第6話 正しさ と 和菓子屋

「……き、きみが無事でよかったよ……」

「――いいえ、そうではなくてっ! 質問に答えなさい!」


 助けてもらっておいて。更に私を気づかってくれている彼に対して。

 私は「質問をはぐらかされた」と思い、語気を荒らげて口にしていた。

 そんな私の剣幕に彼は一瞬キョトンとした表情をすると、苦笑いを浮かべて言葉を繋ぐ。


「いや、俺はただ、きみに、小豆を……妹を、認めてほしかっただけさ? きみが認めてくれるのなら、俺はどんなことでも受け入れる。そう覚悟して……きみの目の前に来たんだ。もちろん、これは俺の独断の行動……小豆には何も責任はない。だから俺個人なら、何をされてもいいと思っていた。だけど、そのせいで……きみを危険な目に遭わせてしまった……だから守りたかった。それが俺への罰だから……きみが笑って妹を認めて、小豆も笑ってくれるなら……俺は、俺でいられるんだと思う。それが……俺に残された唯一の誇りなんだと……思って……いる……か……ら……」

「――ぃっ!」


 お兄様は絶えず微笑みながら私に伝え終えると、そこで瞳を閉じて気を失うのでした。

 私はお兄様の言葉を聞いて、頭を鈍器で殴られたような衝撃が襲う。それと同時に――

 私は「お兄様には勝てない」のだろうと、素直に敗北を認めていたのでした。


 自分の身の周りだけを取りつくろい、自分が認めたくないことに嫌悪けんおを抱き、無意味なことだと決め付ける。

 そして、自分が認めていることだけが「正しいこと」だと思って、まったく疑わなかった自分。

 他人など、自分の正当性を取り繕う為の人材だと思っていた私。自分に利益のないことを認めようとなどしなかった自分。

 当然誰かの正当性の為に、自分を犠牲になどするはずもなく。それは悪だと断言して切り捨てていた私。

 だけどそれが間違いなのだと。それこそが無意味なのだと。愚かなのだと。浅はかなのだと。

 自分のすべてを否定するように襲ってきた現実。

 不良に襲われ、取り巻きに捨てられていた私。すべてを失い、抗うことさえできずに目の前の現実に絶望を抱いていた。

 それなのに、そんな暗闇から救い出したのはお兄様。

 きっと、無傷で事なきを得られたはずなのに、妹の為、私の為。

 ただ、妹の正当性の為だけに、自分を犠牲にしてボロボロになりながらも、牙を向けていた私を守っていた彼。

 そして、それが誇りなのだと笑顔で答えられる彼。気を失っても、なお笑顔でいられる彼。


 彼もまた、自分が認めていることだけが「正しいこと」だと思って、まったく疑わなかったのでしょう。そこは私と同じだと思います。ですが彼には――

 そこに「相手を認めていること」も含まれていて。それこそが彼の重要な信念だったのではないかと思うのです。 

 彼の正しさ――それは妹が正しいと思っていること。

 小豆さんの正当性を認めてもらうことこそが、彼の求める正しさ。

 だから、そこに「自分本来の正当性」など含まれない。自分がどうなろうともいとわない。

 自分が傷つこうとも妹の正当性が保たれるのなら、それが自分の正当性なのだと信じている。

 その結果が、ボロボロになってまで私に認めてもらうことを願い、文字通り私を守りきったと言うこと。  


 はっきり言って、彼の行動は愚かです。浅はかです。無意味だと思います。ですが、それと同時に――

 とても強い人だと思います。大きな人だと思います。とても暖かい人なのだと、心の底から感じていました。

 彼には勝てない。私がいくら鋭い牙を突きつけようとも、彼は笑って受け入れるのでしょう。それが妹の笑顔の為ならば――。

 そう、お兄様は不良達だけでなく私のことも制圧していた。

 お兄様の大きくて広い心から吹き込んだ風に、それまで培ってきた私を形成するすべてが取り除かれて、無垢な私になる。

 そんな取り除いたすべてを洗い流すように、私はお兄様を抱きしめて心の底から泣き崩れたのでした。


 次の日、私は小豆さんの元へ謝罪をしに参りました。

 お兄様は「笑って認めてほしい」と、おっしゃっていましたが。私のしてきたことは、私が笑って認めることのできることではありません。許してもらえなければ意味がないのです。

