番外編 今際の独白

生まれた時から、いいや生まれる前から決まっていた。

出来損ない、落ちこぼれ、そんなありふれた言葉。

母親は産まれたばかりの俺と弟を見て言った。


『……ああ、やはり人間との子など産まなければよかった』


純血の吸血鬼である異父兄弟達は憐れんだ。


『お母様は血にこだわるから……』

『お母様の元から離した方がいい……』

『いつかお母様に殺されてしまう……』


兄弟達は俺を母親から離そうと必死だった、余程俺が気に入らなかったらしい。

そのうちに兄弟達は家を出た、母親の人身売買の事実がそんなに衝撃的だったのか。


『そのうちバレて裁かれる……』

『今のうちに縁を切ろう……』

『アンテール、ヴェーン、君達もおいで、お母様は君達を愛していない……』


何度も何度も俺の前に現れてはそう言った、弟は簡単に口車に乗っていった。

愛されていないなんて知っている、嫌われていると自覚している、それでも俺は……


『アンテール、そろそろお前も家を出たらどうだ。金は出してやるから店でも開け』


「……はい、お母様」


面倒臭そうに母親はそう言う。

買ったばかりの処女を弄り殺しながら。

言われるがままに店を開き、従業員を募集した。

領主の息子だということもあり宣伝も必要なく、客はそれなりに集まっていた。

ダンピールだと馬鹿にするような奴もおらず、むしろ領主の息子だと持て囃した。


自慢の体で誘惑してくる淫魔達には何の興味も湧かなかったが、その羽には惹かれた。

俺にはない美しい羽、赤く長細い皮膜、漆を塗ったような黒い骨。

生まれて初めて見る美しい物を前に理性を保てるほどに出来た人間ではない。


「……二枚もあるんだから、一枚くらいいいよな? 俺には一枚もないんだよ」


五人ほどを手にかけた後、従業員がいなくなった。

一度目の店はそれで潰れ、二度目も三度目も同じだった。

母親は何も言わなかったが、羽のコレクションを見てはため息をついた。


四度目…いや、五度目だったか。

分からないし、どうでもいい。

店を開いてしばらくして、路地裏に座り込んだ少女を見つけた。

淫魔にしては珍しい四枚羽、役に立たなさそうな透けた羽、少しでも触れれば破れてしまいそうな薄桃色の皮膜が俺の心を奪った。


「あー、お嬢さん? どうかしましたか」


出来る限り紳士的に話しかけた。

この羽は絶対に手に入れたい、傷一つつけずに手に入れたい。


『……どこも、雇ってくれなくて。仕方ないですよ、ボクみたいなの。このままここで朽ち果てるのがお似合いです』


絶望の淵に佇んだ少女は、空を閉じ込めたような青い瞳をしていた。

俺らしくもない、羽以外の部位に惹かれるなんて。

瞳だけではない、この淫魔は言葉では表現し難い可愛らしさを持っていた。

淫魔のくせに色気など欠片もなく、小動物のように構いたくなる可愛さ。

腕の中に永遠に閉じ込めていたいような、首輪をつけて虐めたいような。


「あー、なら、ウチに来るか? ちょうど店を開いたばっかで人手足りねぇんだよ」


『で、でもボクなんか雇ったら赤字ですよ。ホントにボクすっごいポンコツですよ』


「いいからいいから」


『男の人の相手なんて出来ないし、力仕事も出来ないし』


気を使っているのだろうが、雇ってやると言っているのに中々首を縦に振らなかった。

淫魔だというのに異性が苦手で、俺の横に立つのも嫌がった。

だがそれでもこの羽を近くで見られるのなら、そう思って雇ったんだ。


『ああっ、ごめんなさい。その…ごめんなさい!』

『あ、あの……触らないで。ボクそういうのは』

『ごめんなさい。お皿、もうありませんよね……ごめんなさい』


想像以上のポンコツだった。

皿は割る、酒はこぼす、態度の悪い客に引っかかる。

客からも他の従業員からも苦情が来た。

さっさとアレを辞めさせろ、と。


割った皿とこぼした酒、クリーニング代だとかを勘定していた時だった。

店長室の扉を叩き、か細い声が俺の機嫌を伺った。


『アンテールさん、その……』


「入ってから話せ」


『ご、ごめんなさい……その、怒ってます?』


「ん、てめぇが来てから赤字続きでな」


『クビ…ですか?』


「行くとこねぇんだろ。もうしばらく居ろよ」


長く伸びた前髪でせっかくの可愛い瞳を隠して、手折りたくなる細い指先で桃色の巻き髪を弄った。

なんとも虐めたくなる仕草だった。


『どうして、ボクなんかを』


「…………別に、気まぐれだ」


可愛いから、なんて言えなかった。言えばよかった。

最初はあの羽が欲しかっただけだった、もう羽はいらないなんて認めたくなかった。

まるごとそばに置いておきたいなんて、俺はそんなこと考えてない。

真祖の息子であるこの俺が、こんな病弱な淫魔なんかに。


『優しいんですね』


