第30話

 普通の生活に於いて、有り得ないこと、というものに直面するのはあまりない。

 しかし、魔法という神秘に携わる彼らのような人種達がそういったものに逢うことは人生の中で一度や二度ではない。


 日々全てが「有り得ないこと」と言ってもほぼ過言ではない。


 そんな魔法使いとして長く活動しているクライクハントでも、これほどに「有り得ない」ことに出逢うことは珍しい。


 自慢にならなくとも、クライクハントは「病」の魔法にはある点で信頼を置いていた。


 それはその力が「解除困難」という点。


 冥界に蔓延る瘴気に冒されたのであれば、聖なる力で清めれば良い。

 錬金術に造られた毒に蝕まれたと言うならば、成分を解析して解毒すれば良いだけだ。


 しかし、「病」とは結果なのだ。

 クライクハントが刻みつける病は、何か原因があってのものではない。

 その段階をすっ飛ばして、直接衰弱させる。


 広範囲かつ強力な「病」は、効果範囲内から離脱しなければ効果は打ち消せない。

 左手に束ねる「死」は、触れればいかな手段を持っても蘇生しない呪いになる。


 その点については頼もしく、反面恐らくもあった。


 だというのに、

「なぜ立ち上がっている?」


 今まで彼らの前で一度も見せなかった「動揺」があった。


「有り得ん。まさか藤吉家は第五神秘に至ったのか? それで私の魔法を否定したとでもーー」

の魔法はそこまで大袈裟じゃないさ」


 さらにクライクハントは驚愕する。

 藤吉泰生が起き上がったから、


 その言葉は間違いなく藤吉泰生の声だった。

 だと言うのに、何か違う。

 例えるなら、泰生の声だけを借りて喋っているかのようだった。


 もし、そんな魔法を仕込まるのであるとすれば、考えられる候補者は一人だけ。


「……貴君は藤吉セツなのかね」

 その答えに、呆れたように笑う。

「その不思議こたえに自らの手でたどり着いてこその魔法使いだろう」

 それは肯定しているようにクライクハントには感じられた。

 その疑念を確かめるためになおも言葉を重ねる。

「なんだってこんな真似を?」

「私は如月ここを預かる先達として、ちょっと力になってやりたい、なんて老婆心が出ただけさ」

 クライクハントはその言葉で確信した、

 この中身は藤吉セツ、つまりは彼の祖母であると言うことを。


「よくやる。遺した家族のために自らが命を落とした後までまで現世うつしよに留まるとは」


 クライクハントにそのつもりはないにしろ、その言葉は痛いところを突いていた。

 少しバツが悪そうにしながら頭を掻く。

「ま、そんなことはどうでもいいさ。で、どうすんだい? やるのかやらないのか?」

 そう言って誤魔化した。


「私に勝てると思っているのか?」

 凄むように言ったのは、心理的な駆け引きなどという意味はなく、ただの確認作業。

 無理に戦わなくてもいい、という意思表示なのだが、目の前の敵には正しく伝わらなかったらしい。

 飄々とした態度は変わらない。

「相手が異端殲滅ヘクセンヤークト相手に楽に勝たせてくれるなんて思わないさ。

 ただ、まぁ。素人の泰生や、限界が来ているトコシエ相手よりも歯応えがあると思うけどねぇ」


 特にその態度を責めることもなく、「そうか」とだけ話す。

「まぁ、相手をするのは正確には私じゃないさ」


 その言葉にクライクハントが眉を顰めるが、その答えはすぐに目の前にあられた。

「ーー!」

 軋むような音が耳に届く。

 それは、物理的な現象で発生しものではなく魔法的に発生した現象だった。

 今までに観たことのないほどの霊的な軋みに流石のクライクハントも慄いた。


 観たことはない。

 観たことはないが、アタリならつけられるほどには心当たりが多すぎる。


「如月の大結界かね?」


 正確にはそれを用いて起こした奇跡。

 初心者にそんな真似はできないだろう。


「さて、アンタの魔法は『殺す』ものだったかね」

