キャリアウト〜Hold over operation

らくだ

第1話獅子はまだ眠っているか

 時々、なぜ俺がここにいるのか不思議に思うことがある。見渡せば、三歳から四歳までの少年、少女、あわせて八人の子供達が、およそ十畳ほどの狭い部屋の中で、無邪気にはしゃぎ回っている。

 ここは都内の郊外にひっそりと佇んでいる、小さな児童福祉施設『みどり保育園』の年少組の教室である。俺は、その年少組みのセンセイをやっているわけだ。ここの入園者は、年長、年中、年少、全てをを合わせて、せいぜい三十人。各学年、クラスは一つずつしか設けられておらず、クラスには、午前と午後の二人の先生がついている。その三クラスの先生の合計、プラス園長先生一人を加えた七名が、日曜祝日以外の日は、ほぼ毎日ここで働いている。ちなみに、俺は午後担当だ。

 施設が小さいわりに、ここを利用する保護者達の評価は高く、安心して子供をあずけられる、と評判である。この保育園は施設のセキュリティー設備に関しては、かなりの金をつぎ込んでいるので、そうしたところが保護者達にウケるのであろう。あと、各優秀な先生方の優秀な指導方針も後押ししているのかもしれない。まあ、”優秀な先生”というのは、俺を除いた人のことをいうのだが……。

 さて、そろそろ話を戻そう。そもそも、俺という人間は、こんな”まっとう”な……ましてや保育園、などという場所には似つかわしくない……というよりは、むしろ居てはならない存在なのだ。なぜなら、俺はもうじき三十になるオッサンだし――もうそこでも微妙なのに――加えて、俺の過去の職業である。

 俺は十五のときに両親を車の事故でなくし、その三年後、横浜で出会ったアメリカ人の男から、プロの賞金稼ぎのスカウトを受けた。何でも、以前、偶然俺が国際指名手配中のテロリストのボスを、酒場の喧嘩でのした手柄を買ったらしく、身寄りのない俺は、プロになるまでの生活を保障する、という条件のもと、彼に半ば強制的にアメリカへ連れて行かれた。そして約一年の養成訓練を経た後、俺はフリーの賞金稼ぎになった。賞金稼ぎとは、懸賞金のかかった指名手配中の犯罪者を捕まえて警察に引き渡すことを専門にする、ヤクザな連中のことだ。しかしアメリカは、そんな彼らを国家で容認し、ライセンスまで持たせている。

 かくして、俺はそんな賞金稼ぎの仲間入りを果たし、十年という年月を、「賞金稼ぎ」という看板を掲げたままアメリカで過ごした。そんな商売を十年も続けていると、しっかりやっていれば金には困らないが、その分命が危険にさらされることが多い。無論、それは俺にも例外ではなかった。殺らなければ殺られる、そういう世界において、犯罪者を生け捕りにするのは、技術的には当然難しく、同時に自分の身も危険なため、やむなく殺してしまうことは多々あった。

 そして俺はこう思い始めた――俺は、もうカタギには戻れない――と。

 しかし実際問題、現在、俺はここに居るわけである。今に至るまでには、いろいろと説明しなければならないのだが、その話はまた後ほどすることにする。

「さて……ぼちぼち、アガリの時間かな」

 俺は窓の前に立ち、この保育園のユニフォームのピンクのエプロンから、キャメルを一本抜き、火をつけて煙を吹かした。

 とたんに子供達が声を上げる。

「あ〜! また幸平が煙草吸ってる!」

「美由紀センセイに怒られるぞ」

 しかし俺は無視して煙を吐き続けた。すると――

「あ、佐伯先生、教室で煙草吸っちゃダメだって言ってるじゃないですか、いつも!」

 背後で聞きなれた女の声が響いた。振り向くと、例の『美由紀センセイ』が、腰に手を当てて仁王立ちしている。百七十センチと女性にしてはわりと長身で、年齢は二十歳、本名を安達美由紀という彼女は、夜間の四年制大学に通いながら、午前中はこの保育園の年少組で保母のアルバイトをしている。セミロングのブラウンの髪が印象的な、なかなかカワイイ娘だ。

