第2話 警告 と 侵食

「……ぐずっ……雨音ちゃん、ごめんね? だけど、この音声だけは、私だけのもの、だから……ごめんね……ぐすっ……」


 音声が止まると私はヘッドホンを外して鼻をすする。そして、雨音ちゃんに想いをせながら謝罪していた。

 雨音ちゃんにも幸せをおすそ分けしたくて録音をお願いしたんだけど、最後の音声だけは私のもの。

 だってこれは、お兄ちゃんが私にくれた宝物だから。

 これだけは雨音ちゃんにも譲れないんだよ。だから、ごめんね。


「……ふぅ。……んんん~~~、はぁ~。……さぁて、お風呂でも入ろうっかなぁ……」


 私は涙を拭うと軽く息を吐き、大きく背伸びをしていた。無意識に緊張していたらしくて、上半身の強張りがほぐれていく、気持ちのいい感覚に私は包まれていた。

 私は腕をおろして立ち上がると、お風呂の準備を始めるのだった。って、さっき入ったんだけどね。

 でも、さっきはお兄ちゃんが先に入っていたから仕方なく部屋に戻って……水着に着替えてお風呂場に突入していた。

 うん。私も恥ずかしいし、お兄ちゃんも抵抗あるだろうしね。バスタオル一枚だと入れてくれないと思ったから水着にしたの。それに。

 そのあと色々あって、汗を流すだけで出てきちゃったから……今度こそ、ちゃんとお風呂に入るだけ。お兄ちゃんも出ていると思うから、普通に入れそうだしね。

 私は準備を済ませて扉の前まで歩くと、一度振り返ってノートPCを眺めながら微笑みを送る。そしてホクホクした心で笑みを浮かべながら部屋を出ていくのだった。


 そんな経緯を経て、私が入手した『エターナル善兄プロジェクト』の音声。

 その日のうちに編集して、雨音ちゃん用の音声をCDへと焼いて、翌日教室で渡してあげた。

 ……紙のケースの裏面に小さく『a’s』と書き記して。

 まぁ、中身は曲じゃないし、直接手渡しているんだから違うけど……『リブレイブ!』ごっこをしてみた私。

 受け取った雨音ちゃんは凄く嬉しそうな笑みを浮かべると、私を抱きしめて「ありがとう」ってお礼を言っていた。本当にあげてよかったなって思えるくらいの喜びようだったなぁ。喜んでくれて私も嬉しくなっちゃったもん。

 そして、私用の音声は携帯プレイヤーに落として、常に持ち歩いている。

 いつでも、どこでも……どんな時もずっと。

 私には、きっとお兄ちゃんの声が聞こえるんだって思えていたのだった。


◇2◇


「……ふぅ。早く夕飯の準備をしなきゃ……あ? ……あはははは……」


 ゴロゴロと寝転がって喜びを表現していた私も、夕飯の準備が遅れることに気がついて上半身を起こした。そして靴を脱ごうと立ち上がった瞬間に、手に持っていた手紙の存在を思い出す。

 手で握っていたのに忘れ去られていた手紙。そのまま寝転がっていたから少し曲がっちゃっている。

 わ、私宛だから、い、いいよね? ……誰からの手紙なのかはわからないけど、ごめんなさい。

 靴を脱いだ私は苦笑いを浮かべながら、自分の部屋へと歩きだすのだった。


「本当になんだろう、この手紙……」


 部屋に入り、私服に着替え終わった私は机に置いた手紙を眺めて疑問の声をあげると、引き出しからハサミを取り出して封を切る。中を覗くと一枚の便箋びんせんと、数枚の写真らしきものが入っていた。


「ん……え? ……」


 封筒も便箋も普通だった。だから差出人が書かれていないとか、印字だからとかでは必要以上に警戒なんてしていなかった。だけど。

 私は便箋を取り出して開き、書かれている文面に目を通した瞬間、顔を青ざめていたのだった。

 

◆ 

  

