第53話 白雪姫は永遠に眠る 6
「あれが絶世の美女であるティムであるか」
この世界に於いてはシンデレラも白雪姫もこの世で一番の存在であっても、絶世ではない。
過去の想区において、もしくは世界のどこかに於いては、シンデレラや白雪姫と同じ姿をした人間がいるからである。
だからこそ空白の書の持ち主は、誰の模倣でもなく唯一性を持っている為に、その美貌は運命を持っている人間よりも必然的に価値が高くなる。
金が価値を持つのは希少だから、仮にガラスの方が希少な世界ならば、ガラスの方が価値が高くなるように。
「まるで女神の様、私など、足元にも及ばぬ程の美しさね」
王妃は、一目でティムの美貌に圧倒されて、自身との役者の違いを痛感させられ、歯向かう気力すらも奪われてしまう。
もしも自分と大して変わらない相手だったら、嫉妬や羨望といった感情も芽生えただろう。
しかし、「世界」が違う相手の事は理解が出来ない為に、そこに対抗心を持つ事は出来ない。
ティムがどうして美しいのか分からないし、どうやったらティムのようになれるのかなんて、一つの想区でしか生きた事の無い王妃には知る由もない事だ。
故に王妃はただただ圧倒された。
荘厳で巨大な神殿に来た時のように。
何が描かれているのかも分からないような抽象画の名画を見た時の様に。
ただティムの美貌の前にひれ伏したくなるような衝動を抑える事しか出来なかった。
そう感じたのは王妃だけではない。
他の人々も皆、ティムの美貌に圧倒されて、ある物は拝み、ある者は憧れ崇拝し、ティムを見た人間は皆、ティムの信者へと変えられていた。
それが、フェアリーゴッドマザーのかけた魔法の力。
一晩で王子を虜にし、並み居るプリンセスの中からシンデレラを一番に押し上げる魔法の力である。
この場において、ティムを害するのは不可能であろう。
仮に主役であっても、ティムを舞台から引き下ろすのは不可能だ。
その美貌には、それだけ強い影響力が込められていた。
「ん?、あれは王妃様じゃないかしら」
「あん?、どう見ても老婆だと思うが」
「あんなに背が高くて肌が綺麗な老婆がいる訳ないでしょ、王妃はお忍びの時は老婆の格好をするのよ、ティムくん、お近づきになって来なさい!」
「へいへい、任せとけって」
ティムはさらさらになったロングの髪をかきあげると、ゆったりと上流階級の女性さながらの優雅な動作で、王妃の元まで近づいた。
その様になっている動きに目を奪われて、王妃は警戒を忘れて魅入られる。
「初めまして王妃様、私は亡国の忘れ形見で名前をティムといいます、一つお願いがあるのですがよろしいですか?」
ティムの故郷である想区は既に滅んでいるので嘘は言っていない。
ただ、こう言った方がお姫様っぽく聞こえると考えたティムの方便である。
「あ、ああ、妾に何の用であるか」
王妃はティムの突然の訪問に狼狽えながら聞き返した。
「はい、・・・実は私にはある事情がありまして、王
妃様の持っておられる魔法の鏡を貸して頂きたいのです」
ティムは女装で気が大きくなっていた為に小細工はせず、単刀直入に聞いた。
アリシアは祖父に無心する孫の様なティムのあざとさに内心吐き気を催しながらも、ティム姫に付き添う侍女の役割に徹し、仮面の笑顔を貫いた。
「魔法の鏡、か、そうだな、あんなものでよければくれてやるのも吝かではないが・・・」
「本当ですか、ありがとうございます!」
思いの外簡単に話が進んだ事にティムは自分の女装が無駄にならなかったと安堵し、アリシアは自身の聡明さに慢心した。
「だが今はまだ渡せぬ、ティム殿、条件をつけさせて貰ってもよろしいか?」
「なんなりと!」
「私にはまだ役割がある、それを果たすまでは渡せない、ティム殿にはそれを手伝って貰いたい」
「役割・・・?」
「知っているのではないか、妾の役割とはそう、白雪姫を殺す事だ」
「渡り鳥さん、白雪が添い寝してあげるね、白雪が子守り歌を歌ってあげるから」
そんな調子の白雪姫にレヴォルはベッドに連れ込まれてしまう。
流石に小人用のベッドではレヴォルの体は収まらない為に、白雪姫の寝ていた「棺のベッド」にてレヴォルは眠る事になったのであったが、ならばと白雪姫は添い寝を言い出して引かなかった。
レヴォルとしても、ここまで世話になっておいて添い寝程度の事を断るのも忍びなく感じたので、渋々受け入れたが、密着して抱きつかれまですると、流石にちょっと落ち着かない。
良くない事をしている気持ちになってしまうのであった。
「・・・なんで俺と添い寝したかったんだ?」
上機機嫌に鼻歌を歌い出した白雪姫を見て、レヴォルはそんな疑問を口にすると。