 そう言って泰生はーーいやセツは不敵にニヤリと笑う。


 フワリと周囲の風が舞い、砂埃を巻き起こす。

 それを見て感じ取った。

 砂の一粒、水の一滴に及ぶまでにこの魔法は行き届いている。

 例えるならば、この町の胎内に放り込まれた、と言う表現が近いのか。


「さて、アンタは如月町を殺しきれるかな?」


 そんな見え透いた挑発には耳を貸さず。

 そこから先の判断は迅速だった。

 地面を強く蹴り、猪の如く勢いよく、迷いなく泰生に突き進む。


 戦達者なクライクハントであるが、こと戦闘においてクライクハントにできることは実は限られている。

 自分を中心に展開する「病」と左手で触れたものに対して発動する「死」の魔法。


 どちらにしろ、強力な魔法使いを相手に距離を取ることは得策ではない。

 むしろ積極的に距離を詰めなければ相手の思う壺になる。


(もし、この町の大結界が「死」の魔法を受けた管理者を蘇生させているのだとすれば、そう何度も成功するものでもないのである)

 いかに第六神秘といえども、こんな荒技を繰り返していれば、この大結界が持つ魔力が先に尽きるはずだ。


 近付いてくるクライクハントに身体を構えるが、セツは勘違いをしている。

 本当に「病」の力のみでやっていけるほど、異端殲滅は甘くない。


「ッッ!」


 特殊な歩法、身体の強化魔法、相手の呼吸に合わせた挙動。


 その全ての相乗効果により、人間の駆動限界を遥かに超えた動きに流石の大魔法使いもとっさに動きはできなかった。


 それも当然だ。

 彼の体術と魔法の運用は戦場仕込みの実践的な業だ。

 左手の「死」をいかに活かした戦闘が出来るからこそ彼は異端殲滅の席を汚している。


「貴方は何度蘇るのだ?」

 ーーそれが尽きたときに全て終わると、暗に告げている。


 それの正しさを証明するために、左手をその心臓に当たる。


 しかし、左手を泰生の心臓に当てたクライクハントは、藤吉セツを、ひいては如月の大結界を勘違いしている。


「これはーー!?」

 その感触に感じた違和感を取っ掛かりにしてその勘違いを知る。

「やっと気づいたねぇ」

 意地悪な笑顔を浮かべながらそう呟いた。


「私の『死』を否定したのか?」

「正解さぁ。正確には死の結果を寄せ付けないってとこなんだけどね」


 死を否定。

 神秘を伴わない脅威であれば、この町に近づくことすらできず、魔法を伴った脅威であっても不自然に脅威は逸れる。

 クライクハントのように直接に「死」を与える魔法であっても、因果すらも捻じ曲げて泰生に降りかかる「死」を回避する。


 この結界の中であればその効果は働き、この屋敷の中であれば泰生を殺害することは不可能と呼んで差し支えない。


「ちょっと過保護な婆さんが独り遺す孫に小遣いを遺したってだけの話さ」

 小遣いというには額が少しばかりでかいけど、などと冗談交じりに付け加えた。


 しかし、クライクハントからすれば、冗談では済まされない。


 クライクハントは強力故に「どう相手に加減するか」を苦心するものであった。

 そのため、「どうすれば殺せるか」などと今までに一度として悩んだことはない。

 それは自慢でも矜持でもないが、それがそうであるということを疑ったことなどなかった。


「流石のアンタでもこの街は簡単には殺せないだろう?」

 彼女の両手に魔力が渦巻く。

 その魔力は甚大で膨大。

 その魔力が彼女によって、火、水、風、と何に変換しても生み出される破壊の大きさなど容易に想像できる。


 街一つを破壊できるほどの力を前にーー、


「甘く見られたものだ」


 クライクハントは余裕綽々に返答する。


 クライクハントの魔法はただ一つ。

 人の生命を奪うこと。

 しかし、「殺す」ことしか出来ないなどとクライクハントは一言も言っていない。

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