『前略 霧ヶ峰小豆様。突然のお手紙お許しください。今回はご学友の時雨院雨音様について、お耳に入れておきたいことがございましたのでお手紙を差し上げました。』

「……雨音ちゃんのこと?」 


 書き出しの部分を読み、雨音ちゃんの名前が出てきたことで、心にかすかな霧が生まれる。


『彼女は貴女あなたもご存知の通り、我が国有数の財閥。時雨院家のご息女でありながら次期当主になる御方であります。当然、我々も彼女が凛々しく気高い、次期当主としての才覚さいかく裁量さいりょうを有していること、深く存じ上げております。』

「……」

『ですが残念ながら、ここ数年の彼女の振る舞いには衰退の一途を感じずにはいられません。そんな凛々しく気高い彼女に変化のきざしを感じ始めたのが、中学一年生の二学期頃だったと思われます。その頃を境に、彼女は急激に我々との距離を置き、凛々しい気高さを忘れ、周囲から孤立するようになっておりました。』

「中学一年の二学期……」


 ここまで読んで心の中の霧が深まり、視界をほんのり白く染める。

 そして理解した。届けに来た男子と、これを書いた人物は別なんだってこと。

 たぶん差出人は雨音ちゃんの元クラスメート。彼女のグループの誰かなんだと思う。


 私と雨音ちゃんが仲直りをした頃。二人が仲直りをしてから、雨音ちゃんは頻繁に私やお兄ちゃんに会いにきてくれたし、一緒に遊ぶことが多くなっていた。

 でも、雨音ちゃんは全然そんな素振りを見せていなかったし、私もお兄ちゃんも何も思わなかった。 


『我々も彼女の不可解な行動に疑問を覚え、身辺を調査いたしましたところ、貴女との親交が多大なる影響をおよぼしていると判断いたしました。』

「……やっぱり、そう、なん、だ……」


 次の文を読んで、窓から漏れて聞こえてくる外の喧騒が少し遠のく。

 私は少し顔を歪めてボソリと呟いていた。たぶん、そうなんだろうなって思ってはいたものの、文面で書かれちゃうのは少し心に棘が刺さるから。

 それでも、ここまではまだ普通に読めていた。ううん。何とかこらえて読めていた。だけど問題はここから……。 


『貴女の趣味について言及するつもりはございませんが、下劣な低俗と呼ばれるアニメなどと言う幼稚な嗜好しこうを、彼女へ強要するのははなは遺憾いかんに思います。彼女の優しさと彼女自身を、自分勝手に私欲と自己満足の為に利用して、彼女本来の人生に泥を塗るような真似はご遠慮いただけませんでしょうか。』

「――ッ!」


 この文章を読んだ瞬間、気分が悪くなる私。

 これは昔、私に起こった悲しいできごとの再来。私を苦しめたトラウマの再現なのだから。そして、それと同時に怒りを覚えていた私。

 ――なんで周りはいつも自分の物差しで物事を判断するのだろう。なんで自分が悪いものだと判断すると、それを何も知ろうともせずに、悪いことだと決め付けるのだろう。

 私は私のことを認めてほしいとは願ったけど、雨音ちゃんに自分の趣味を強要した覚えはない。

 きっと雨音ちゃんは、お兄ちゃんに近づきたくてアニメに踏み込んだんだと思う。うん、私と同じように。

 だけどキッカケはそうでも、雨音ちゃんも私もアニメに愛情を持っている。その気持ちは偽りじゃない。

 つまり雨音ちゃんが自ら考えて決断した彼女の意志や想いですら、この人達は否定をしているってこと。彼女のアニメに対する情熱を嘲笑っているってこと。私はそれが許せなかった。だけど。


『学院において彼女の周りに集まった者達は、彼女の将来にとって重要な人材であります。如何いかに彼女の家柄が有数の財閥だとしても、これまでの深い親交を断絶しかけている今の現状では、正直彼女に付き従う者など皆無だと思われます。それは彼女自身の将来にとって汚点でしかないのでしょう。もし仮に、このままの状態が続き、彼女が周りから見放された末路を辿るとして。貴女はその責任をどのようにお考えなのでしょうか。』

