運命製造者~ウンメイカー~

光杜和紗

運命製造者~ウンメイカー~

プロローグ

店主と常連客の話


 事の発端は、とある男と女の小さな言い争いだった。


 まずは街だ。


 一世紀前は技術の最先端をゆく土地だったが、古き良きものを残そうという政府の方針でレトロな建造物が数多く残っている街。

 

 男にとって「伝統の残る歴史的な街」、

 女にとって「古臭いだけの流行に乗り遅れた街」である。


 次は時計塔。

 街の中心部に聳える古い建造物について。


 三階建てが精々といった昔ながらの住宅や店舗が並ぶ街並みで、時計塔は背が高く目立つ。煉瓦造りの高さ五十三メートル。

 四面に向いた四つの時計は、一世紀前から寸分違わず時を刻み、街の人々に時の経過を教えていた。


 男はそれを「天まで美しく聳える街のシンボル」と褒めるのだが、

 女はそれを「遠くから見る分にはいいけど、近くで見るとでかくて邪魔」と酷評する。


 そして、時計塔の巨大な鐘によって響き渡る荘厳な音を、

 男は「天にも響き渡る美しさ」と称賛するが、

 女は「遠くから聞く分にはいいけど、近くで聞くとただの騒音」と吐き捨てた。


 話題の焦点はさらに絞られ、時計塔喫茶とけいとうきっさrencontreランコントル〟。


 男曰く「僕の営業する知る人ぞ知る秘密の喫茶店」、

 女曰く「冴えない変わり者が経営する寂(さび)れた喫茶店」である。


「時計塔の一階にある僕の店より近くで鐘の音を聞ける場所はないよ」

「中にいちゃ肝心の時計塔は見えないし、うるさすぎて新規の客が増える気配なし」

「僕に恋愛相談をしに来るお客様は結構多い」

「他人の恋愛ばかりに構って、恋人いない歴何年目に突入しているんだか」


 話題の焦点は遂に互いへ。

 時計塔喫茶の店主と、その店の常連客。


 時計塔喫茶ランコントルの店主の男。

 常連客の女曰く「変わり者の店主」。


 そしてその店の常連客の女。

 店主の男曰く「変わり者の常連客」だそうだ。



 ――先程から街やら時計塔やらについて語っているのが、この二名である。



 電子機械が躍進を遂げている時代に、わざわざ古い街の古びた時計塔で喫茶店を営む物好きな男。

 彼の名を知る者は、この街には少なかった。


 喫茶店を経営するという夢を胸にこの街へと引っ越してきた男は、空き物件だった時計塔の一階を買い取り、一人で経営を切り盛りしている。

 お人好しでロマンチストな彼は、すぐに街に馴染んだ。

 それだというのになぜ店主の名を知らない者が多いかといえば、彼は大抵の場合「マスター」と呼ばれるからだった。

 三十五という比較的若い年齢で時計塔の一階を買い取った店主を、数少ない常連客達は謎めいているとはやす。

 だが、彼本人にしてみれば、彼自身の今までの人生はなんら変わりの無い平凡なものであった。


 自分の店を持つという夢の為に三十歳まではサラリーマンとして我武者羅に働いて貯金をし、仕事の傍ら経営について学んだ。

 歴史ある建造物の一部を買い取れたのは、たまたま親戚がこの時計塔の管理を任されていたために身内割引で安く買い取れただけだ。

 ただ店主は専ら客の話や相談を聞いてばかりで、ほとんど自分の話をしなかったので、常連客の間でいつの間にかあれやこれやと想像を膨らまされただけ、というのが現実であった。


 それに、店主は自分なんかより余程変わっていて謎めいている人間を知っていた。


 数年前のある日、ふらりと店にやって来た若い女。

 以来週に五回は来店し、決まってカウンターの壁際の席に座り延々と一人でノートパソコンを操作している。彼女は居座る時間も長かった。


 ショートカットの髪は綺麗に脱色され派手な金色。本人曰く色を抜いた後に改めて色を入れているらしく、下品な金髪ではなく上品な金髪だそうだ。店主は違いがよく分からない。


 彼女はなかなか整った顔立ちをしている。


 小顔で、瞳は大きく、小さな鼻、ふっくらとした唇。素顔を想像するに愛らしい部類だろうに、化粧は反してきつい。只でさえ大きい瞳をアイラインで縁取り、眉毛と睫毛も金色、申し訳程度に桃色のチークが頬を彩っているが、唇に塗られた血のような紅のほうがよく目立っていた。


