第48話 白雪姫は永遠に眠る 1

 前髪が凍るような吹雪を受けながら、一行は雪原を歩いていた。

 新雪を踏み込むのは足に重りをつけるよりも不自由であり、その速度は平時の半分ほどだろうか。

 険しく、厳しく、そしてどこまでも未知が広がっていく道のりを、ただひたすらと踏みしめる。

 旅の大半は、人や物との出会いと発見よりも、その何も無いような道すがらに費やされているのである。


「はっ・・・くしゅん」

「大丈夫かお嬢サマ、俺の上着も貸そうか」


 ティムの気遣いにアリシアは心配無いと首を振った。


「平気よ、重ね着しているし、歩いて体だって動かしてるんだから」

「だが女性は冷え性が多いって聞くし、この先何があるか分からないから、心配し過ぎなんだろうがもっと暖かくした方がいいのではないだろうか」


 風邪を引いたり、冷え性が原因で女性特有の体調不良があるかもしれないと、レヴォルはティム以上に神経質で女性優先レディファーストなお節介でアリシアを気遣う。

 流石そこまで言われてはお転婆娘であるアリシアでも断り切れない。


「・・・じゃあ、お言葉に甘えて、テイムくん、レヴォル、ノイン、私の右斜め前方に立って壁になって頂戴」

 アリシアの言葉通り三人はアリシアの前にくっつきながら歩いて、アリシアの壁となり北風を受け止める。

 寒さに慣れているレヴォルですら厳しいと思う吹雪だ、これをアリシアに受けさせるのは男として見過ごせる物では無いだろう。


「はぁ、それにしても寒くなって来たわね、ジルドレの想区の頃はまだ暑かったのに、この想区はどうなっているのかしら」

「・・・そういえば想区の外に出ると、時間の流れは変わるんだったよな」

「でもここは渡り鳥の想区という一つの想区だから、時間の経過による季節の変化は関係無いはずよ、恐らく北に向かっているからじゃないかしら」

「だったらいいんだがな」


 レヴォル達が北西に向かって歩き出して約二週間、簡素な地図からは想像もつかない程果てしなく距離が開いていた為に、道中はお金を払って行商に運んで貰ったり、馬を買ったりして、砂漠を越え、森を越え、川を越えて・・・、どうにか、この地まで辿り着いた。


