冴えないヒロインの輝きかた

「なによあんた。最近調子乗りまくっててちょっとイラッとするんだけど?」


 十月も半ばを過ぎ、あたしの膝を叩く風も大分冷たくなってきた。秋の新アニメも初回が一通り放映され、今シーズン一押しのアニメはこれだという目星も立ってきた今日この頃。

 通称探偵坂を昇りきり、玄関のドアを開けた瞬間、あたしは不機嫌そうな女の子に出迎えられる。自慢の金髪ツインテールはぴたんと下に垂れて、その細い目はきゅっとあたしを睨んでくる。


「ねぇ英梨々? あたしそんなこと全然一ミリもないつもりなんだけど、どうかな?」

「ないわね! ありえないわ。」


 全くなんだというのだろう。

 今日の英梨々はいつも以上にあたしにつっかかってくるんだけど……?


 ☆ ☆ ☆


「そもそもあんたがいつになってもゲームの絵を仕上げないから、あたしが手伝うことになったんでしょ!」

「そこはごめん、英梨々……」


 そう。今日は英梨々とあたしの二人でゲーム合宿をすることになったんだ。ちなみに他のサークルメンバーの二人、恵ちゃんとエチカがここにいないのは、二人の担当分はほぼ終わっているため。『残りは絵が仕上がってからにしよう?』と恵ちゃんがそう言うと、誰も反論できる人はいなかった。

 うん、間違えなくあたし一人の進捗遅れ。それは言い逃れできそうもない。


 ちなみに今日恵ちゃんはというと、ここから見えるタキ君の部屋で、あたしたちと同じように『blessing software』の合宿中なんだとか。そりゃあっちは伝説の超大手サークルだもんね。いよいよこれから仕上げに向かって佳境に入るともなると、恵ちゃんをこっちに巻き込むわけにいかない。


 こっちは、元々はあたしと兄の二人だけの弱小サークル。

 今でこそサークル名はそこそこ知名度があるけど、半ば遊びでやってるサークルには違いないし。


「でも英梨々? あたしが謝る理由はあるかもしれないけど、調子に乗ってる理由はどこにもないと思うんだけど……?」


 英梨々の家のキッチンを借りてお湯を沸かし、紅茶の葉をティーポットに入れる。タキ君は英梨々のことエセイギリス人と呼んでたりするけど、やはり澤村家に来たら紅茶が一番美味しい。

 ちなみに英梨々はあたしが紅茶を煎れてる間、手伝うこともせずにただ椅子に座ってスマホを弄っているけども。


「この前霞ヶ丘詩羽がここにやってきて、聞いたわよ?」

「えっ?」


 あたしが紅茶を煎れ終わって椅子に座ると、英梨々はそう言いながらあたしに微笑みを返してきた。


「アニメ化、決まったんだってね。おめでとう。」

「……うん。ありがとう。」


 唐突にそんなことを英梨々に言われて、あたしはほんの少し、恥ずかしくなった。


「しかも真由がキャラデザとか笑っちゃうよね~。普段こんなに泣き虫なくせに。」

「……ごめん英梨々。それを英梨々にだけは絶っ対に言われたくないっ!」


 まぁあたしも泣き虫なのは素直に認めるけど。

 お互い泣き虫な絵描き同士、仲良くしたいなんて思わなくもないけどね。


「ま、でも納得はしたわ。恵に真由の絵を見せられたときには何が起きたかわからなかったけど、夏休みの間中、あの鈴城古都子に手取り足取り教わってたらしいじゃない。さすがにそれってずるくない?」

「紅坂先生の一番弟子さんにそれを言われるとは思わなかったけど……?」

「冗談じゃないわ。あんなのの弟子だなんてまっぴらごめんよ! それより鈴城古都子に決まってるじゃない! だってあの、『いい意味での原作殺し』よ? あたしも教わりにいこうかしら?」

「う~ん……鈴城さんずっと忙しそうだし、教えてもらえるかは……?」


 英梨々にあたしはそう答えてみたものの、でも本当は英梨々の言うとおりだ。

 あたしはこのタイミングで鈴城さんに出逢えたことは幸運なことだった。あんなに忙しい鈴城さんに、毎日いろいろ教わっていたんだもん。英梨々に妬まれても仕方ない。だからこそ、アニメ化される『純情ヘクトパスカル』の成功で、鈴城さんやP-1アニメーションの方々に恩返ししなくては。


 でも、鈴城さんがあんな風にいろいろ教えてくれたのは、『純情ヘクトパスカル』のアニメ化の話があったから……?

 もしアニメ化の話がなかったら、あたしはP-1アニメーションにバイトとして入って、そのままバイトのままだったかもしれない……?