 服装もこれまた目立つ。

 まず全体的に黒い。派手な金髪だというのに、彼女の纏う服は黒をベースに紅や紫がポイントで入っている程度だ。

 服装は似通ったものばかりで、ワンピースやチュニックが多い。腰元が引き締まったデザインは彼女の細身なスタイルを際立たせ、広がる袖と裾は暗い雰囲気の色合いをフェミニンさで緩和させている。

 高さのあるヒールを履いており、それを含めれば身長は百六十センチ程。ピアスや指輪などの装飾品も古風なデザインが多く、ノスタルジックな雰囲気のあるファッションだった。


 歳の頃は二十半ばだろうか。

 化粧のせいで分かりにくいが、ひょっとするともっと若いかもしれない。

 学生ではないだろう。彼女の来店回数と居座る時間を考えれば、学生生活から彼女の生活リズムは程通い。


 ――初めの頃、彼女は必要最低限しか口を利かなかった。


「ホットティー。角砂糖は三つ。それと今日のおすすめのデザート」


 その三言を終えてしまえば、あとは誰とも口を利かずにキーボードの上で指を躍らせていた。


 喫茶店なんてものは、交流を楽しむか、一人の時間を楽しむか、両極端な目的のある場所だ。

 なので、最初の内は店主も大して気に留めておらず、声をかけるのも控えていた。


 繁盛とは程遠い喫茶店内で、彼女と二人きりになるのも少なくない。

 女は無言でパソコン作業に没頭し、店主は暇つぶしにカウンター内でお気に入りの雑誌を読む。人気のない閑散とした店内だというのに、二人の間にある距離は一メートルもないカウンターの幅だけだった。


 そのうちに店主は彼女の存在がやけに気になってきた。


 圧倒的に来店回数の多い彼女。

 共に過ごす時間も長く、顔を上げればすぐ傍にいるのに、二人の間にある距離が酷く遠く、違和感を覚えた。


 そして二人きりの際、思いきって声をかけてみたのだ。


 言葉を交わして分かったのは、彼女は人見知りというより我が道を行くタイプの人間だったことだ。


 冷淡な表情と単調な話しかた。

 毒舌で、現実主義だった。


 以来、今日に至るまで時たま言葉を交わすうちに、会話の数も増え、いつの間にか彼女には自分の話をすることも多くなった。

 というより、女があまりにも自分の話をしないので、会話をするには店主が自分の話をする必要があったのだ。

 だが、結果的に店主にとって今や彼女は、この街で一番気のおける存在になっていた。


 そんな謎の女と店主の互いの評価は、

「恋のキューピッド気取りが大好きな夢見る夢男(ゆめお)さん」と

「屁理屈ばかりと思いきや予測不可能なことをする爆弾娘」だった。


 このように二人の意見は相反することが多く、軽口の叩き合いが店主にとって日常の一コマになっていた、そんなある日。

 いつものように皮肉や屁理屈で店主の言葉を否定しにかかる女に、店主は何の気なしにこう言ったのだ。



「君、運命とか信じないタイプでしょう」



 ロマンや夢を語っても、同意して貰えるわけではないのは長い付き合いで重々承知。しかし、女のあまりにもクールな口ぶりには些か気が滅入る。

 眉間に数本の皺を刻みながらも、言われるより先に紅茶のおかわりを用意して、丁寧に音もたてずカウンターに置いた。


「そんなことないけど」


 いつもと同じ、カウンター席の壁際に座っていた女は、角砂糖が三つ入った甘い紅茶を啜り、平然とした顔で答える。

 その様子に「本当かなぁ」と疑わし気な視線を向けた。

 先程までの彼女の発言を思い返せば、運命など真っ先に否定しそうなものである。


「ただ、運命は偶然でも必然でもなく、作るものだと思ってる」


「はい?」

「運命なんてようは思い込み、気の持ちよう」


 ――これまた夢のない話を始めたぞ。


 思わず店主がうんざりする傍らで、女は「でもまあ、論より証拠ね」と一人頷く。


「ということで、実験します。ご協力お願い致します」


 いきなりお願いをされても、そもそも何の実験かも分からず首を傾げてしまう。今の会話の流れから、どうして実験なんてものに結びつくのだろうか。


 いつもの通り予測不能で突拍子のない言葉を口にした女は、紅で彩られた唇に弧を描き、その単調な声に少しだけ楽しそうな色をつけ、そして言ったのだ。



「この店で運命を作るのよ」

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