ヴィントシュピーゲル

神城蒼馬

第一章「キツネとブドウのワルツ」

第1話「壱百万都市の飍」

 ある森のなかで、一匹の狐がブドウの木をみつけました。

「これはおいしそうなブドウだ」

 お腹をすかせた狐は、さっそくブドウをとって食べようとしますが、うまくブドウをとれません。

 背をのばしてみたり、ジャンプしてみたり、いろいろためしてみましたがどうしてもブドウがとれないのです。

 やがてあきらめて狐は言いました。

「あんなブドウおいしくないや。どうせにちがいない」

 そうして狐は、森のどこかに歩きさっていきました。

 ――こんな出来事が、あったそうですよ。


     壱


 欧州はオーストリアに壱百万都市=ミリオポリスと呼ばれる都市まちがある。

 その都市の一角――ミリオポリス第四区ヴィーデン

 かつてウィーンと呼ばれていた時代、もっとも古く設立した地区/今はハイテクビルに囲まれたオフィスや歓楽街でにぎわう地。

 その大通りに位置する、若者に人気のとあるショッピングモール/ファンシーショップに囲まれたフロア――その休憩スペースに三人の少女たちが腰掛けていた。

「この都市を最初に〈ロケットの街〉と呼んだのは、誰だったんでしょうね?」

 何とはなしに呟かれる、サイドテールの少女=響の問いかけ。

 ヒビキ・アルトリカ・バルツァー――さらりとした蒼い髪+尻尾のようなサイドテール/理知的な灰色の瞳アッシュ/ミリタリ調のパーカー+ホットパンツ/しなやかに伸びる素脚+無骨な編み上げブーツ。

 引き締まった体にクールな眼差し――快活さと冷静さの中に健康的スポーティな魅力をトッピングしたような少女。

 その呟きに、隣の少女が答える。

「まぁ、どうせ。どこかの頭のいいおエライさんが、暇つぶしで考えたんじゃなぁい?」

 長い銀髪の少女=奏の投げやりな返答。

 カナデ・アンネリーゼ・シュタルケ――透き通る銀髪+羽の髪飾り/切れ長な琥珀の瞳アンバー/胸元の開いたワンピース/すらりとした長い脚にタイツ+オペラパンプス。

 大人びて背が高く、したたかな自信に蟲惑的コケティッシュな色香をブレンドしたような少女=もっかのところ、入念に施したネイルアートへトップコートを塗り直すのに夢中。

 続いて、今度は反対側から返ってくるたどたどしい声。

「エライ人……。なんだかすごそうかも……かも?」

 ウサ耳の少女=鳴がおどおどした様子で考えを述べる。

 メイ・ディオナ・ローゼンライエ――おさげにした桃色の髪+ウサ耳リボン/気弱な青い瞳ブルー/上品なフリルシャツ/チェックのスカート/細い脚にストッキング+ローファー。

 小柄で小動物的、か弱さと可憐さと少女趣味ファンシーな愛らしさをミックスしたような少女=手にしたウサギのぬいぐるみをギュッと抱きしめ、はにかむ。

「あの。私はなんで〈ロケットの街〉って呼ばれてるのかが、気になるかな……かな?」

 ぬいぐるみで半分顔を隠しながら、鳴がおずおずとたずねる。

「あんた、それマジで言ってんのぉ?」

 呆れる奏の反応――鳴=恥ずかしそうに俯く+うるうる。

「うっうっ……。だって、分からないんだもん」

 潤んだ瞳に見つめられ、響=ため息。「鳴……これはミリオポリス市民なら、小学校フォルクシューレの子供でも知っている常識ですよ?」

 困り顔の響と泣き顔の鳴――それを見比べて奏=けらけら笑い。「ぷっ、ふふふ。ようするに、鳴はお子様以下ってことねぇ?」

「だって私……まだ子供だもんっ」

 呆れ返る二人――鳴=「む~」っと唸る/それからピョンっと立ち上がったかと思うと、近くをたまたま通りかかった男に話しかける。

「あのあの。なんでなのか、おじさんは知ってる……知ってる?」

 瞳を潤ませながら上目遣い/特定の嗜好を持った人種が見たら即倒するような必殺ポーズ――本人は全くの無自覚ゆえ発揮される反則的あざとさ。

 しかし、話しかけた男にその手の趣味はなかったのか、あっさりスルー。「うっうっ……無視されちゃった」

「あの人たちは今、忙しいんでしょう。気にすることないですよ」泣き虫な友人を元気づける響のフォロー。「では、鳴のために一つクイズです」

 響=教鞭のように人差し指をくるくる回しつつ、楽しげに。

「この都市が〈ロケットの街〉と呼ばれるのは、その昔ロケット燃料に使われていたAPアーペー(過塩素酸アンモニウム)の着火点である六百四十八度ケルビンが、現代のミリオポリスを象徴すると一緒だからです。……さて、それは一体何でしょう?」