「……」


 次の文を読んだ瞬間、心に芽生えた怒りが一気に霧散むさんする。そして心に冷たい風が吹き荒れる。

 そう、なんだよね。彼女のアニメに対する想いや情熱を否定したことは許せないけれど、そもそも私が彼女の人生に割り込んだようなもの。

 きっと私とのことがなかったら、彼女はアニメに興味なんて持たなかったんだと思う。私とも、お兄ちゃんとも交流することはなかったはず。

 ずっと学院に残って、彼女にふさわしい、輝いた人生を送っていたんじゃないかって思う。

 そう、結局私が彼女の人生を狂わしたんじゃないかって感じていたのだった。


 雨音ちゃんは私の親友だけど、親友でいられるのが不思議なほどに、私とは『住んでいる世界の違う人』なんだと思う。

 うん……ずっと理解していたはずなのに、彼女の優しさに甘えて、いつの間にか忘れていたのかな。

 数ヶ月だったけど学院の生徒だった私は、当時の彼女の周りを取り巻いていた生徒達を思い出す。

 庶民の私なんかと違って、初等部から在籍している大半のクラスメート達は本物のお嬢様だった。

 時雨院家以外の財閥はもちろんのこと、政財界や大企業のご令嬢。名だたる学者や医者や大物芸能人のご息女。そんな人達が学院を形成していたの。

 その中でも、ひときわ目立つグループのトップに君臨していた雨音ちゃん。

 確かに彼女の周りには時雨院家の――次期当主である雨音ちゃんに付き従う者。

 各界の将来を担う子達が集まっていたのだと思う。言い換えれば、彼女にとって大事な将来の人脈なんだと思う。


 あの日……私は雨音ちゃんに認めてもらえた。そして私と親友になってくれた。それは凄く嬉しかった。

 だけど私は自分のことばかりで、雨音ちゃんのことを考えていたのだろうか。ううん、違うよね。

 それ以前に私が雨音ちゃんを……そしてお兄ちゃんのことを巻き込んじゃったんだよね。

 私が弱かったから。私がもっと強ければ、誰も巻き込まなくても済んだのに。全部、私が悪かったんだよね。


『最後に、下劣な低俗と呼ばれるアニメなどと言う幼稚な嗜好でしかご自分を満たせないような、それゆえに分不相応と感じて、学院を逃げ去った貴女に、高尚な彼女の輝かしい未来を奪う権利はありません。彼女の為にも早急に親交を断ち切っていただけますこと、切に願っております。 草々』

「……」


 文字を目で追うたびに、全身が震え、手紙が微かに揺れる。少し足元がふらつく。視界が潤んでくる。それでも何とか踏ん張ることができていた。

 こうして、便箋は書き終わっていたのだった。


「――うぷっ! ……うそ……なに、これ……そんな、ひどい……」


 悲愴ひそうの面持ちで封筒の中から写真を取り出した私は、目の前に映し出される光景に思わず胃の内容物が逆流しそうになっていた。慌てて口を抑えて難を逃れた私は、写真を眺めて悲痛の声をあげる。

 目の前に映る光景――円盤。フィギュア。漫画にラノベ。書籍やグッズ。

 そんなアニメに関連するものが……使命を果たせずに志半ばでち果てた無残な光景。ううん、意図的に破壊されている地獄絵。そんな地獄絵が、私の部屋くらいの広さの一室に敷き詰められているのだった。


 きっと、これは私への警告のつもりなのだろう。

 これからも私が雨音ちゃんに近づけば……私の大好きな、雨音ちゃんの大好きな。そしてお兄ちゃんの大好きなアニメを排除していくって言うおどしなのだろう。ううん。たぶん本気なんだと思う。

 だって、写真に写っているアニメ関連の量は、私とお兄ちゃんの部屋のグッズ達を合わせても、到底敵わないくらいの量がある。それだけのものを買い集める……お嬢様には大したことではないのかも知れないけど。