「雪・・・」


 進めば進むほどに気温は下がっていく。

 白雪姫の舞台とは北国だったろうかと素朴な疑問が思い浮かぶが、だとしてもレヴォルにとって雪は懐かしい物だった。


「なぁ、雪ってなんで白いんだろうな」


 ふと、吐息の白や雲の白、それらと同じ白を、何故空から降る雪が持っているのかに思考が及んだ。

多分、この過酷な道程に脳が現実逃避を試みたのかもしれない。


 雪は解ければ水になる。

 水は透明だし、雪を溶かした水を凍らせても白にはならない。

 だったら雪の白色はどこに消えたのか、ふと、科学を持たないレヴォルは疑問に思った。


 そんなレヴォルの呟きに三人は頭を悩ませるが。


「・・・多分、白と透明って、概念的には同じ物なのよ、薄い白が透明で、濃い透明が白、そういう風に定義すれば、雪の白に説明がつくんじゃないかしら」

「・・・確かに、吐いた息の白も直ぐに溶けて消えるし、透明なガラスについた傷は白い、だったら白と透明が同じ物でもありえなくはないか」

「そう、きっと白を極限まで薄くしたものが透明なのよ、だから白と透明は濃度の違いだけで、本質的には同じだと定義できるはず」


 光の定義を持たない四人は、取り留めのないその話題に取り敢えず納得した。

 雪は白いもので、だからこそ風情を感じる。

 その心だけは仮に白が持つ性質が、本来の無垢さや純粋さだけでは無かったとしても、そう感じる心だけは変えられないのだろう。

 白は透き通る物であり、無垢な色である。

 その認識は、きっと多くの人が共有する固定観念なのだから。




「終わりの時が来たのね」


 混沌の調律の巫女。

 この想区においては、創造主さえも凌駕する権能を持つ彼女は、自身の使い魔である蝶の知らせにて、レヴォル達が白雪姫の想区まで至った事を知った。

 白雪姫の想区は彼女にとって最後の砦であり、言い換えればレヴォル達はもう自身の喉元まで迫ってきているという事でもあるが。

 彼女はその事を慶事として捉えていた。


 永遠に渡り鳥を待つ。

 彼女がその結論に至ったのは自ら望んだ事では無かった。

 渡り鳥が行方不明となり、当初はその安否を疑いつつも帰還を信じていたが、時が流れて行く中で絶望し、混沌の力を宿して永遠の命を得た。

 その永遠に等しき時間を生きる中で彼女は次第に壊れていき、自害を試みた事もあったが、それを彼女の「イマジン」は許さなかった。

 精神が摩耗し、大切な思い出の記憶が劣化し、自身の人格さえもが異常をきたしたとしても、「イマジン」は彼女を守るという存在意義を忠実に果たし、地獄とも呼べる悔恨の日々を継続させた。


 その日々の中で。

 少女だった者が、渡り鳥との再会よりも自身の消滅に救いを見出したとしても、仕方の無い事だろう。

 渡り鳥には、彼女に手を差し伸べる事が出来なかったのだから。


「さて、永遠とわの白雪姫、あの悪夢の魔女に彼らは打ち勝てるかしら、ね」


 どちらにしても白雪姫の想区を超えない事には彼らはここまで来れない。

 そして少女は、かの白雪姫の怖さをよく知っていたが為に、彼らが白雪姫の想区を越えられる事を期待しない。


 あくまで彼女の興味は、特別な少女であるエレナの、絶望による創造主への覚醒に向けられている。

 渡り鳥の旅路の再現は、駄目元のサブプランでしか無いのだから。


 ガラスの棺に寝かされたエレナのどこまでもあどけなく無邪気な寝顔を見ながら、少女は彼女の未来を思案した。

 彼女がもしも、自分の王子様を失った事を知ったらどれ程の後悔と絶望にその身を染められるのか。

 今から自分が成そうとしている非道を、かつて自分が感じた痛みを、エレナに与えようとしている事に罪悪感が無い訳では無い。

 しかし、渡り鳥の想区の完結と渡り鳥の再来。

 この二つが同等イコールである限り、彼女は多くのものを背負ってこの修羅の道を歩んできたのだ。

 だから引き返せないし立ち止まる事は許されない。

 彼女の救いは、地獄の底にしかないのだから。


 しかし、彼女はまだ知らない。

 エレナにとっての王子様が誰なのか。

 レヴォルが誰の王子様なのかを。




 人は届かぬと知っても光に手を伸ばす。

 立ち止まれば絶望という沼に飲み込まれてしまうから。

 だから、恐れ、諦め、苦しみにのたうち回りながらも、絶望という死から逃れるためには進むしかない。

 だからこそ私は思う。

 満ち足りた人生、なんの未練もなく死に至るというのは欺瞞でしかないと。

 人は死に至る時に、等しく絶望を感じて死ぬのだと。

 そうでなければ私は救われない。

 死という救いに救って貰えないのなら、私は死を乗り越えなければならない。

 だって。


 人の生などに価値は無いと証明できなければ、私の生はあまりにも不憫なのだから




 光ある所に闇があり。

 始まりがある所に終わりがある。

 この二元論は不可避にして絶対の法則である。

 であるならば。

 これらの物が同等の物である事は疑いようの無い真実である。

 何故なら、からだ。


 英雄ある所に宿敵あり。

 富豪ある所に貧者あり。

 そして。




 この勝者と敗者がどうしようもなく分けられた世界。

 彼らは運命を持たないが故にどこまでも中立なのだ。

 だからこそ彼らは問いかける事ができる。

 正しい人の営みを、その在り方を。


 勝者の未練を聞き、敗者の嘆きを聞けるのは空白の名を冠する彼らだけ。

 だからこそ私は彼らに教えて貰いたい。


 私が生まれてきた、本当の意味を。

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