青坊主 ~あおぼうず 第四回

 画面に表示されたのは、ウェディングドレス姿の沙月さんだ。白スーツ姿で寄り添う新郎は、いわゆる爽やか細マッチョのイケメンである。

 なるほど、これが乙瀬おとせ凌介りょうすけ氏か。

「ちょうど淳矢のDVに苦しんでる時期に知り合ったそうです。大手デザイン事務所のホープで、年収一千万。去年、若手の登竜門とうりゅうもんとされる新人賞を受賞してます」

「それは、確かに不幸じゃないですね」

 下種げすな言い方をするなら、恋人の乗り換えに成功したわけだ。

「沙月にとって、淳矢はちょうどいい踏み台だったんじゃないですか?」

 冷笑的な声だ。どうも言葉の端々にとげがある。

 もしかして彼女こそが嫌がらせメールの差出人では? 

 そんな邪推をしつつ皓を見ると、じっとスマホを見つめていた。

「もしよかったら、他の写真も見せてもらえませんか?」

「かまいませんよ。フォルダにまとめているので、他はいじらないでくださいね」

 軽く肩をすくめた佐織さんから皓の手がスマホを受け取る。横から身を乗り出して青児も画面を覗きこんだ。

「あれ?」

「何か気になりますか?」

 青児の目にとまったのは、キャンプ場の洗い場で撮影された一枚だった。端の方に、泡まみれのスポンジを手にした淳矢青年が写っている。

「イケメンでも皿洗いとかするんですね」

「はて、どういう意味ですかね?」

 大学時代に青児は一度だけバーベキューに誘われたことがある。

 しかし、なぜか肉が焼き上がる前に皿洗いを押しつけられ、言われるがままアライグマ化している内に、気がつくと解散済みだったということがあった。

 おそらく持ち寄りの肉を買えなかった青児が、駄菓子のビッグカツでお茶をにごそうとしたのも原因の一つだと思うのだが――。

「ふふ、それはいくら何でもぼんやりしすぎですね」

「けど皿洗い中ってぼんやりしません? だから落として割れたりするんですよね?」

「今以上に青児さんがぼんやりしたら、呼吸すら止まりそうですけどねえ」

 あんまりな言われようだ。

 抗議しようとしたところで、佐織さんの視線に気がついた。いつの間にか氷点下まで冷えこんでいる。バナナで釘が打てそうだ。

 慌ててスマホに視線を戻すと、

「あ、この写真、よく見ると皿洗い中じゃなくて、左手でメモをとってるんですね」

 どうやら後片づけの最中に電話がかかってきたらしい。

 泡まみれのスポンジを右手に握った淳矢青年は、耳と肩の間にスマホを挟んで必死にメモをとっている。人のことを言えた義理ではないが、いまいち要領の悪そうな御仁だ。

「すみません、今なんて言いましたか?」

 ふと真顔になった皓に聞き返され、青児は面食らって瞬きをした。

「え? だから、皿洗いじゃなくて左手でメモを――」

「なるほど、わかりました」

 何やら合点がいった様子で頷いている。今までになく上機嫌だ。

「青児さんは、目のつけどころが常人離れしてますね」

「え、そうですか?」

「ええ、立派に斜め上です」

 ……褒められた気がしないのはなぜだろうか。

「この写真がどうかしたんですか?」

 スマホを覗きこんで佐織さんも首を傾げている。

「いえ、少し気になることがありまして。よろしければ、こちらの一枚をメールで送ってもらえませんか?」

「かまいませんけど、変な使い方しないでくださいね」

「ありがとうございます。あ、送信先は、こちらのスマホでお願いします」

 皓が差し出したのは、テーブルにあった青児のスマホだった。

 ……わりとジャイアニズムなのだろうか。

