(丁)



 三度みたび、寺に収められた衣を、住職は流石に不審に思い、供養のために焼いた。ところが、読経中、突如吹いた暴風に煽られて、衣は燃え盛りながら天高く舞い上がった。その場にいた者の中には、激しくはためく袖口から、にゅるり・・・・と、白い女の腕が伸びていたと云う者もいた。火は本堂に燃え移り、瞬く間に寺全体を覆い尽くし、一陣は湯島六丁目、また一陣は駿河台するがだいへと広がり、凡そ二日に亘って燃え続け、江戸を焦土と化した。


 明暦三年、睦月十八日のことである。


 『むさしあぶみ』によると、死傷者は十万を優に数えたという。火を避けて川に飛び込み、溺死した者も多かったという。

 

 この未曾有の大火災は「明暦の大火」、俗に「振袖火事」とも呼ばれ、長く人々の記憶に留められることとなる。

 


 古書に曰く、「すべて女は はかなき衣服調度に心をとどめて なき跡の小袖より手の出しを まのあたり見し人ありと云」と。

 

 この大火も、亡き娘の死皮しにがわの衣に、自身のみならず、衣を手にした娘達を次々と死に至らしめた程の、執着の炎が宿っていた為であろうか……。


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