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「あれは、せいらいからのろくでなし。えりーぜさまとはわかれてだいせいかい、すくなくともくろえはそうおもいます」

「そんなにもですか」


 平然と、エリーゼの元婚約者をあれ扱いする話し方に、この人の思考の中心を思い出す。…エドガーお義兄様に迷惑をかける者全てを許せない核を心としているこの人は、信念も志も願望もそのどれもにエドガー・リースと言う存在を置いているのだ。つくづく本当にヘイリー・フィジィと言う者は無謀なことをしたものだと、怒りと呆れが僕の中でも混じり出してくる。通信用水晶が僕の部屋の宙に投影するのは、一度見れば絶対に忘れようも無い影を纏った人物の姿。夕方の色がとうに薄暗く塗られ終わった頃、湯浴みをしている最中のエリーゼの意識がこちらの方へ向かないうち。その隙を狙って僕は今、お義兄様の傍仕え…クロエと通信を行っていた。


 復帰初日の登校も無事終わり、午後は存分にいつも通り農作業を行って。体を動かしていた後は余分な思考が飛んでいくからか、農園に帰った直後よりも考えがすっきりとまとまった。エリーゼからある程度、話したいところまででいいと言葉を加えてから教えて貰ったこともある。……彼女も、僕の雑念になるような情報だけはやりたくはないがと言ってくれたけれど、元婚約者についてはほとんど顔を付き合わせたことも無く。一年前に婚約者としての契約だけは行ったが、学園内でも滅多に話もしなかったようで。ただ、その少ない回数の中でよくもそんな胸糞悪い台詞をエリーゼに対して吐けたな?と、聞いていて僕の中にエグい角度でクリーンヒットする物もあり。本人が気にしていないのであれば、と言う思いで落ち着こうとしたが全く駄目だった。実際に対峙した日には煽られて僕の方が自滅するのでは無いかと思うくらい、彼女の記憶の残滓から漏れ出たクズ男さに対しても切れそうになったのである。聞きながら怒りを我慢しようと噛んだ口の端から血を流した折でさえ笑顔だけは保っていたのだが、「アレに脳の機能を使うな、勿体無いぞ」とエリーゼにぽんぽんと頭を撫でられてしまった。慰められたのが嬉しいのと、この話題の中心があの元婚約者だと言う矛盾で新しい葛藤が戦い始めた件については秒速で前者が勝ったのでそれ以降ヘイリーに関しての話は区切りをつけたのだが。クロエと話す機会を得れば、出るわ出るわ彼女以外の視点で見た状況が。

 客観的な意見が欲しかったことと、今学内に存在するエリーゼの兄姉に関する更に詳細な情報も一応得ておきたい意味で通信を繋いだのだが。そこで相手をしてくれたのが、クロエであった。お義兄様は忙しない故に、繋がらないのであればこれ以上迷惑をかけぬように通信を諦めるつもりであったのだが。丁度、邸内に招いた親しい客人の相手をされているそうで、僕が相手だと分かったからかクロエに取次をお願いしたそうで。


「あれがこじんで、じぶんかってにおこなったこんやくはきは、こんやくはきのぶぶんのみおのぞみどおりうけいれることにいたしましたから」

「……ちなみに、そのフィジィ家自体は」

「ちちおやはなっとくされてませんが、なくなくあきらめたようですね。そもそも、えりーぜさまのあのこんやくは、あちらのいえからのきぼうでしたから。あちらがいいだしておいてこのていたらく、もうわがままひとつもいえないたちばです」


 なるほど、状況を聞くにほぼほぼフィジィ家とリース家には今は大きな溝があるようだ。そこからさらりと話された経緯は、簡単に言えば「ヘイリーを切り捨てなかった家の責任も大きい」という話を織り交ぜながらの憂鬱な内容だった。

 元々、フィジィ家の現頭主とエドガーは普通に貴族の頭主同士親しい間柄であったらしい。リースの取りなしでフィジィの商売が所々うまくいった点もあり、頭が上がらない状態だったらしいのだが…そこで、自分達の家は特別扱いされていると思い込んでしまったフィジィ家の前頭主が「是非ともご弟妹のどなたかとうちの末っ子の婚姻を」等と求めてしまったのが今に繋がってしまっているのだ。


「しょうじき、あそこはちょうなんとじなんがいるからかろうじてあのちいをたもてているだけです。しょうさいがあったのは、まぎれもなくおくがたのほうでした」

「ああ……なんと言うか、その。同じ性別の方に言いたくは無いんですが…………奥方におんぶにだっこと言う感じの香りが……」

「だいせいかいです。おくがたがなくなったあと、しばらくはいえがかたむきまして……りどみなをそつぎょうして、よいぎるどにはいったばかりのあにふたりがみをこにしてようやくたてなおったのです」


 現在貿易商を生業とする貴族であるフィジィ家は三兄弟と父親一人の構成のようだ。ヘイリーを除いた上二人は双子の兄弟らしく、うだつの上がらない情けない父親と、何をしようが言葉を受け取って貰えずに好き勝手にする末っ子というろくでもない上と下に挟まれて大変損を受け取っているそうな。聞いているだけでも胃に穴が数個開きそうだ。

 勝手にエリーゼへの断罪に参加した挙句婚約破棄をしたヘイリーのことを聞き、頭主だった父親と強引に役割を交代したのは双子の弟の方で。ギルドからも退職し、現在は頭主家業を継いでいるのも彼の方らしい。余談だが、双子が顔面蒼白になりながら対応にてんやわんやしていた頃、父親は泡を吹いて倒れていたらしい。……気持ちは分かるが、そこで動けないでいるのはどうかとも思う。


