た目は分かっているのか?』


「あ、えっと……見た目とか名前は分かんないんだよね」


「探しようがないねぇ」


おっとりと笑う凍堂からは昨日のような恐怖は微塵も感じない。

この寒さが彼の力によるものだとも思えない。

冷たい、というよりも寧ろ暖かい、という印象を受ける。


『何故分からない、聞いていないのか』


「地下に居るかもとは聞いたんだけど、特徴とかは聞いてないよ」


「地下? 零の事かなぁ?」


「違うと思いますよ」


「だろうねぇ、冗談だよ」


食パンを食べ終わり、口の周りに付いたジャムを指で拭う。

指についた粒の目立つ赤いジャムを舐めとって、そっと凍堂の食パンを見た。

まだ半分以上残ったそれにはジャムも塗られていない上に焼いてもいない。


「えっと……取り敢えず街の方へ行こうよ」


『聞き込みが出来るとは思えんぞ』


「何かあったら頼ってねぇ、ちょっとした魔物くらいなら氷像に出来るからさぁ」


「あはは……そんなのが必要になるトラブルには巻き込まれないようにしますよ」


「うんうん、それがいいねぇ」


『……ヘル、ヘル、私も並の魔物なら一瞬で首を取れるぞ』


「変なところで張り合わないの」


個室に戻ってカバンを肩にかけ、アルは僕の腕に尾を絡めた。

教会の大きな扉を開き、霜柱が立った地面を踏みしめる。


「ばいば〜い、暗くなるまでには戻っておいでよぉ」


ゆったりと手を振る凍堂に手を振り返し、教会を後にする。

アルは僕を背に乗せ、翼を広げた。


「え……アル、飛ぶ気?」


『いちいち上り下りなど出来ん、面倒な上に肉球が剥がれる』


「ちょ、ちょっと待って、まだ心の準備がっ、うわぁっ!」


アルは崖に向かって走り、翼を広げて冷たい風に乗る。

僕は必死にしがみつき、目を閉じた。

アルは僕が怖がっている事に気がついたのだろう、気を逸らそうと話し始めた。


『それにしてもあの男は……気が抜けるというかなんというか、そう思わないか?』


「あ、うん。そ、そうだね?」


『ヘル、聞こえていないなら無理に返事はしなくていい』


「え、ああうん。そうかな?」


『そんなに怖いか? それとも風のせいか?』


体に巻きついた黒蛇の存在を知りながらも、僕の腕はアルの首にがっしりと固定されていた。

意識している訳でもなく、本能的な行動だった。

だがアルが何か言っている、何を話しているのかは分からないが、何か話している。

返事をしなければ。

内容が分からないのでとりあえずの相槌と……褒め言葉も入れようか。


「そ、そうなんだね。すごいよ」


『怖いんだな、大丈夫だぞ。落としたりはせん』


どれだけの間飛んでいたかは分からない、ずっと目を閉じ、耳すらも働いていなかった。

トン、と僅かな衝撃と風が和らいだ事だけが僕に地を教えた。


街の入り口、人通りは無い。

僕を──いやアルを見て家の人々はカーテンを閉じ、子供の口を押さえる。


『静かな街は好きだが……この街は嫌いだ』


「僕も。魔王のせいなんだろうね」


『魔王か、笑わせる。この程度の魔力で王を名乗るとはな』


アルは不敵な笑みを浮かべて、禍々しい雲をまとう城を睨んだ。

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