「さて、その後淳矢さんはどうなったんでしょうか?」

「居づらくなってゼミを辞めて、結局、実家に戻ったって聞きました」

「おや。では、今もご実家に?」

「さあ、鬱病うつびょうになってひきこもってるって噂です。まさに転落人生って感じですね」

「けど、自業自得ですよね? 元はと言えばDVが原因なんですから」

 思わず青児は力説してしまった。たとえどんな不幸に見舞われたところで、振るった拳が跳ね返ってきただけではないだろうか。

「本当にそう思いますか?」

「え?」

 意味深に言った沙織さんが、痙攣けいれんするようにほほゆがめる。笑ったのだ。

 さらにテーブルに身を乗り出すと、内緒話のように声をひそめて、

「沙月には、昔からちょっとした癖があるんです。本人は気づいてないんですけど、嘘を吐いたり隠し事したりする時、瞬きが大きくなるんですね。こう、パチパチって」

「あ」

 見覚えがあった。

 昨日、皓に嫌がらせメールの相談をしている最中のことだ。

〈もう一度お聞きします。本当に、差出人の心当たりはないんですね?〉

〈いいえ、何も〉

 そう答えた沙月さんは、不自然なほど派手に瞬きをしていた。

「淳矢に殴られて私のアパートに転がりこんだ時、ゼミの教授に泣きながらDVの相談をしている時、沙月はずっとこうやって瞬きしてたんです」

 思わず青児は絶句してしまった。ではDVを受けたという彼女の主張は、真っ赤な嘘だったのか。

「そのことを誰かに打ち明けなかったんですか?」

 自然、問い詰める口調になってしまった。

 しかし佐織さんは、はぐらかすように肩をすくめて、

「証拠のある話じゃありませんから。現に沙月は頬をらして診断書も出てるんです。友だちを疑うような真似をしたら、こっちが責められるに決まってます」

「けど、嘘だってわかってたなら」

「相手は沙月ですよ? もしも私が嘘だと訴えたら、あの子はそれを上回る嘘をでっち上げたんじゃないでしょうか。たとえば、実は淳矢と私が浮気していて、沙月へのDVを裏で指図していたとか」

 下世話であればあるほど、噂は真実味を増すようにできている。その点、たった今耳にした嘘は、真相としてまさに打ってつけのように思えた。

「ふふ」

 不意に佐織さんの口から笑みがこぼれた。

「実は四ヶ月前に大学の同窓会があって、私が幹事をやったんです。その時に、うっかり間違えて、淳矢の実家にも案内状を送っちゃったんですよ」

「え?」

「もしも淳矢の手に渡ったりしたら、会場の外で沙月を待ち伏せすることもできたかもしれませんね。本当に何かあったのかもしれませんよ? ちょうどその頃、一日おきだったブログの更新が三日おきに減ってますから」

「そんな、まさか」

 その時、はっと思い当たることがあった。

〈明日の同窓会、会えるのを楽しみにしてます。みんなでカレッジソング歌おうね。久しぶりに飲むぞー!〉

 一見、仲の良い友だちに向けたものに思える、あのコメント。もしもあれが、沙月さんが同窓会に参加予定であることを暗に仄めかすためのものだったとしたら。

「あなたは、沙月さんの友だちじゃないんですか?」

 ぞっと寒気を覚えつつ訊ねた青児に、佐織さんは肩をすくめて、

「あの子とは、そろそろ潮時だと思ってましたから」

 信じがたいほどあっさり言った佐織さんは、ふっと自嘲じちょうの笑みをこぼした。

「この仕事を始めた頃から、あの子に距離を置かれてたんです。沙月に必要なのは、自分の引き立て役をやってくれる〈しっかり者のお姉さん〉で、怪談を飯のタネにするような〈不気味な負け組女〉じゃないんですよ。だから友だちでいるのは止めにしました」