「といいますか、いまえどがーさまがごたいおうなさっているのがそのふたごのかたがたです」

「えっ!?」

「しんろうでさいきんはろくにねれていないのか、ひどいかおをしていましたので。よいおこうちゃをよういさせていただきました」


 いつもいつも振り回されるのは真面目な役回りの人ばかりだ、と吐いたクロエの言葉は一緒に僕のことも刺してくれているのだろう。今でこそ温情で認めて頂けたものの、僕もエドガーお義兄様に迷惑をかけた輩であるのだから。彼の棘は全て真正面から受け止めるべきなのだ。

 しかし、驚いた…と同時に、このタイミングなら確かにおかしくもないなと思う。無礼なことをした末っ子の元婚約者が学園復帰する日は、穿った見方をすれば再度謝罪を行うにはうってつけの日でもある。ともかく、とんでもない貧乏くじを引かされている人間がいることにこちらまで心が痛くなってきた。

 話を元に戻すと、その婚姻の話に自ら手を挙げたのがエリーゼだったのだと言う。兄様の役に立てるのなら、と。未婚の兄姉を押しのけてまで、エドガーに望んだのも彼女本人であったらしく。エリーゼにも、クロエにも、フィジィには下心があると分かっていた。誰より忙しなくしているエドガーの持つ物を少しでも減らす為に、クロエに相談をしてエドガーに話をすぐ上げたのがエリーゼらしく。どうせ邸内でも燻っている身だから利用してくれとも言ったようだ。嗚呼、あの人はなんということを、お義兄様の為ならばそんな男の嫁に行って適当に扱われたとしても別にいいと判断したのか。居場所が無いから諦めがついていたのだろうか、どうせ問題児だから役に立てる場面ではと感じたのだろうか。心臓に、針を打たれている心地だ。芯も我も強い彼女が、唯一プライドも自己も放り捨ててまで奉仕しようとするのはエドガーお義兄様だけだと知ってはいるのに。

 もうその頃から、彼女はリース家から切り離されてもいいと言う覚悟を決めていたのだろうか。自分を切り捨てる機会があったのならば、エドガーお義兄様に手を振り払って貰いたかったのだろうか。考えても分かるのは、エドガーお義兄様の為に捨てられようとする彼女自身の兄妹愛だ。リースから切り離され、あの断罪がメインストーリー通りに進んでいればフィジィ家からも切り離されて、あてもない暗闇に放り出されていたらと思うとゾッとする。それが「原作通り」だとしても、悪夢が過ぎる。


「…そんなかおをせず。えりーぜさまは、もうあなたしかみるきもないでしょう。なぜなら、えどがーさまはみとめました。えどがーさまが、みとめました。あなたがもっともおろかで、もっともかしこい。だからあのおとこはこんどこそ、なにをやろうがちゅうとはんぱなそんざいになりました。えいえんに、もうなおらないせいかくでしょうね」


 どう矯正させようが性根が腐っている人間は真人間には戻らない、そう語るクロエの瞳には複雑な感情が渦巻いていたように見える。まるで…そう言った人間に苦汁を舐めさせられて来たかの、ような。

 捨てるべきだった、とっとと勘当してやるべきだった。そう容赦無く言う他に、それでもどこかフィジィ家に同情的に話すクロエには、執事仲間があちらにいるらしい。その存在もロクデナシな部類だが、フィジィ家の中では割を食っているからか…直接手は出さずに傍観してはいるものの、動向が気になっているのだとか。彼にも友人と言う存在がいたことに、急に人間味を感じた。


「……おや、すこしはなしすぎてしまいましたかね。とにかく、くろえがいまかたれるのはここまでです。そうですね、あのおろかものたちふくめてりーすのきょうだいのことをきくのにつどれんらくをとるのも、あなたもこちらもつごうがつきにくいでしょうし……のちほど、えどがーさまにきょかをいただけたらのはなしですが、りーすけにかんしてあなたにおくれるじょうほうはすべてそうふしたいとおもいます。それでよろしいですか?」

「!あ、ありがとうございます、助かります」

「いいえ。えどがーさまがほんとうにいそがしいときにあなたにじかんをさかせるわけにもいけませんし」

「大変申し訳ありません…次回から事前連絡だけでもさせて頂きます…」

「よろしい。しょうじんなさい」


 あなたがエドガー様に認められたと言うことは、クロエも認めているのです。クロエはいつでもエドガー様の選択を信じています。

 …切りますね、と言われる直前。嫌味も何も無い表情でクロエから見つめられて、胸がどきりとした。お義兄様は、あの瞳に見つめられて、よく平気だなと思うくらいに……他人を狂わせる美しい微笑みに見えた。雰囲気だけではない、あの瞳と真っ直ぐに目が合うと、何かを恐れてしまう。人間としてではなく…魔法を扱う者と、して。


 貴族の界隈の付き合いから生まれた副産物が、あまりに大きな不運と言うのは誰も報われないものだなと。通信の切れたそれを水晶立ての上にそっと座らせ、「空いたぞ」と僕に風呂が空席になったことを知らせに来るエリーゼの気配を感じて、内緒の夜話を僕達は終えた。

 復帰二日目からも、一切気は抜けないようだ。これも花婿の試練、受けて立つ心意気で僕は明日も同じ姿勢が取れるように改めて空気を吸うのであった。

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