 でも、それだけのグッズやお金を『私への警告で壊す為だけ・・』に使ったことが、私にはどうしても理解ができなかった。

 私を彼女に近づけさせない為だけに破壊されてしまった品々。行為に及んだ彼女達にとって、ただの見せしめに使った『道具』なのかも知れないけれど。

 私にとっては、品々を作ってくれた人達が、買ってくれた人に喜んでもらいたいと願っている品々なんだって知っている。その為に生まれてきたんだって知っている。

 そして、そんな破壊をする為だけに費やしたと思われる、『死に金』と言う概念も私には考えられない。

 彼女達にとって、お金の存在理由ですらも無意味なものに変えているってこと。

 そんな負の感情が、写真いっぱいに覆われているように思えていたのだった。


◇3◇


「――ッ! ~~~ッ! ……ぅぅぅ、ひぐっ、えぐぅ……」


 目の前の、負の感情渦巻く地獄絵に耐え切れず、思わずその場に膝から崩れ落ちる私。

 鼓膜に響く鈍い音とともに、フローリングにぶつけた膝の痛みが私に襲いかかってくる。私は体を丸めて痛みに抗っていた。だけど、それと同時に――

 心にも痛みを感じていた。まるでナイフにえぐられて、内側から溢れそうな心の痛み。

 膝に伝わる痛みより、溢れる痛みに抗う術を見つけられない私は、心を蝕む痛みを全部吐き出したい一心で嗚咽を漏らす。涙を溢す。


「――あぐぅ、んぅ、んんぅ、っは……おにい、ちゃん……こわ、いよぉ……たす、けて、よぉ……ぅぅぅぅぅ」


 だけど、そんなことで心の痛みが和らぐはずもなく、昔と同じようにすべてを失いかけていた私。

 ふと、脳裏にお兄ちゃんの笑顔が浮かんでいた。私は思わず絞り出すように言葉を紡ぎ、ここにはいないお兄ちゃんへと助けを求めていた。


 色も音も感覚や感情さえも……。

 まるで縁取ふちどる一つ一つが集まり、やがて一つに混ざり合って創られた色鮮やかなアニメの世界。そんな世界を巻き戻しながら、一つ一つを削り取っていくような感覚。

 私を形成する一つ一つが削り取られて、私には何も残らないんじゃないかって言う感覚。

 そう、最後には私の存在すらも失うんじゃないかって思うほどに、精神的に追い詰められている私なのだった。


「ぅぅぅ……お、にい、ちゃん……いや、だ、よぉ……たす、けて、よぉ……」

 

 蛍光灯を点けているはずなのに、薄暗く感じる室内。外の喧騒も、既にほとんど聞こえてこなかった。

 普段なら「広い」なんて感じたことのない自分の部屋が、今はとても広く感じる。冷たく殺風景に映っている。

 まるで、すべてから隔離されたような、取り残されたような、私の前から消えてしまったような――。

 広大な知らない場所に、ぽつんと置き去りにされたように、私の周りに安らげる要素が一つもない。

 そんな感覚に陥っていたのだろう。

 何もかもを失いかけている恐怖から、自分の意志とは関係なく失い続ける心を押さえつけるように、両腕で自分を強く抱きしめて、すがるようにお兄ちゃんへと助けを求めていたのだった。