 突然のクイズ――鳴がうんうん唸って必死に答えを探り出す。

「え~と、え~と……。ミリオポリスの人口……は、二千五百万人だし――」

「人口はいい着眼点ですよ」と響。

「えへへ、じゃあ……オーストリアの人口?」

「首都よりこの国の人数が減ってどーするのよぉ?」奏のツッコミ。

「ひうっ? えーと、うーんっと……」頭を抱えウサギのような悲鳴を上げる鳴。

 三人の少女たちによる、実に牧歌的+平和的+日常的な風景。

「うっうっ……、わかんない!」ついに降参した鳴=涙声――穏やかな空気がぶち壊し/まるで駄々っ子のようなその様子にギョッとする周りの客たち――視線が一斉に集まる。

「あの……お客様。他の皆様のご迷惑になりますので、あまり大声を出さないで、ご静かにお願いします」

 近くにいた店員が、申し訳なさそうな顔で話しかけてくる。

 年配の店員――勤勉な立ち姿/整えられた髪には白が多い。その人の良さが染み出た顔に、今は苦労と疲れがスパイスされた微妙な表情を浮かべている。

 鳴=慌てて口を塞ぐ/恥ずかしそうに俯く――響+奏=他人の振り。

 そんな彼女たちの仕草に、年配店員も思わず微笑む=絵に描いたようなニッコリ笑顔/孫を見守る好々爺のような穏やかさで、シーっと指を立てる。

「そうだ。小さなお嬢さんフロイラインのお気に召しますかどうか……こんなものでよろしかったら、どうぞ」微笑みを浮かべながら、ポケットから何かを取り出そうとする。

 鳴がワクワクして見つめる先――それを取り出した年配店員/その右手が。

 突如鳴り渡ったクラッカーのように甲高い音と/同時に――その何かを握りこんだまま

 飛び散った真っ赤な血飛沫を浴びながら、鳴が目を見開く。

 その先に惚けた様子の年配店員――咄嗟に自分の身に何が起こったのか分からず/不思議そうな顔で手首から先が無くなった自分の右腕をしげしげと見つめる/その間にも溢れ出る血がダラダラと床へ滴り落ちる。

 次の瞬間――店内に割れんばかりの悲鳴が轟いた。

 千切れた腕を押さえパニックに陥る年配店員――それが引き金になったかのように店内の女性客/男性客/未成年者/年配者――ほか大勢が一斉に叫びを上げる。

 悲鳴の大合唱――緊張に耐えかね、恐怖に押しつぶされた感情の伝播によって、フロアはあっという間に『タイトル:恐慌フルヒト』といった様相の狂騒博覧会と化していた。

 ダーンッ! その混乱を切り裂くように、再度の轟音。

 ダーンッ! ダーンッ! 銃声――立て続けに三発。

 狂騒から一転――静まり返る店内。

「こいつはすみませんでしたな、紳士な店員ヘル・フェアコイファーの旦那。うっかりそのポケットから爆弾でも飛び出すのかと、勘違いしちまいましたよ」

 硝煙なびく機関銃MPを肩に担ぎながら、先ほど鳴が話しかけた男が歩いてくる。

 顔を覆う白いスキーマスク/防弾チョッキ/その他ベルトに括った棒状の手榴弾ポテトマッシャー

 つい数分前、手際よくこのショッピングモールを占拠した武装犯=どこの国の装備とも判断のしづらい、多種多様な武装でフル装備した男たち。

「……クイズの答えは、六百四十八人」

 それら武装する男たちを透明な瞳で見つめながら――響が呟いた。

「――ミリオポリスの過去十年間における、


 かつてウィーンと呼ばれた街=オーストリアの首都である壱百万都市ミリオポリスは、西暦二千二十二年の現在――世界的にみて国際都市である。

 なぜなら――〝いい加減、もうよそうぜそういうの?〟という人々の願いも虚しく相変わらず飢餓や貧困や紛争が続いている世界において、月間の銃死者数がこの都市は、至極しごく平和であるとしか言えないからだ。

 しかし、そんな平和なこの都市も二十一世紀以降――凶悪化する犯罪とテロの脅威という問題に晒されていた。

 そうした凶悪犯罪の一例――闇で手に入れた銃器で武装した連中による銀行強盗・店舗襲撃・人質占拠。国や都市や人種差別エトセトラ――国内外の様々な問題によりプッツンいった連中が、ある日〝ヒャッハー、ムシャクシャする時は犯罪に限るぜ!〟といった、はた迷惑な気分で銃をぶっ放す。

 ――お集まりの紳士淑女の諸君。我々は、腐敗した政治家どもが労働者の正当な賃金を搾取する前に、正しい回収をする者である!