 きっぱり言って、トートバッグを肩にかけて立ち上がる。最後に皓を振り向くと、どこか挑むように微笑んで、

「見ててください。あの子、不幸になりますから。近いうちに必ず」

「あなたも」

 ぽつりとこぼれた皓の声は、まるで白紙に落としたインクの一滴のようだ。

「気をつけてください。人を呪わば穴二つと言いますからね」

 きり、ときつく唇を噛みしめる気配が返ってきた。

 低めのパンプスの踵を鳴らして、佐織さんの背中が遠ざかっていく。後には、ほとんど手をつけられなかった紅茶のティーカップが残された。

「あの」

 一体、何をどう言えばいいのか。

 ひたすら困り果てていると、突然にこっとしろしが笑って、

「さて、そろそろ僕たちもお暇しましょうか」

「え、もう戻りますか?」

「そうですね。まだ時間もありますから、昨日ブログで見た〈首吊りトイレ〉にでも寄ってみましょうか。青児さんもご一緒にいかがです?」

「え、遠慮しときます」

「おや、つれないですね」

 くすくすと喉を震わせて皓が笑う。その声は、獲物を前にした猫の喉鳴らしにも似て、なぜか青児をぞくりとさせた。

「何にせよ、逢魔おうまときまでには帰りましょう。お客様がいらっしゃいますからね」



 ああ、嫌だ嫌だ。

 ふとそんな呟きをこぼしそうになって、沙月は唇を噛みしめた。

 ここ最近、いや、正直なところ四ヶ月前から鬱々うつうつとした気分が続いている。今日中にブログを更新しなければならないのに、今はパソコンの起動すら億劫おっくうだ。

 原因は、夫である凌介のことだった。

「ベビーベッドは、どこのブランドがいいと思う?」

 出産を控えた夫婦としては、当たり障りない話題だったはずだ。

 けれど凌介は「疲れてるんだ。後にしてくれないか」と溜息を吐き、沙月がカタログを開くと「君の好きにすればいいよ」とあきらめの表情を見せた。

「あなたには父親としての自覚がないの?」

 思わず責める言葉を口にしてしまった。

 しかし返ってきたのは、さらに耳を疑うような一言だったのだ。

「あるわけないだろう。そんなもの」

 その瞬間、愛した夫の姿が沙月には見知らぬ化け物のように見えた。

 それが、昨夜遅くの出来事だ。

 そして今、3LDKのマンションには沙月ただ一人が存在している。日に日にふくれ上がる不安を持て余したまま、もう何度目になるかわからない溜息を吐いて。

 とてもブログの更新などできそうにない。たくさんの人が目にする自分は、誰よりも幸せでなければならないのに。

「気分転換しなくちゃ」 

 確か駅前にオープンしたてのカフェがあったはずだ。上手くいけば日記のネタになるだろう。いずれ赤ん坊が生まれたら、ティータイムを気軽に楽しむこともできなくなってしまうのだから。

(本当は、凌介を誘って二人で行きたかったのに)

 心の靄を振り払いつつ、念入りに身支度を整えた。下ろしたてのカシミヤワンピースとコートを組み合わせ、お気に入りのパンプスをはく。口紅も買ったばかりの新色だ。

 エントランスをくぐると、息を呑むほど赤々とした夕陽が、空を禍々しく染め上げていた。嫌な既視感きしかんがある。地平線から燃え落ちるようなこの夕焼けは、あの不思議な屋敷に迷いこんだ時とまるで同じではないだろうか。

「あれ?」

 気がつくと、またも道に迷ってしまった。

 目の前には、真冬でも緑色をした冬蔦の生い茂るトンネルがある。この先を進めば、あの奇妙な住人たちの待ち受ける西洋館だ。

(嫌だ)

 反射的にきびすを返そうとして、すんでに思いとどまった。

 引き返しても道はわからない。夜を迎えれば、気温はいっそう冷えこむだろう。お腹の赤ん坊のためにも、これ以上体を冷やすのは避けたかった。もう一度、屋敷を訪ねるより他ないかもしれない。それは、あの少年との再会を意味したけれど。

「ようこそ、お待ちしてました」

 さえずりにも似た声と共に、沙月は書斎のような一室に招き入れられた。

 気怠い夕暮れの光が、部屋中を深紅に染め上げている。ただでさえ死に装束めいた少年の着物は、今や血染めのように見えた。

 当然ながら、招かれて来たわけでは決してない。にもかかわらず、その少年の声を聞いた瞬間、沙月ははっきりと確信していた――ばれたのだ、と。

「どうぞ、ごゆっくりおくつろぎください」

 朗らかな声と共に、たちまちティーカップが並べられた。芝居の台本を演じるような気分で、沙月も椅子の一脚に腰かける。

 残りの一脚には、助手だという青年の姿があった。

 なかなか整った顔立ちだが、寝起きのような髪とぼーっとした目が、ぱっと見の印象を三枚目まで引き下げている。どことなく世渡り下手そうなところが、沙月にかつての恋人の姿を思い起こさせた。