 そもそも、こんな見ず知らずの人の行為なんて無視をすればいいのかも知れない。脅しなんて気にしなくてもいいのかも知れない。

 だけど、これは私のいた種。私が招いた結末。雨音ちゃんを巻き込んでしまった罰なんだ。

 だから私が彼女達を無視することなんてできるはずはない。

 そして、このことを雨音ちゃんに相談することだってできない。

 巻き込んでしまった私が、更に彼女を巻き込むことなんて、許される話じゃない。

 ――そう、それをすれば私は二度と雨音ちゃんと、親友として向き合うことはできなくなると思う。

 それどころか、私を認めてくれた彼女に被害が及ぶ可能性だってある。危害と言う意味ではなくて、更に周りから孤立するって意味でだけどね。


 だからと言って、お兄ちゃんに相談することもできない。ううん……できるはずはない。

 お兄ちゃんなら私を救ってくれるかも知れない。助けてくれるかも知れない。

 だけど、その代わりに……必ず、お兄ちゃんはボロボロになるだろう。

 きっと、肉体的にも精神的にも身を削るんだって知っている。

 誰かの為に笑って自分を犠牲にできる人。

 ――それが私のお兄ちゃん。


 私は、あの日――「ずっと、お兄ちゃんには笑っていてほしい」と願った。ううん、そう心に誓った。

 もしも他の誰かの為に傷ついたとしても、その傷を癒してあげたい。私が笑顔にさせてあげたいと決めたはず。

 それなのに、私がお兄ちゃんの笑顔を奪うなんてできるはずがない。してはいけないんだ。

 だって、それが私の存在理由なんだから。


「……ぅんっ、お、にい……ちゃ、ん……あま、ね、ちゃん……」


 自分でなんとかするしかない現実。だけど、どうしても自分を鼓舞することができないでいた私。

 携帯プレイヤーを取り出して、耳にイヤホンをセットすると再生ボタンを押す。

 現実から目を背けるように固く目を閉じた私は、脳裏に浮かぶお兄ちゃんと雨音ちゃんの笑顔。

 そして耳元で囁いてくれるお兄ちゃんの声に励まされていた。

 ――直接は頼らないから、これくらいは許してね?

 私はそんな二人の優しさに身をゆだねながら、少しずつ落ち着きを取り戻していったのでした。



「……すぅ、ふぅ……うん。大丈夫……って、た、たいへん、そろそろ夕飯の準備しないと……」


 二人の優しさに包まれていた私は、優しい微笑みを浮かべて軽く深呼吸をすると、自分の胸に優しく手を添えながら、自分に言い聞かせるように「大丈夫」と呟いた。

 手に伝わる鼓動も、私に呼応するように「トクン、トクン」と一定のリズムを刻んでいる。

 少しずつ明るさを取り戻していた室内を眩しそうに、目を細めながら眺める私。

 イヤホンを外した私の耳に、家の前を通ったんだろう。新聞配達のバイクの通り過ぎる音が聞こえてきた。

 目の前に映し出される私の部屋も、少しずつ色を取り戻す。

 そして、普段の癒しを感じる空間へと様変さまがわりしていった。

 うん、もう平気。いつもの、小豆ちゃん復活だね。

 そんないつもの自分を取り戻した私の視界に映る時計の秒針。だいぶ時間が経過しちゃっていたみたい。

 気づいた私は慌てて立ち上がると、着替えを済ませて部屋を出て行くのだった。


 ――そう、私は普段の自分を取り戻していた。それでも二人が包んでくれているのは私の身体の外側。

 優しさや想いでは、心を抉った傷口までは癒せない。だって心の傷を治せるのは自分だけなんだから。

 それでも、夕食の準備に追われて時計を見ながら支度をしていた私。まだ支度に集中できていた間は大丈夫だった。

 だけど一段落してしまうと今後のことを考えてしまう。不安が脳を侵食してくる。

 心の痛みが再び溢れ出してきて、二人の優しさを消し去ろうとしていたのだった。


「ぅぅぅ――」

「ただいまですぅ」

「――ち、智耶っ! ……ふぅ……お、おかえりぃ~」


 悲しみに抗えず、再び冷たい風が心の中を吹き荒れようとしていた瞬間、リビングの扉が開いて智耶が入ってきた。

 私は慌てて目尻に溜まった涙を拭い、息を吐いてから笑顔を浮かべて妹に声をかける。

 突然のことで驚いたからかな。智耶の声で冷たくなりかけた心が一気に霧散した。智耶の顔を見て心に暖かいものが膨らんでいた。

 そう、だよね。可愛い智耶の為にも元気で明るいお姉ちゃんでいなくっちゃ。

 そうだよ。「お姉ちゃんに任せなさい!」なんだよね?


「……わぁ~♪ あぁねぇのウサギさんパーカー可愛いですぅ」

「本当? ありがと♪ 智耶の部屋にも置いてあるからね?」

「ありがとうございますぅ」


 私の格好を見た智耶が嬉々とした表情で声をかけてくる。私は微笑んでお礼を伝えると、智耶の部屋にも置いてあることを教えてあげたのだった。


 だって、お兄ちゃんが「似合うかも」って言っていたのは智耶だと思うから。だから、お揃いで着ていれば、私に何も言えないもんね。当然智耶の分も用意してあるのは本人に伝えてある。


「あっ、智耶?」

「なんですかぁ?」


 私の言葉に嬉しそうな顔でお礼を言ってから、踵を返してリビングを出て行こうとする智耶の背中に声をかけた私。

 言葉を受けて振り向き返事をする妹。私は笑顔を浮かべて言葉を繋ぐのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る