第28話 異界草むしり
獣道というほどでもないが、辛うじて道と呼べるような山道を、健作は山田について歩いている。
文明の痕跡がまるでない、文字通りの山奥だが、健作の心に恐怖はない。むしろ、故郷に帰ってきたかのような安心感があり、足取りも自然と軽くなる。
ふと、目の前を光球が横切った。エクトプラズム、あるいは人魂と呼ばれるもので、異界の余剰霊力が塊となったものである。
「……あれ?」
つまり、ここは異界という事になる。
「えっと、下水道から出て……、あれ、いつ入った?」
「入ってないですよ」
山田が健作の戸惑いを見透かしたように振り返って言った。
「ここは現実世界であると同時に異界でもあるのです。異界降しというものです」
「いかいおろし?」
「ええ、異界というのは本来異空間、もっと言えば別世界なんですが、その影響を現実に反映させる。融合させると言ってもいいかしら? それが異界降し。因みに、異空間の異界に引き摺り込むのを異界落としと呼びます。こっちの方は体験済みでしたね」
「え、えぇ……」
「異界降しが行われた土地では、そこに存在する動植物や鉱物、水や空気でさえも霊的な力を帯びて、通常では考えられない効果を秘めるようになります。例えば、そこら辺に生えてる雑草に然るべき加工を施せば、万病の薬になったり、恐ろしい毒物になったりするの。これを異界物質と言います」
山田が足元の雑草を指して解説する。一見して普通の雑草にしか見えない。説明されてもやはりふつうの雑草だ。
「でも、そんな凄い薬があるなんて聞いた事ないですよ?」
「まぁ、町の薬屋さんに出回る程たくさん作れませんからね。それに結構高いし」
「高いというと、どれくらいです?」
「そうねぇ……」
山田は足元の草を一本毟った。
「この草を籠一杯に集めて、なんやかんやして、最終的に小さな小瓶に詰めるんだけど、それが100万円てところですね」
「ひゃ、ひゃ、……ひゃくえん?」
突然、大きな数字が出てきたので、健作は混乱している。
「ひゃくまんえんです。そんなに値切らないで」
「そんなに高いんなら風邪薬みたいに飲めませんね」
「まぁね。でも、お金を持ってる人は持ってるから、風邪薬感覚でこれを飲んでる人もいますよ」
山田はあっけらかんと言ったが、健作は渋い顔になった。
「つまり、お金持ち専用って事ですか?」
「そうですね。でも不平等だとは思いませんよ。希少な材料を希少な技術で加工してるんですから、その分割高になるのは当然じゃありませんか」
「そりゃ……、そうですけど」
「因みに、この仕事、時給1万円です」
「い、1万円!? 1時間で!?」
「あなたが安く働いてくれるんなら、その分価格がさがるんですけどね〜」
山田の顔は窺い知れないが、意地悪く微笑んでる気配がする。
「さ、頑張って働きましょう!」
健作は拳を震わせて目を輝かす。
「正直で大変よろしい」
山田はニッコリと笑って再び歩き出した。健作もあとに続く。
「それにしても、異界ではただの雑草にそんなすごい効果があるんですね」
「まぁ、ちょっと誤解を招く言い方だったわね。正確には霊気のエキスを作るの。生命エネルギーを取り込んで、無理やり健康な状態にする。要はドーピングね」
「ドーピングですか?」
「そう、今日死ぬ人間の寿命を一日伸ばすくらいのね。そこらに生えている草でも集めればそれくらいの効果があるの。これが果実とかになるとまた別の効果になるわね」
山田は足を止めて、上を指さした。ちょうど小高い樫の木の下だ。
「何が見える?」
健作は山田の指す方向に目を凝らした。
「えっと、何か実が成っていますね。ドングリかな? ずいぶんでかいですね」
月明りしかないのに、不思議とよく見える。視線の先にはリンゴほどの大きさのドングリが実っていた。
「正解。あのドングリを食べると、そうね、きれいになれるわ」
「美容にいいって事ですか?」
「そうね、あと、男の子にモテるようになるとか。だいたい、木の精霊はかわいい女の子に化けて男の子をたぶらかすから。科学の世界では、ドングリはただドングリでしかないけど、魔術の世界では、何かの象徴だったりシンボルだったりする。そういったイメージを現実にするのが魔術よ。覚えておいてね」
「あ、はい」