 ……ううん。そんなこと考えるのは止めておこう。

 そんな邪推、それこそ鈴城さんに申し訳ないよ。


「でも、本当にアニメーションのバイトをやって良かったと思ってる。あたしはもう絵なんか描けないかもしれないとか、そんな風に思ってたから。」


 なんにせよ、あたしが立ち直るきっかけを与えてくれたのは事実だったから。


「そうよね~……紅坂朱音に髪を切れだの尼になれだの、言われたい放題だったものね。あの時の真由を見てたら、本当に山にでも籠もって一ヶ月後に変死体で見つかる未来を想像してたわ。」

「あの~英梨々? 人のことぐさぐさ刺しといてそこでトドメまで刺すの止めてもらえないかな~?」

「だってお義姉さん本当に心配したんだからね。ずっと泣きそうになりながら、そのままあのビルの屋上から飛び降りちゃうんじゃないかって。」

「いやだからあのね、英梨々……!!?」


 もはや暴走機関車のような英梨々の口は止まることを知らなかった。

 ……そろそろそれくらいにしておこうね。


「でも待って。あたしもうひとつ真由に聞きたいことがあった気がする。」

「え……?」

「あの日って確か、今にもビルから飛び降りそうな真由に霞ヶ丘詩羽が近づいていって、そしたら今度は倫也じゃない別の男性が近づいていって、確か……」

「…………ん?」


 それこそ待って。なんだか嫌な予感がするんだけど。

 てゆかそれ以上思い出すことは絶っ対にまかりならん!!!


「そうよ思い出したわ。あの時真由、告られてたじゃん!!!」

「なんでその話を知ってるのかこっちが聞きたいですけど〜!??」

「そして嬉しさのあまり泣きながら会場を出て行って……」

「その『嬉しさ』ってなに?というよりありえない尾ひれを付けて遊ぶの止めようね絶対に!」


 英梨々の話は完全に明後日の方向に進んでしまい、もはやその話はどこから湧いて出てきたのかという具合だ。どうしてあたしがそれを『嬉しい』と感じる前提になっているんだろう。


「ひょっとして告られて嬉しいとか一ミリも感じなかったわけ? それは女としてどうなのよ??」

「えっとね英梨々。告られて嬉しいとか、それって当然の反応とは限らないと思うんだけど、どうかな?」

「じゃ〜真由はそんな誠意のこもった北田さんの告白を無下にできるの?」

「たしかにそれは北田さんには申し訳ないと思うよ。だけど、だけどね……」

「なによ真由? あんた男に告られたのって、本当に初めてだったの?」

「……………………はい?」

「別に好きでもない男に告られても何も感じないに決まってるじゃない。あんたって本当に男を知らないわね。」

「あの~急にちゃぶ台をひっくり返すの、そろそろやめてくれないかな〜……」


 あたしの男歴がどうとか言う以前に、英梨々のこの理不尽な会話、もはや完全に支離滅裂だよね?

 ただし、女子同士の恋話とかいう不慣れな会話の内容に、あたしがようやくやっと英梨々についていけたのは事実だった。所詮あたしはオタク女子に違いないもん。だから仕方ないよね。

 ……あ、あたしが男に告られたのが生まれて初めてだったのか否かという点については、ご想像におまかせでしたね。


「じゃ~真由はさ。北田さんじゃなかったら違う反応してたと思う?」

「北田さんじゃなかったら…………???」


 例えば誰だろう……?

 ……と考えるまでもなく、なぜかあたしはあいつの顔を思い浮かべていた。

 その瞬間、あたしは急に恥ずかしくなった。なぜ恥ずかしいと思ったのかわからないけど、ただ胸の鼓動が急に速くなったことは自分でも気づく程度に。


 てゆかなんであいつの顔がこんなところで出てくるのよ!??


「あ、顔が赤くなった。ほんと、真由は可愛いわね。わかりやすくて。」

「うっさい黙れ!! なんでもかんでも英梨々が思ってるとおりじゃないんだからね!」


 むっ。あたしはむきになって返すけれど、強く反論することはできなかった。

 あたしの考えてることは英梨々にお見通し?

 それはそれで、本当になんだかなぁ~だよね。


「そういうことよ。好きでもない人に告られても興味なんて湧くはずないんだから。」

「英梨々、最初に言ってたことと完全に逆のこと言ってるよね?」


 そう。あたしは北田さんに告られても何も感じなかった。

 北田さんに申し訳ないと思いつつ、だけど……

 でも、もしもそれが北田さんではなく、本当に好きな人が相手だったら――


「ねぇ英梨々? 英梨々だったら、もし好きな人に告白されたら……」


 だけど何気なく出てきたこの英梨々に対する質問は、どこかからともなくストップがかかった。

 だって、英梨々の好きな人って…………


 だけど英梨々はあたしの想像に反して、こんなことを言ってくるんだ。


「文雄さんならあたしにいつも優しい言葉をかけてくれるわよ。最高にいい人。」


 英梨々はにっこりと笑いながら……いや、どこか不敵な笑みを浮かべている。

 それは英梨々自身はあたしに対してしっかり笑おうとしているのかもしれない。


 ……だけど違う。あたしが想像したのは違う人。


 だってさ、英梨々はついさっきだって……


「英梨々? 今さっき、なんて呼んだ?」

「え? ……なによ。あたし何か変なことでも言ったかしら?」


 変なこと……なのかな?