 ――諸君が我々に協力的な善良なる市民である限り、君たち人質の安全は保障する!

 ――我々は無益な殺生は好まない。互いのためにも、我々が正しき行いを終えるまで不用意な行動は慎んでくれたまえ!

 リーダー格らしき男=左手に拡声器――右手に機関銃を見せびらかしながらの演説/次々と並べたてられる素晴らしい戯言ざれごとの数々。

 フロアの各所――男と同じように重装備に身を包んだ仲間たちが銃を構えている。

 銃を突きつけての名演説を粛々と拝聴する人質――このフロアへ集められた客と店員。

 拍手や賞賛の代わりに沈黙でもって、犯罪者に対し従順さを示す善良なる市民たち。

「さあ、そこのお嬢さん方も分かってくれたかな? みんなの迷惑にならないように、静かにしなくちゃあ、駄目だよ?」

 少女たちに近寄りながら、男がマスクの下からくぐもった笑いを漏らす。さらに呻き声をあげる年配店員を足蹴に――さながら獲物を弄ぶ肉食獣のような残虐さ――逆らったらこうなるぞ、と見せつけることで人質たちの行動を支配しようとしている。

 ジッと動かずにいる三人の少女――リーダー格の男=〝恐怖に身が竦んだ少女たち〟の姿に満足したかのように、その場を離れる。

 怯える人質/威圧的な武装犯――しかし鳴は、そのどちらに目を向けることもなく/倒れた年配店員と床に転がった彼の手を、ただ見つめていた。

 血溜まりに沈む手――銃弾によって千切れ飛ばされた、かつては人の一部だったもの。指の間から覗く血に濡れた丸い包み――鳴に渡そうとしたロリポップ・キャンディー。

 それらを透明な眼差しで見つめ続けていた鳴の手に、ふいに暖かいものが触れる――握り締めたその手を優しく包むように、響の手が添えられる。

「よく我慢できましたね。鳴はエライです」

 さもすると泣きそうになってしまう仲間を労いながら、響は奏を振り返る。

「……はあ。命令違反すると、奏が怒られるのよねぇ」

 奏――呆れるように二人と武装犯を見比べる/それから〝仕方ないわね〟といった様子で肩をすくめて告げる。

「申請――通ったわ」

 その声に応じるように、響と鳴がスッと立ち上がる。

 不穏な気配を察した武装犯たちが機関銃を構え直す――その間にも/三人の少女たちはその唇で、祈るように一つの言葉を唱えていた。

「転送を開封かいふう

 風鳴りのような音を発して、少女たちの手足が結晶のごとき幾何学的なエメラルドの輝きに包まれる。

 光の中で通常の機械化義肢が分解/直ちに置換――マスターサーバーから転送された〈特甲トッコー〉へと変貌する。

 次の瞬間――ショッピングモールのフロアを、三条の風が駆け抜けた。


     ***


 今世紀に入り、先進国の例に漏れず超少子高齢化社会の一途を辿るミリオポリスでは、慢性的な人手不足に悩まされていた。

 また国際平和都市として世界に認知される一方で〈ロケットの街〉とも揶揄されるミリオポリスでは、頻発するテロ対策にも悩まされていた。

 またまたテロを始めとする凶悪犯罪が続発するミリオポリスでは、そうしたテロ被害で孤児となった児童や障害を負った児童の社会復帰方法にも悩まされていた。

 そうした最中さなか、不足する労働力を補うため障害を負った児童を国が保護し、本人の意思によって四肢を機械化する治療を無償で行うと共に、そうした〝機械化児童〟らに職業訓練を施し、国家のために従事させる制度が成立。

 さらに優秀な機械化児童は特殊義肢ぎしを与えられ、治安維持組織のもとに優秀な人材として配属された。

 これによってX=「少子化による労働力不足」+「テロ対策のための人材」+「障害児童の社会復帰」――という方程式を成立させる、魔法のような解が導き出される。

 かくしてミリオポリスには、対テロ戦闘用に開発された〈特殊とくしゅ転送式強襲機甲義肢きょうしゅうきこうぎし〉――通称〈特甲トッコー〉を行使する〝特甲児童トッコーじどう〟が誕生したのだった。


