第54話 魔というものは


コンクリートの壁が崩れ、アルは室内に叩きつけられる。

アンテールは追撃に移ろうとして……やめた。


「……お母様?」


アンテールは空を見上げる。

灰が、街中に広がっていく。

アルは隙だらけのアンテールに飛びかかろうとしなかった、罠ではないかと疑ったからだ。

そんな中、闇から溶け出したようにレリエルが現れ、アンテールの眼前ににロザリオを掲げる。


『アンテール、正直に答えろ』


「うわっ……十字架下げろよ、肌ちょっとヒリヒリするんだよ」


『貴様は罪を犯したか?』


「罪…? いや、何も」


アンテールは十字架を避けるように、レリエルの追求を逃れるように目を逸らす。


『あの魔獣と争っているようだが』


「そっ、それは……その、お母様がやれって……ぼくはいやなのに」


嘘くさい演技だ、例え幼子であろうと見抜けるほどに。

レリエルはロザリオを闇に落とし、振り返ってアルを見つめた。


『聞いたか? もう争いはやめろ、手当はしてやる』


『貴様…信じるのか? 吸血鬼もどきの言うことを!』


『無罪ではないが、死罪でもない。それに裁くのは私の仕事。魔獣にその権利はない。

この争い分の罪は見逃す、請求も無しにしよう。だからもう帰れ』


アルの体にぐるぐると包帯が巻かれていく、その下手な手当は子供のお遊戯よりもお粗末な出来だ。


『……何を言っている』


『仲直りしろ』


『ふざけているのか!』


『大真面目だ。私はこの街の秩序を守る為に存在している。裁きは平等に、慎重に下さねば』


後日詳細を聞くと言いながらレリエルは振り向く。

アルの手当はこれで終わりらしい。酷く下手な、しない方がマシな手当だ。


『アンテール? 帰ったのか』


姿の見えないアンテールは家に帰ったのだろうと結論付けられた。

レリエルは闇に溶け込み消える、アルはすぐに包帯を外しアンテールを追った。これだから天使は……とぼやきながら。






狭い路地を行く。

セネカはしばらく前に目を覚ましたが、まだ一人で歩く程には回復していない。

肩を貸し、ゆっくりと歩幅を合わせる必要があった。


『ごめんね、ヘルシャフト君』


「謝らないでくださいよ、あなたは何も悪くないんだから」


セネカは僕にずっと謝り続けている、目を覚ました時からずっと。

何度謝るなと言っても聞く耳を持たない。



前を見れば開けた道、大通りに出たらしい。

いつもならば狭い路地をやっと抜けたと喜ぶところだが、追われている今では狭く細い道を選んでいたかった。

だが、引き返す訳にもいかない。


大通りを横切り、向かいの路地に入ろう。

そう、考えて。

大通りの丁度真ん中に差し掛かった時。


空に無数のコウモリが現れた、逃げ込もうとした小道には人がいる。

様子のおかしな人間が。

目は虚ろに赤く光り、反対に曲がった足を引きずって歩く。

気味の悪い奇声を発して僕へ手を伸ばす。


「な、なに……なんだよ、来るな! 向こう行けよ!」


『マズイね、死体だよ、吸血鬼が死体を操っているんだ、知性がない分凶暴だよ』


コウモリが嬉々として飛び回り、頭上を掠める。

死体が僕の腕を引っ掻き、三本筋の傷をつけた。

ダメだ、この数で弓は意味をなさない。

セネカを連れていてはそう自由には動けない。

この死体達には魔物使いの力が効いていない。

魔物ではない、ということか。死体が動いているだけだと。


「どうしよう、どうしよう、アル……助けてよ」


アルはいない、来ない。

助けに来てくれない。


一際大きい奇声をあげ、死体が飛びかかってくる。

眼前に爪が迫り、もうダメだと諦めそうになったその瞬間。

目の前が真っ暗になった。

死体に目を潰された? 違う。

攻撃されて気を失った? 違う。