 ただ違和感のある言葉が、あたしの頭の中にしっかり焼き付いていた。


「じゃ〜さ。もう一度、あたしの兄のこと呼んでみてよ。」

「文雄さん……? それがどうかしたの??」


 そう、これだ。


「ねぇ英梨々? 英梨々ってうちの兄と、付き合ってるんだよね?」

「そうよ。何か文句ある?」

「違うよ、そうじゃないよ。」

「何が違うって言うのよ?」


 その違和感は、ただのオタク女子のあたしにだってわかる。

 そんなの、何か変だもん!


「なんで自分が付き合ってる彼氏のこと、『さん』付けで呼ぶのかな?」

「っ………………」

「だってさ、英梨々の好きな人って本当は……」

「やめて真由。もうやめて!!」


 すると間もなく、英梨々は下をうつむいて、黙ってしまった。

 別にあたしだって英梨々を困らせようと思ってるわけじゃない。

 だけどなぜか、本当にこんなのでいいのかなって、ただそう思っただけ。


「ねぇお義姉さん。あたしがこんなこと言うの、お義姉さんは納得いかないかもしれないけど、あたしが力なれることがあるなら、話を聞かせてくれないかな。」


 すると英梨々は、あたしが煎れたばかりの熱々の紅茶を少しだけ口に運ぶ。

 そして顔を下に向けて、あたしにその顔を悟られないようにしながら、ゆっくり話し始めた。


「あたしね。今から一年ほど前に、ずっと昔から好きだった人にフラレたの。」

「……うん。知ってるよ。」


 英梨々の話を励ますように、あたしはにっと笑みを返した。


「だけどあたしは……そんな彼を全然忘れられなかった。」

「うん。それも知ってる。」

「でもどんなに絵を頑張って描いても、その彼はもう上辺だけの感想しか言ってくれない。だってあいつは、もうあたしの友人のものだったから。」

「……うん。」

「だから、少し前の真由みたいに、報われない絵を描くくらいならって、そんな風に思うこともあった。」

「あたしみたいに……か……」


 淡々と語る英梨々の一言一言に、あたしにも思い当たる節がいくつもあった。

 自分の好きな人のこと、自分の好きな友人のこと、自分の好きな絵のこと……

 それを一つ一つ紡ぎ合わせようとしても、うまく繋がらなくて、そんな自分が時折嫌になってくる。誰が悪いわけでもなく、前を向くことさえできない全てあたし自身が悪いのに、それがわかっていてもどうすることもできなかったから――


 ……そっか。あたしと英梨々は、似たもの同士なんだ。


「あたしが辛くて泣いてたとき、文雄さんが慰めてくれたんだ……」

「………………」

「……ううん、それはウソ。ベッドで泣いてるあたしを励ましてくれたのは文雄さんじゃなくて、真由だよね。」

「……うん。」


 英梨々はあたしに顔を合わせようとせず、ぼそっとその真実をあたしに言った。

 やっぱし英梨々は、あの時のフミオがあたしだってこと、気づいてたんだ。


「だけどあたしはやっぱり納得がいかなかった。倫也はいつになっても恵の気持ち全然気づいてないし、恵はいつになっても前に進もうともしないし……」


 英梨々の話のテープは最後までたどり着くと、そこでゆっくりと停止した。

 あたしはそのテープの余韻を感じながら、だけど疑問が沸々と湧いてきたんだ。


「ねぇ英梨々? 恵ちゃんと最近なにかあった?」


 すると英梨々は間もなく形相を変えて、あたしをきゅっと睨みつけてきた。

 まるで英梨々の中に鬼が降臨したような、敵意だけがただ伝わってきて……。


「今の恵、絶対に許せないし、許したくないもん! あたしが泣きながら倫也を譲ったのに、なんだって倫也と一緒にいる恵はいつも幸せそうな顔をしてないのよ!! 冗談じゃないわよ!!!」


 英梨々の怒声は辺りの空気を張り付かせるには十分すぎた。それは、英梨々の心の奥底から出てきたものに間違えなく、何か内側に溜まっていたものが全て出てきてしまったような……


 だけど英梨々は、涙を見せようとしなかったんだ……。


「英梨々……?」


 あたしはそっと後ろから英梨々を抱きしめ、囁くような声で――


「……なによ?」


 英梨々は小さな声で、あたしになんとか反応したんだ。


「タキく……倫也君のこと、まだ好きなの?」


 すると英梨々は困ったような笑みを小さく浮かべ、その可愛らしい表情をあたしに見せる。

 ぐっとくるような弱々しい小さな女の子を思わせるその瞳で、あたしに何かを訴えようとしていた。


 ――そして英梨々は、小さくこくんと頷いたんだ。

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