初めて見たその笑顔が、今でも目に焼きついている。



店の経営はとっくに破綻していた。

母親に頭を下げ続けてなんとかやり過ごしてはいたが、限界は突然にやってくる。


『お前……あの淫魔に惚れたのか? はははっ、出来損ないのお前らしいな! あははははっ!』


下品に笑い続ける母親に耐えられなくなった。

馬鹿にされるのなんて慣れていたはずなのに。


『馬鹿なヤツだ、気に入ったのならさっさと手に入れしまえ。そうしたら私の息子だと認めてやってもいいぞ?』


酔っていたのか、母親はそう言った。

そして俺はその言葉を真に受けた。

認めてやる、その言葉は何よりも甘美な響きを持ってた。


今思えば、俺の本当の失敗はここから始まった。

成功なんて一度もなかったこの人生で、分岐点はここだったのかもしれない。




無理矢理手に入れようなんて、馬鹿なことを考えた奴もいたものだ。

そんなことをして、何が手に入る?

一番欲しいものは手に入らない、刹那的な快楽すらも手に入らない。

誰が言い出したんだ、こんなこと。

何で俺は真に受けたんだ。


叫び声を聞きつけた監視役の天使に取り押されられた、そいつはこう言った。


『初犯、未遂、突発的、そこまでの罰は与えない。本人も希望していない』


「違う、俺は……俺は、ただ」


『『淫蕩の呪』が強力になったという報告もない、言い訳でもあるのか?』


「……無い、です」


『ならもう帰れ』


「あの子は」


『帰した。しばらくはお前に会わせられん』


数ヶ月の間、ずっと家に引きこもった。

母親と顔を合わせられない、今度こそ見限られた。

だが何よりも自分の中の異常な一面が信じられず、それを消すために人を遠ざけた。


だが俺の異常さは増すばかりだ。

あの子のあの顔が忘れられない。

あの泣き顔を、あの叫び声を、もう一度。



数年待ってまた店を開いた、あの子をまた雇った。

反省しているなんて口だけだったが、簡単に信じ込んだ。他に働き口がなかったからかもしれない。

だが馬鹿は馬鹿なりに警戒もしているようだった。


「なんだよそのカッコ」


『レリエルが、男の姿なら襲われにくいって』


「……あ、そ」


『もしかしてアンテールさん、どっちもいける方ですか?』


見当違いの質問は、逆に真ん中をついた。

男だろうと女だろうと、こいつの泣き顔が見れるのならそれでいい。

この美しい羽が手に入るのなら体も顔も関係ない。

俺は段々と初めの頃に戻っていった。



足を引っ掛けて、蹴飛ばして、踏みつけて。

嫌がる顔が見たかった。

涙目になるあの子が可愛くて仕方がない。

あの脆い羽が欲しくて欲しくて。


そのうちにあの子は俺の前から姿を消した。

もう一度現れた時、あの子のそばには友人の友人だという人間と魔獣がいた。

いいや、そんなことはどうだっていい。

俺はまた間違えた。

あの子の友人の友人が魔物使いだと母親に報告し、襲わせた。


成り行きで俺も羽を手に入れた。

嬉しくてたまらなかったが、同時に襲い来る空虚は耐え難い。




俺はただ、母親からの愛情が欲しかっただけだ。

あの子をそばに置いておきたかっただけだ。




塵となった母親の気配を感じながら、あの子を探した。

謝るつもりだった、俺がつけた傷の手当をしてやるつもりだった。

自分勝手にも今度こそあの子が振り向いてくれると思っていたんだ。

そんなこと、あるわけないのに。


見つけたのは、愛しいあの子と同じ見た目の悪魔だった。

吸血鬼なんて、ダンピールなんて、餌にもならない。

本物の化け物。


「お前……どうしたんだよ」


『……失敗しちゃった、やっぱりダメですね、ボク』


俺の半身を吹き飛ばして、飛び散った血はひとりでに吸い取られていく。

恐怖でろくに体が動かない。


『この方が、血が飲めますね』


「……なぁ、俺」


『いただきます、アンテールさん』


俺の声なんて聞こえてもいない、聞く気もないのだろう、なら丁度いい。

どうせ死ぬなら言ってやろう。

魔物使いのガキくらいなら聞かれてもいい。


「ずっと、好きだった。愛してた。本気だった」


嬉しそうに俺を喰うあの子の笑顔が、初めて見たあの笑顔と被った。


「……やっぱり、お前は可愛いな」


好きな奴に喰われて死ぬなら幸せじゃないか?

どうしようもない俺の、最悪な人生の締めには勿体無いくらいだ。


「セネカ……なぁ、一度でいいから」


『ごちそうさま』


あの子が俺に背を向けて、魔物使いのガキと話してる。


『そんな怯えた顔しないでよ、ボクはボクだって。ちょっと力が強くなったみたいだけど!』


一度でいいから、俺の方を向いて欲しかった。

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