第7話

 七月二十一日。

 あの襲撃から既に二日経つが、未だ状況に動きは無い。


 あの出来事は最早夢だったのでは無いかと思うほどの静けさだった。

「タイセイ。あまり気を抜くのはオススメしませんよ」

 あれが夢でないという証拠は今日ものんびりと朝食に手をつけていた。

「しかし、朝から焼き鮭とはやりますね。パリパリの皮にほっくりとした身。朝からこんな手の込んだ焼き方をするとは。ある意味贅沢でしょう」

「まぁ、どうも」

 どっちが気を抜いてあるのか、と言いたい。


「で、あの古川ってヤツ。もう二日もたつのに何もして来ないけどさ、諦めたんじゃない?」

「だと良いですが。この前も言いましたが、これほど特殊な大魔法は日本ではここだけですから。たった一人だけ魔法使いが増えたくらいでは止まらないと思います」


 そのあたりの感覚は素人の泰生にはどうも分からない。

 古川とか言う金髪は(どうも泰生の実力を誤解しているようだが、)二人の魔法使いを相手に喧嘩して勝つ気でいるようだが、逆の立場ならたった一人でてきた地点で逃げ出している。


 まだ、何か秘策のようなものがあるならば、どうあがいても勝てる気がしない。

 と考えたところで、一つの考えが閃いた。

「ねぇ、トコシエ」

「はい。何でしょう?」

「いっそのこと、もうこの結界をあの人にあげちゃうとかどう?」


 その瞬間、スムーズに動いていた手が止まり、ゴホゴホとムセこみだした。

 初めて見る同様に多少驚きながら「大丈夫?」と水を差し出す。

「な、何考えてるんですか!」

 出された水を勢いよく飲み込むと、叫ぶように言った。

「え、いや、だってさーー」

 彼自身は別に大結界とやらにさほど興味はない。


 もちろん祖母の形見には違いないので、できれば守りたいと思ってはいるが、あんなに危険なヤツと切った張ったをして守りきれるとも思えない。

 そこまで説明すると泰生の主張はある程度は理解できたようだが、トコシエはため息をつきながらかぶりを振る。


「残念ですが、論外です」

「何で!?」

「利用法の問題です。古川道治がどんな目的を持って大結界を利用するか分からない。こう言った偉大秘蹟は多種多様の数多の魔法の集積体ですから、悪用すればどんな事態になるかわかりません。それに使

「は?」

 一瞬言ってあることが分からなくなる。

「……口が滑りました。忘れてください」


 聞き返そうとしたが、ピシャリと言われると泰生は何も言えなくなる。

「とにかく、そんな事態は魔導機関が許しません。あなたが気前の良さは理解しましたし、物欲のない人間であることは私個人としては非常に好感が持てますが、それは下策です。

 今後、何か問題があったときに下手すれば貴方がペナルティを負うことにもなりかねません」

 ペナルティとは穏当ではない。

「それって、例の世界の半分を敵に回すとか?」

「いえ、その程度では済まないでしょう。もっと危険な輩が動き出します」

「……」

 世界を半分敵に回して、それより恐ろしいこととはどういうものなのか。

 所詮素人の泰生には想像できなかった。

 彼女の語り口からすれば恐ろしいものだけは理解できるが。

 考えてみれば、魔法やら何やらに首を突っ込まれた地点でこの位置は日本であって日本ではない。

 価値観、文化の違う法則が働き、どんなシステムができてあるか分からない、いわゆる「魔法使いの」力場内ばしょで下手なことはしないほうがいいだろう。


(しばらくはトコシエに任せとこうかな)


 と彼自身の方針が固まった。

「じゃ、しばらくはどうするの? 相手の出方を見るとか?」

 その意見には、不本意そうではあるが頷いた。

「なるべく受け身になるのは避けたいところですが、仕方ないですね。しかし、こちらも指をくわえて見ているだけではダメでしょう」

 そう言って取り出して机の上に置いたのはビー玉のような紅い透明の塊。

「何これ?」


「賢者の石ーーの出来損ないです」

 賢者の石。

 素人同然の泰生でも漫画やゲームで聞いたことがある。

「こう、なんか凄いアイテムなんだよね」

「……」

 半ば予想していたのか、呆れはしてもそれをいちいち口にはしない。


「いわば、人工的に作り出した魔力の塊です。

 私は現在他の魔法使いに比べて、作り出せる魔力の量はあまり多くないので、こうやって魔力を補填しています。外付けのバッテリーといったほうが貴方には理解しやすいかもですね」

 そう言われると何となくだが、泰生にも理解できた。


「出来損ないってのは?」

「本来は人の魂を材料に作りますが……」

「え? マジ?」

「これは私の血液を魔法的に固めたものですがら大丈夫です!」

 少し引いてしまったのを感じ取ってか、慌てて付け加える。

 もっとも、自分の血なら大丈夫かどうかの基準は微妙だが、人の魂を使うよりは確かに健全だと思い直し話の続きを黙って聞いた。


「ただ、中途半端なので本物の賢者の石と比べれば出力も効率と落ちます。それに一回限りの使い捨てですから無駄遣いはできればしたくないです」

「それでもないよりはマシか……」


「ちなみの賢者の石って幾つあるの?」

「今日までのストックが七つ。一つ作るのに一ヶ月くらいかかりますのでこれ以上の補充は難しいです。

 手元に一つ残してあとはここの防衛に当てましょう」

 そう言って一つをポケットに入れる。

「ところで、この結界の基点はどこにあります?」

「キテン?」

「まぁ、知ってるわけがないですよね」

 もうこの展開にも慣れてきたようで、トコシエの流し方も雑になってきた。


「魔法をこの土地に固定している接点、とでも言えばいいでしょうか。そこからこの街の大結界に干渉できますので、今のうちに防衛策を練っておきたいんですが」


 説明を受けて、結界を維持するためにはその基点とやらを守る必要があるということは何とか理解出来たが、生憎とどうすればいいかまでは思いつくはずもない。


「まぁ、古川も流石に基点の位置まではわかっていないでしょうから、焦って動く必要もないですけどね」

 そうなるとどう動けばいいのか気になるところ。というか、そろそろ丸投げも申し訳なくなってきた。


「あの、僕には何かできないのかな?」

「ありませんね」


 もちろんトコシエに「ではお願いします」などと言う返答を期待してはいなかった。男としての矜持がそうさせるのかもしれないが、あまりの即答具合にどうも釈然としなかった。


「強いて言うなら、貴方が無力化されれば結界が乗っ取られる可能性があります。だから、自分の身は守れるようにしてください」

「……」

 やはり、無理にでしゃばろうとするのはやめようと決めた泰生であった。

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