第一走 中年女の冷や水
小中高の頃、自分は運動音痴だと思っておりましたし、実際そうでした。体育の成績も振るいませんでした。
それでも大学生の頃や独身だった時、少しは運動もしておりました。楽しむ程度です。そのお陰で今の夫ツレアイにも出会えましたね、ハイ。出会いというものはどこに転がっているか分かりません。
二十代前半の若い頃までは、まあそうです、四十代の今と違ってコレステロールとか体脂肪、血圧とか考えずお気楽なものでした。つくづく幸せ者ですね。
二十代後半から三十代前半は髪を振り乱して子育てに忙しく、自分の事は全て後回しでした。三十代後半からフルタイムで仕事をし始め、小中学生の息子二人の世話も少しは楽になったものの、朝から晩まで駆けずり回っておりました。
ですので、四十近くになるまで定期的に運動はしておりませんでした。仕事を始めてから日中立ちっぱなしか座りっぱなしなので、腰痛と肩凝りに悩まされるようになります。
その頃です、遠方に住んでいる両親から弟の近況を聞いたのは。
「ターボ君がトライアスロン始めてねえ」
弟は三十代半ば、へえ、なんでまた、そんな年から何を思ってやり始めたんかいな、まあまだ独身だしね、と他人事のように感心しておりました。そしてあれよあれよという間に弟のターボはトライアスロンの世界にのめり込み、ついに鉄人にまでなってしまいました。
アイアンマンっていうあれですね、泳いで自転車漕いで(その当時距離はいくらか知らなかったし知りたくもなかった)その後フルマラソンを走る、人間技ではない競技です。ターボ君もそこまで進化したのねぇ、と思っておりました。
さて、私の方はと申しますと、腰痛と肩凝りでもう毎夕方帰宅するとバタッと床に倒れ込み、次男のジローに
「ちょっと肩揉んでぇん、マッサージしてぇー」
と頼んでおりました。運動不足のせいでもあるということが分かっておりました。
そしてある朝一念発起、早朝ジョギングに出かけるようになりました。奇しくもその日は私の39歳の誕生日、12月の寒い冬の朝でした。
まだ辺りは暗かった朝6時、初日は2キロほどをトロトロと走っただけでした。朝ジョギングをしようと思ったのは、その時間帯しか時間が取れなかったということもありますし、家族に内緒で始めたかったというのもありました。
息子たちに
『うちのお母さんジョギングし始めたんだけど案の定三日坊主でねー』
などと外で吹聴されるのは避けたかったからですね。
息子たちが起き出す朝7時には帰宅し、朝食を食べさせ、学校へ送り出し、自分も出勤しないといけません。仕事の終わった後は夕食の準備等で忙しかったですし。
さて、いきなり2キロ走った翌日の朝は全身筋肉痛にみまわれておりましたが、自分でも驚いたことにちゃんと起きて走りに出かけられました。
その後は筋肉痛で通勤に苦痛(きんにくつうでつうきんにくつう)という早口言葉のような状態ですね。さて、筋肉痛は3日目には消え、その後も坊主になることなく毎朝続けられました。
そして一週間毎朝走り続けただけであんなにつらかった腰痛も肩凝りもすっかりなくなり、体が軽くなったのです。血の巡りが良くなったのでしょう。
そんなこんなで三日坊主と家族に笑われることもなく、私の早朝ジョギングは続きました。それでも数週間は彼らには内緒にしておりました。
季節は冬、雪が降っても除雪車が通った後は普通に走れます。外は氷点下十度二十度で寒くても5分も走ればポカポカしてきます。ただ、雪が何センチも積もっているとスピード半減で大変でした。
ノルウェー出身の走者Grete Waitzさんの本によると雪上は砂の上以上に一番走りにくい表面だそうです。踏み固められた雪ならともかく、柔らかい雪の上を走るのは足にきました。寒さにも雪にも負けず、毎朝走り続ける私はキャ〇〇ン翼の松〇光くんの気持ちが良く分かりました。ただし私は地を這うようなシュートは打てず、地を這うような足運びでありましたが。
***次回予告***
なんだかんだ言って私ヨカコは早朝ジョギングが習慣になっていきます。
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