「ところで、嫌がらせメールの差出人がわかりましたよ」

 出し抜けなその声は、白々しいほど朗らかだった。途端、かっと頭に血が上って沙月は椅子から立ち上がる。

「いい加減にしてください! その話は、もうとっくに」

「佐久真淳矢さん。あなたの元婚約者ですね」

 すかさず一枚の紙がテーブルクロスの上を滑った。どうやら新聞紙のコピーらしい。日付は四ヶ月前となっている。


 市内の空き家で、首吊り状態の遺体があるのを肝試きもだめし中の男女が発見し、警察に届けた。遺体は二十歳~三十歳くらいの男性で、死後数日と見られる。遺書などは見つかっていない。警察は身元の確認を進めると共に、詳しい死因や動機を調べている。


「この首吊り死体こそが、佐久真淳矢さんだったんですよ」

 淡々と告げる少年に、沙月は声を失って立ち尽くした。一体、どうやって突き止められてしまったのだろう。

「大学を退学した後に鬱病を患い、実家で閉じこもりがちの生活を送っていたようです。この数ヶ月前に実家を追い出され、将来を悲観して首をくくったと見られています」

「自業自得です。過去の行いが報いとなって返ってきただけでしょう」

「本当に、そう思いますか?」

 念を押すように訊ねた少年に、沙月は大きく瞬きをした。

「ええ、思います」

 声の震えを誤魔化すことができなかった。気持ちを落ち着かせようと沙月はティーカップに手をのばす。色濃く淹れられた紅茶は、深紅の血のようにも見えた。

 本来なら口にすべきではないのだろう。紅茶のカフェインは胎児に悪影響だから。けれど今は、たとえ一瞬でも少年から意識をそらしたかった。何をどこまで知られているのか、慎重に聞き出さなければいけないのに。

(え?)

 ふと水面に何かが映った。

 そして、それが頭上で首を吊った老婆が、虚ろに彼女を見下ろしている姿だと気づいた瞬間、沙月は悲鳴と共に立ち上がっていた。

 ガチャン。

 取り落としたティーカップが、足元の絨毯じゅうたんに血痕じみた染みを広げる。

「い、今のは!」

「おや、どうしましたか。お化けでも見たような顔をして」

 逃げよう、と沙月は思った。一刻も早くこの少年から逃げなければ。この屋敷から何事もなく帰れると思っていたのが、そもそもの間違いだったのに。

「ああ、お帰りになる前に、こちらの写真を見てください」

 差し出されたスマホには、なぜか懐かしい写真があった。

 ゼミ合宿での一場面だ。バーベキューの後片づけ中、泡まみれのスポンジを手にした淳矢が、耳と肩の間にスマホを挟んだ格好でメモをとっている。バイト先からの電話だったらしいが、「またかけ直します」の一言ですむはずなのに、そんな不器用さが微笑ほほえましくて、ついからかってしまったのを覚えている。

「この写真が、どうかしたんですか?」

「左手ですね」

「え?」

「淳矢さんの手です。よく見ると、左手でペンを握ってるんですよ」

 慌てて写真を確認する。

 ――本当だ。

 泡まみれのスポンジを握ったのは右手。そしてボールペンを走らせているのは左手だ。

「よほど慌てた様子に見えますね。そんな時、とっさに利き手と逆の手でメモをとる人がいるでしょうか? つまり淳矢さんにとっての利き手は、もともと左手なんですよ」

「まさか、ありえません! 授業でも家事でも、淳矢はずっと右手を使ってました」

「過去に右利きに矯正したんでしょう。普段は右手を使っていたからこそ、周りも気づかなかったんですよ。もしかすると、ご両親による〈理不尽なしつけ〉というのは、偏見に基づいた左利きの矯正のことだったのかもしれません」