「白雪はね、「愛」を知りたいの、お義母さんも王子様も、誰も白雪を愛してくれないから、だから白雪は渡り鳥さんに愛を教えて貰いたい、渡り鳥さん、愛を教えて」
そんな挑発するような白雪姫の言葉の真意を、レヴォルは吟味した。
「君が不仲なのは王妃だけで、父親とか王子様とかは君を愛してくれている筈だろう」
「お父さんが愛していたのは白雪のお母さんだけ、そもそもお父さんがくれる愛なんて全然特別じゃないし、王子様なんて眠っている白雪にキスして好きになるとか、そんなの本当の愛じゃないもん、だから白雪が起きている内に渡り鳥さんに本当の愛を教えて貰いたいの、渡り鳥さんは旅人だから、沢山の世界を知っていて、沢山の愛を見ている筈だよね、だから白雪に本当の愛が何か教えて頂戴」
そういう事かとレヴォルは得心した。
白雪姫は母親を知らない為に、母から与えられる愛情を知らず、愛に飢えているのだと。
こんなに小さな子がどうしてそんなに愛を追求するのか不思議にも思ったが、そういう事ならレヴォルにも答える事ができる。
愛とは何か、それを説くのは
「俺は愛とは、許す事だと思う」
レヴォルがお姉ちゃんから貰った愛、それはレヴォルを登場人物として認め、許すもの。
相手の主義主張を否定せず、相手の未熟さや愚かさを許せるようになれば、世界はもっと愛に溢れた物になるだろうと、レヴォルは思ったから。
「許す事が愛・・・、じゃあ許してくれないって事は愛じゃないって事?、叱ったり、厳しくしたりするのは愛じゃないって事・・・?」
レヴォルの語る愛とは、神様の与える愛である。
神様は存在しない物であるから、迫害される者も、罪人も、等しく許す。
でも人間が全ての物を許すというのは、ただの無関心に過ぎない。
神様の様に相手を救う力の無い人間では、相手を許しても誰も救われないのだから。
博愛とは裏を返せば何も執着しない、何も愛さない事と同義にも取れるのだから。
だからきっと、人間にとって許す事は、愛の対局にあるものになるのだろう。
「勿論、叱ったり厳しくしたりするのも愛だ、愛の形は一つじゃない、感じる心さえあれば、どんな行為にも愛は感じられるし、心が無ければどれだけ愛されても気付かないものだ」
「じゃあ白雪が愛を感じないのは、白雪に愛を感じる心が無いからなの?」
「それは・・・」
どうなんだろう。
白雪姫ほどの愛らしさだったならば、愛されないということは無い筈だけれど。
でももし、周りにいる人間が皆、愛らしい白雪姫を前にして、一様に同じような形で愛情を注いだら。
生まれたての赤ん坊や、愛玩動物に与えるような愛情しか与えられて来なかったならば、白雪姫が、自身が受けている愛情が本物なのかを疑っても仕方ないのかもしれない。
想区という世界に生きている人間は、客観性を持たない狭い世界の中で生きている。
桃太郎が正義で鬼が悪という風に。
そんな絶対的二元論の中で価値観を固定されているが。
この渡り鳥の想区においては、正義とは絶対ではない。
きっと、渡り鳥が空白の書の持ち主だったからこそ、物語に「客観性」が与えられている為である。
だから、主観しか持たない白雪姫は、自身の受けた愛情を知る事が出来ない。
そしてそれを教える役目は、この世界に於いて唯一の客観性を持つ、空白の書の持ち主にしか出来ない事なのだろう。
(この想区の異質さ、それは唯一渡り鳥の存在ありきで物語が進んでいる事なのか・・・?)
渡り鳥は空白の書の持ち主であり、何の運命にも縛られていない為に、本来は何もしない舞台の外の観客に過ぎないような存在の筈だ。
その渡り鳥が舞台に立つ事を強いているという事は、何かしらの強制力が働いているという事。
つまり、この想区は創造主の力によって在り方を歪められているという事になる。
(だったらここが終点という線は濃厚になるか)
客観性という単語から少し思考が脱線したが、レヴォルは白雪姫の疑問に答えた。
「白雪姫はまだ子供だから愛が分からないだけだよ、感じてない訳じゃない、俺だってそうだ、大人になってから感じる愛もあるんだ」
「そうなんだ・・・だったら白雪には一生分からないなぁ」
「え?、なんだって」
「ううん、何でもないよ、いつか白雪も本気で人を愛せる様になれたらいいなって、それだけ、ねぇ渡り鳥さん、もっと愛について教えて、・・・例えば恋人同士が愛を確かめるにはどうしたらいいの?」
「俺には恋人がいないし分からないから・・・愛の伝道師に頼んでもいいか?」
その後ヨリンゲルに接続して長時間愛の説法をしたレヴォルは、気絶する様に眠った。
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