「セネカさん?」


『大丈夫、何も出来ないボクでも盾くらいにならなれるから。あの狼はきっと君を助けに来るよ、それまでくらいは耐えてみせるから』


セネカが僕に覆いかぶさって庇っている。

死体の爪が、歯が、肌を裂いて肉を落とす。

頭に回された腕が震えている、頭上で痛みに耐える押し殺した悲鳴が聞こえる。

地面に血が広がっていく。


「セネカさん! ダメ……どいてよ!」


その声を聞いて、僕を掴むセネカの力は強くなる。

離す気はない、どく気はない、見捨てる気はない。

どうせ死ぬんだから最期くらい良いことさせてよ、そんな声が聞こえた気がした。


「あ、あ……やだ、だめだ、やめてよ」


どうにかしなければと辺りを見回し、血に染まる地面に一冊の本を見つける。

倒れた拍子にカバンの中身をぶちまけたのだ、見れば弓も、その他の物も道に散らばっている。

黒い本、そうだあの本は。

手は届かない、でも声は届くはず。

これだけの量の血だ、きっと中まで染み込んでいる。

僕の血でなくとも応えてくれるはず。


「助けて……マルコシアス様」


弱々しい声は確かに届いた。

黒い本が禍々しい黒い光を放つ。

恐ろしい唸り声をあげ、巨大な黒狼が姿を現した。

鷹の翼に、蛇の尾、光を吸い込む黒い体。

蛇の尾は死体を薙ぎ、口から七色の炎を吐く。

七色の炎は死体を、そしてコウモリを焼き払い石に変えた。

あっという間に僕達を襲ったモノ達は動かなくなった。


『こんなとこかな? ヘルシャフト君、君の血でなかったのは残念だけど、たぁっぷり貰ったから仕事はちゃんとするよ』


黒狼はスーツを身にまとった女の姿に変わり、優しい微笑みを浮かべた。


『おやおや……酷い怪我だね』


マルコシアスはセネカを抱き起こし、まじまじと眺めた。

セネカをゆっくりとガードレールにもたれさせると、今度は僕に手を差し出した。


「マルコシアス様!」


『おっと……んふふ、熱烈な歓迎はありがたいねぇ。よしよし、可愛い可愛い』


僕はマルコシアスにすがりつくように抱きつき、これまでの経緯を手短に話した。

セネカを救う方法はないのか、とも。

焦りもあってまともに話は出来なかったが、それでもマルコシアスは僕の話を理解してくれた。


『生まれつき生気を吸い取れない淫魔ねぇ。全く可哀想なことだ、体質ってのは自分ではどうしようもないからねぇ』


「なんとかなりませんか?」


『なるよ、魔物使い──ヘルシャフト君の力ならね。でも禁咒だよ? あの仔……アルギュロスはきっと怒るね』


少し意地悪な笑みを浮かべて、マルコシアスは続けた。


『責任を持てるかい? この子の人生を引っくり返すんだ、この子はそれを望むだろうか。

もしかしたら……このまま消えてしまった方が良いと言うかもしれないよ?』


「そんな事…! セネカさんは、生きたがってるはずです! ずっと元気なふりして、楽しそうにして、倒れた時は何回も謝って落ち込んで……セネカさんは、きっと……いや絶対。こんな終わりなんて、望まない」


マルコシアスはおかしくてたまらないと言うふうに笑い出す。

それでこそ、そう言っている気がした。


「笑ってないで教えてくださいよ!」


『ああ、君の望みとあらば勿論。でも……代償が欲しいなぁ』


「好きなだけどうぞ! ほら、早く教えてください!」


血まみれの両腕を差し出すと、マルコシアスは恍惚とした笑みを浮かべ、セネカを助ける方法を話した。

そして僕の血を舐め、健闘を祈ると言って本に吸い込まれるように消えてしまった。


腕の痛みなど気にならない。

僕は地に落ちたコウモリの石片で手の甲を傷つけた。

そしてそれをセネカの体に垂らす。

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