「〈特甲〉の転送を確認。三名の特甲児童が、敵武装グループと戦闘状態に入りました」

 通信官の報告/それを聞いて眉間に深いしわを刻む男――睨むような目つきで部隊の配置を映すモニターを注視する。

 ショッピングモールへの武装グループの襲撃――その情報をミリオポリスの要するマスターサーバーによってしていた彼らの部隊/その戦術――予想襲撃ポイントに三名の特甲児童を配置・現地警官隊が現場を包囲・さらに後詰めの支援部隊を待機――インアウトからの連携で、迅速且つ確実に武装犯を制圧する作戦……のはずだった。

「せっかくこっちが万全な態勢バックアップを整えてやろうってのに……あのクソガキどもっ!」

 綿密に練られた作戦は、あろうことか味方の特甲児童の命令違反=態勢が整わないうちにその場のノリで特甲を転送/勝手に戦闘開始――によって、台無しとなっていた。

「そんなことはないわ。あの子たちの力を計るにはよい機会じゃない、八雲ヤクモ?」

。成人前の漢字名キャラクターで呼ぶな、エリザ」

 ニコリともせず答える男―――MSEエムエスエー副長ヴィーラント・八雲・ヴォルフ。

 たてがみのような黒髪/額に傷/装填された銃弾のような鋭さを放つ狼の目ウルフアイ――凍てつく大地で群れを率いる狼のごとき気高さ。

 通称〈人狼ヴァラヴォルフ〉=野生的な闘争心と冷静な統率力を併せ持つ男。ヴィーラントが振り返る――彼の背後に控える女性/補佐官のエリザベート・摩耶マヤ・ヘンケル。

「あら、私のことは昔のように摩耶って呼んで欲しいわね。ヴィーラント副長?」

 麗しき金髪/鮮やかな青い瞳アクアブルー/見るもの全てを魅了するかのような艶やかな微笑。

魔女ヘクセ〉の異名を持つ魔的な魅力を秘めた才女――かつての所属は兵器開発局/特甲児童の管理を一任されるエキスパート。

「あの子たちは、新たな管理体制による次世代型の特甲児童。その単独での実戦データが収集できるまたとない状況ケースだわ。これは今後の都市防衛構想においても重要なことよ?」

「それが俺たちの仕事だとでも言いてーんだろう?」

 凶悪犯罪が増加するミリオポリスには、治安の要として特甲児童が不可欠だった。

 ある程度の年月を経て、その認識はこの国の治安関係者にとって〝受け入れざるを得ない事実〟として浸透していった。

 その結果――兼ねてから公安が提唱していた全域警備思想による治安維持体制を国内の全域に発展/拡大させる計画が持ち上がった。

 すなわち、特甲児童の全州配備計画――さながら特甲児童のバーゲンセール。

 そのため多くの政治家+軍事関係者+治安組織の人間が、頭をつき合わせて話し合ったのち――〝まずは特甲児童という兵科をより効率よく、より効果的に、より少数精鋭で運用できるマニュアルを確立するために、テストケースとなる実践部隊を作ってみよう!〟ということになった。

 その結果、国内の治安組織の親玉たる〈憲法擁護テロ対策局BVT〉及びその直轄する特殊部隊――〈特殊憲兵部隊コブラ・ユニット〉内に特甲児童を運用するための部隊を新設することが決定。

 それらの経緯によって誕生したのが、この部隊〈ミリオポリス特捜機動隊ミリオポリス・スペツァル・アインザッツコマンド〉である。

機関銃ゲヴェーア持ったテロリストどもを、さらに強力な武器ヴァッフェを持たせたガキどもで狩らせるって訳だ。俺みたいな凡人にはとても思いつきそうもないクソッタレシャイセなアイデアを、こうして推し進めたのはどこのバカ野郎――」

 細い指先――摩耶=人差し指をヴィーラントの唇に当て、その先の言葉を遮る。

「あまり不用意な発言をするものではないわ、ヴィーラント。今は私たちの大切なあの子たちを見守っていましょう?」異名に違わぬ魔女的な微笑み。

 ヴィーラント――小さく舌打ち/側にあったマイクを乱暴に掴み取る/部隊の指揮官として号令=狩りを命じる狼の遠吠え。

蒼風アッシェ! 銀風ズィルパー! 桃風ローザ!――〈ラーゼン〉小隊、戦闘開始アル・シュトゥルム!!》

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