「さてと、あのドングリも、注文にあったから、健作さん、ちょっととってきて下さいな」
「え、おれがですか?」
「あら、お嫌かしら?」
「いやいや、急だったもので。木登り得意なんですよ」
健作は靴を脱ぎ、スルスルと樫の木を登り、あっという間に身のなっている枝の根元まで着いた。
ドングリの実は枝の先端にあり、その枝もあまり太くはない。健作が全体重をかければぽっきりと折れてしまうだろう。
健作は頭上の枝を掴み、足元の枝にも立って、上手く体重を分散させながら、ゆっくりと枝を伝う。
「気を付けてねー」
眼下では山田が呑気な声で応援している。
健作はピタリと止まった。これ以上は進めば、枝が折れてしまう事が感覚でわかる。幸い、実は手を伸ばせば届くか届かないかの距離だ。
健作は細心の注意を払って手を伸ばす。だが、実には指先が触れる程度だ。
「くそ、あともう少しなのに……」
その時、突然枝が曲がり、健作の手の中に実が置かれた。
『ほら』
「あ、どうも。……え?」
女の子の声だった。
予期せぬ事態の為に健作の手が滑り、地上へ真っ逆さま。
しかし、何とか姿勢を整えて無事に着地。
「はい、ご苦労様」
山田が歩み寄ってきて、健作の手からドングリを取って籠に入れる。
『大丈夫か?』
また女の子の声。健作と山田以外の人影はない。
「あ、あの、どこです?」
『なんだ、散々わたしの身体を撫で回しといてその言い草か?』
声は先程まで登っていた木から発せられている。しかも、その木は根を動かしてにじり寄って来ている。
「す、すみません。その、喋るとは思わなくて……」
『ほう、じゃあ喋らない木ならいくらでも身体を触っていいと思ってるんだ?』
「い、いえ、そういうつもりじゃ……」
『もう、いじわるしちゃダメじゃない』
背後からまた別の女の子の声。
振り返ると、多種多様な木々が集まって壁を作っていた。
「うわ!」
驚いて腰を抜かす健作。
『へ〜、この子が今回のバイト君?』
『いつもより若いわね』
『ねぇねぇ、彼女とかいるの』
『もう送粉とかした?』
『お名前は?』
「み、三葉健作です。よ、よろしくお願いします……」
『きゃー、赤くなってる。かわいー!』
木々は女の子の声で次々とまくし立てていく。
「はいはい、お嬢さんたち。珍しいからってがっついたらしないの。持ち場に戻りなさい」
山田が手を叩いて。木々を散らす。
『ブー』
『何よ、少しくらいいいじゃない』
『おばさんは頭が硬いんだから』
木々は文句を垂れながら、大人しく去っていく。
健作は腰を抜かしたまま彼女たちを見送った。
「大丈夫?」
山田が手を差し出した。健作がそれを掴んで立ち上がる。
「ごめんなさいね。後で紹介したかったんだけど、若い子がここに来るの珍しいから、あの子たちテンション上がっちゃって」
「いえ、そんな……。そうですよね。異界なんだし、木が喋るくらい」
「えぇ、木霊って言ってね。長く生きた木には精霊が宿るの。本当は百年くらいの時間が必要なんだけど、異界降ろしのおかげで若い木でも喋ったり、動いたりならできるの。まぁ、それでもみんな、わたしよりは年上なんだけどね。アハハ」
山田は軽く笑った。
「は、はは……」
健作も年齢の話題なので本気で笑っていいものか迷ったが、とりあえず愛想笑いを浮かべる。
『木と人間じゃ感覚がちがうだろ。おばさんみたいに言われるのは心外だ』
健作が登っていた樫の木が苦情を言った。
「あ、あの、先程は本当に……」
健作が弁解する。
『ああ、いいって。ちょっとした冗談なんだから。そうマジな反応されるとリアクションに困る』
「そう言われても……。外じゃ冗談じゃ済まないんですよ」
『あぁ、セクハラってやつになるんだっけ? 外もずいぶん狭苦しくなったな。ま、この世界にはには関係ないけどさ』
「いや、そういうわけには……」
「まぁまぁ、とにかく、人の嫌がる事はしない。これが大事な事よ」
山田が話を閉めた。
「この調子で異界物質を集めていくのよ。じゃ、次に行きましょうか」
「は、はい」
『気をつけてな〜』
その後、健作たちは、草をむしったり、木の実を取ったり、鉱石を掘ったり、魚を釣ったり、水を汲んだりして、異界物質を集めていくのであった。
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