第2話

「仕事は楽しい」

 世の中の成功した人はそう必ず言わねばならないらしい。さもエネルギッシュで社会の役に立つ人材のように見えるし、家庭をかえりみないのも友人が少ないのも全て仕事のせいに出来るので中々便利な言い回しでもある。だから私もそう言うことにやぶさかでない。

 仕事は楽しい。

 二十一世紀の始めにどこからともなく現れて我々の文明を半壊させたあの謎の生物。その研究が私の仕事だ。某国の開発した生物兵器であるとか、新種のウイルスによって人間が病変したのだとか、宇宙から来たエイリアン説まであるが、依然としてその正体は謎に包まれたままである。その闇に光を照らすのが私たちの研究であるはずだが、その成果がこの巨大な闇に対して微々たるものに過ぎないのは内心忸怩たるものがある。研究設備が不十分であることは言い訳になるだろうか。

 結婚して九年になる。

 夫は同じ研究所に勤めている。

「ラブラブでいいわねえ」

 などと同僚の独身女性研究者によく冷やかされる。

 私は私たち夫婦の演技力の確かさと、そして独身者への優越感で内心笑う。

 私たち夫婦は決して危機的な冷えきった関係ではなかったが……新婚時代の情熱が失われていたのも確かだった。

 どうしてだろう?

 子供がいなかったのが良くなかったのだろうか?

 あるいはもっと日常的で些細な優越感のやり取りが夫婦仲を疲弊させてしまったのか。

 夫は比較的温厚な人であるのだが、私は日常の細かなやり取りについても、いちいち相手をやっつけて、論理的に屈服させて、感情を満足させるような所があった。学生時代の渾名は清少納言。相手の欠点・弱点・ミスなどを心のノートに書き溜めておいて、十分に溜まったと思えるポイントでぶちまけてやるのである。同じようなやり方で時に夫から逆襲されることもある。夫は私の担当している家事の至らなかった点を現行犯的に指摘して「これは何だ」などと言う。

「君は言っていることとやっていることが違うな」

 などと言う。私は夫の言葉の三倍の言葉を使って弁護と反論に勤しむ。そんな程度の瑕疵を糾弾する夫の陰湿さにうんざりする。これでは夫婦仲もいくらか冷めて当然だろうか。

 そういう生活も九年も経つと、お互いに適度な距離を作ることを自然に学ぶ。家ではあまり口をきかない夫婦も人前ではおしどり夫婦を演じることが出来るようになる。ダーウィニズムの話を持ち出すまでもなく、生き物というのはそんな風に環境に合わせて少しずつ変わって行くのは当たり前のことである。



 少しずつ――ではない変身現象が起きることも時にある。新生物の話だ。

 あの「K626」が私に素敵なキスをプレゼントしてくれた日の午後、研究所に新生物の新たな個体が運び込まれた。

 セーラー服を着た若い牝だった。

 そうセーラー服。

 この個体はつい昨日まで「人間」として、普通の中学生として生活していたのである。それがどうしたことか怪物として変身し、クラスメイトを襲い、ハンターに取り押さえられてここに送り込まれたのだ。

 悲しむべきことかも知れないが、このような変身現象は珍しいことではなかった。むしろ「よくある」ことだった。こういうことが「よくある」ために私たちの文明はこんな狭い要塞町の中に押し込められているのだから実際悲しまなければならないのだが。

 この変身現象についての解釈は我々研究者の間でも二つに分かれている。

 未だ発見されていないウイルスの感染によっての病変とする説と、もう一つはその個体は元々新生物であったとする説である。

 元々というのは生まれつきという意味である。

 生まれた時から新生物だったものが、ずっと人間として擬態していただけだという説である。

 生まれた時から……というのはつまり親が新生物だったということである。

 親が新生物とはどういうことかといえば……人間の女が新生物と交わったということに他ならない。私はこれ以上の説明を躊躇する。

 このウイルス説と擬態説は私たちの研究所の中でも意見が二分されている。例えば私の夫はウイルス説であるが、私は擬態説に与しているといったように。

 同じ研究所であるが私と夫は別の研究チームに属し、それぞれ別の角度からこの生物の謎に挑んでいた。そうしてあのセーラー服の新しい個体は私のチームが取り扱うことになった。

「M136」がその新しい個体の識別番号になった。

 

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