 躾のためなら容赦なく殴る親だったと淳矢は言っていた。あれは、まさか左利きを止めさせるためのものだったのか。

「鏡文字のことを聞いた時点で、引っかかってはいたんです。左右反転した鏡文字は、左利きの人には書きやすいですからね。そのため、幼少の頃に自然と鏡文字を習得することも多いんですよ。〈不思議の国のアリス〉のルイス・キャロルも、もともと左利きだったからこそ鏡文字を書けたと言われています」

 そこで少年は人差し指をぴんと立てると、

「ここで一つ疑問が生じます。左利きの人が向かい合わせで相手を殴った場合、逆の右頬が腫れるのが普通なんです。なのに淳矢さんからDVを受けたあなたは、左頬を腫らしていた。そうですよね?」

「……何を言いたいんですか?」

「つまるところ、あなたの自作自演なんです。眠っている淳矢さんの手からシルバーリングを抜き取り、ご自分の手にはめ直して頬を殴ったんですよ。薬局で買った市販薬を飲み物に溶かしておけば、眠気を誘うには充分ですからね」

「い、言いがかりです! 名誉毀損めいよきそんで訴えますよ!」

 頬を張る勢いで叫んだ声は、しかし悲鳴のように裏返ってしまった。対して少年は、変わらぬ笑みを浮かべたまま、白磁はくじのティーカップに唇を寄せると、

「勘違いしないでください。むしろ僕はあなたを不幸から救いたいと思ってるんです」

「ふざけないでください! あなたに私の何がわかるって言うんですか?」

「実は今日、案内係の紅子さんに頼んで、ご実家のことを調べてもらったんです。沙月さんは中学生の頃、お母様を亡くされてますね? それも淳矢さんと同じ首吊り自殺だったと」

「ええ、それが何だって言うんですか」

 応じた声は、自然、吐き捨てる口調になった。

「ご近所の評判では、愚痴と溜息の多い方だったと聞いています。事あるごとに自分と他人の幸不幸を比べては、妬み、羨み、嘆き、結局、最期まで不幸そうだったと」

「ええ、母は私と正反対の人間でしたから」

 皮肉に唇が歪むのがわかる。しかし少年は、ただ静かに首を振ると、

「いいえ、今のあなたはお母様にそっくりですよ」

「え?」

「お二人とも幸せのあり方が、あまりに他人ありきなんです。自分にとって何が幸せかわからない。だからこそ、誰よりも不幸なんですよ」

 違う、と沙月は首を振った。

 幸せな結婚、幸せな夫婦生活。すべてを手に入れるため、人一倍努力してきた。それこそ血を吐くような思いで、これまでの人生を歩んできたのだ。

(あと少し、ほんの少しだけで)

 子宮には、すでに待望の第一子が宿っている。この子を産めば、世間の羨むすべてが手に入るはずだ。

「ね? あなたが幸せを求め続けるのは、今あなたが幸せじゃない証拠なんですよ」

 くすくす、と喉を鳴らして少年は笑った。

 そして、まるで鼠を前足でもてあそぶ猫のような目で、

「罪を犯せば相応そうおうの罰が待つ、それが因果の法です。しかし子が親を選べない以上、あなたに同情の余地があるのもまた確かだ。だから、あなたが地獄の罰を逃れたいと望むなら、誰かにその罪を告白してください。さもないと生き地獄にちますよ?」

 考えるまでもない。

 直後に沙月は立ち上がった。そしてのどから声を振り絞って、

「死んでも嫌!」

 その一瞬後、ふっと視界に影が差した。

 たった今、太陽が燃え尽きて夜が訪れたのだ。まるで暗闇にたった一本灯っていた蝋燭を吹き消してしまった時のように。

 そして少年は、暗闇にあってなお皓すぎる顔を沙月に向けると、


「ならば、地獄に堕ちて頂きましょう」


 と、わらった。

 え、と訊ね返した直後、パン、と手を打ち鳴らす音が聞こえて、 

「あれ?」


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