「早く消してください」

 彼女は形の良い唇を尖らせて咎めた。

「へいへい、すみません」

 俺は溜息混じりに謝って、吸いかけのキャメルを携帯灰皿に落とした。

「美由紀ちゃんにはかなわねぇや」

 まったく、やれやれだ。子供達から「また怒られてるよ」だの、「ば〜か、ば〜か」だのと容赦ないヤジがとぶ。いいオッサンが子供にバカにされるとは……情けない限りだ。

「それより美由紀ちゃん、こんな時間に何か用かい? 学校は?」

 時計を見ると、時刻は夕方の六時になろうとしている。

「うん、ちょっと忘れ物をしたんで、それを取りにくるついでに寄ってみただけです。学校は今から」

「そっか、気をつけて行きなよ」

「はい。あ、それと……」

「何?」

「事務室に来てますよ、例のお友達」

「……? ああ、ラルフか」

「そう、”スケベ”のラルフさん」

「また口説かれた?」

「そりゃもう、他の女性の先生にも手当たりしだい」

「毎回すまないね、アレもあいつの性分なんだ、許してやってくれ」

「いいですよ別に。それより、もうすぐアガリでしょ、後で行ってあげてください」

「わかった、ありがと」

 言い終わると、美由紀は出て行き、それから程なくして午後の保育の終了を知らせるチャイムが鳴り、俺は事務室に向かった。

 事務室のドアを開けると、長身の白人、ラルフが居た。事務室の中には、中年のオジサン園長と、保父、母の人が三人居て、うち二人いる若い保母さん達と、ラルフは楽しそうに話していた。

「おい、馬鹿ラルフ」

 俺は彼に向かって言うと、自分のディスクの椅子に腰を下ろし、改めてキャメルに火をつけた。

 ラルフは、保母さん達に「じゃ、後で」などと言って別れると、軽い足取りで俺の前までやってきた。そして無礼にも俺の向かいのディスクの上に、どっかりと足を組んで座った。

 俺は思わず園長先生の方を見たが、彼は怒るどころかニコニコしている。なぜかこのラルフという無礼者は、ここの先生方と仲がいい。思うに、彼の陽気なキャラクターが、存外、他の先生方の好印象を呼ぶのであろう。

 このラルフという男、今では駅前英会話学校の講師をやっているが、数年前までは、昔の俺と同業者だった身だ。今では、すっかり引退したらしいが。

「何か用か?」

 俺は煙を淡々と吐きながら、無愛想に言い捨てた。

「いや〜、相変わらず美人の多いところだな。用事がなくても毎日来れる」

 ラルフは流暢な日本語でおどけてみせる。用事がない、というのは、見え透いたブラフだ。

「また、麻雀の誘いか?」

 俺はうんざりしながら訊いた。

 ラルフは「いいや」と言って、何か意味ありげにニヤリと笑う。

 俺が訝しげに眉を吊り上げると、彼は笑みを浮かべたまま言った。

「ちょっと、”昔話”がしたくてな」

「………」

 無言でラルフの目を覗き込むと、そこには先ほどのおどけた様子を微塵も感じさせない強い光を宿していた。

 俺は、それでおよその用件を察した。

 俺はキャメルを灰皿に押し付けると、立ち上がって彼に告げる。

「いいだろう、外で聞こうか」

「分かった、俺は先に車を出してくる」

 言うと、ラルフは足早に事務室を後にした。

 俺はロッカーにエプロンを掛けると、残る先生達に挨拶をして、彼の後を追った。

 駐車場に停めてある自分の車に向かいながら、ふと、今自分の中で、何かが高ぶってゆくのを感じた。 



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