 許してもらえるかはわかりません。私はそれだけのことをしてきたのですから。

 恨んでいるかも知れない。憎んでいるかも知れない。一生会いたくないのかも知れない。だけど。

 私は許してもらいたかった。いいえ。許されるとか許されないとか、そう言うことではないのでしょう。

 ただ、謝りたかった。自分の過ちを認めたかったのです。

 だから、私は彼女の前で昨日のことをすべて話し、そして頭を下げて謝罪をしていた。ところが。

 

「……そうですか。お兄ちゃんが……」

「……」

「わかりました。お兄ちゃんが認めてほしいって願ったんでしたら……私のことを認めてください!」

「……え?」


 私の謝罪を聞いていたはずの小豆さんは、こんなことを言い切って頭を下げて懇願してきたのです。

 私は驚いた。信じられないと思っていた。

 別に小豆さんの言葉の「お兄ちゃんが願ったから認めてほしい」が、他人任せな言葉だと感じたからではない。

 私は既に「許してほしい」と彼女に決定権を委ねていた。

 それなのに「認めてほしい」と私に決定権を委ね返してきた。そして頭を下げて懇願してきたのです。

 それは私を「許す」と言うこと。その上で私に「認める」権利を与えると言うこと。

 すべてはお兄様の願いの為に――。


「……顔を上げてくださいな?」

「……」


 その瞬間に、昨日と同じような感覚に陥っていた私。

 お兄様と同じように、小豆さんにも勝てる気がいたしません。ですが、負けることを喜んでいる私がいるのです。

 私は微笑みを浮かべて彼女に声をかける。言葉を受けた彼女は顔を上げ、真剣な表情で私を見つめていた。 

 本当に真っ直ぐで綺麗な瞳。昨日のお兄様の瞳を思い出します。

 この瞳で見つめられている以上、私にできるのは素直に負けを認めることだけでしょう。


「ふふふ……ふぅ。小豆さん?」

「……はい」

「……数々のご無礼お許しいただけて感謝いたします。ありがとうございます。その上で小豆さんのこと……謹んで認めさせていただきますことを、お許しください……」

「え? ……あ、はい、ありがとうございます……」


 笑みを溢し、一呼吸をしてから声をかける。私の言葉に神妙な顔で返事をする彼女。

 私は頭を下げてこれまでのことを許してもらえた感謝を述べる。

 その上で、彼女に「認めます」ではなく、「認めさせていただくことの許し」を彼女に懇願するのだった。

 驚きの声をあげて、一瞬の間をおいてから、私の言ったことを理解してくれたのでしょう。

 彼女は微笑みを浮かべて了承し、お礼を告げるのでした。


 やはり負けを認めたからと言っても、私の非礼を有耶無耶にして、私が彼女を認めてあげていいものではないと思う。

 これで私が「認めます」などと、上からの物言いをしてしまえば、それは負けを認めていないことを意味します。

 だからこうして、私が認めることを許していただければ、お兄様と小豆さんの願いは叶うでしょう。そして私は、小豆さんから許していただけるのだと考えたのでした。


 小豆さんはそれまでのような悲愴ひそうの表情から、やっと解放されたように微笑んでくれている。

 その表情を見ているだけで胸に溢れる想いからか、泣きそうになっていた私。

 でも、私が勝手に泣いてもいい場面でもないからと、ぐっと堪えていると。

 

「……」

「あ、小豆さん?」

「……ぅ、ぅぅ……ぅぅぅ、ううう、ふぇぇぇええええええん……」

「……あ、小豆さん……小豆、さ……うわぁぁぁあああああん……」


 目の前で微笑んでいたはずの小豆さんの瞳から一雫ひとしずくの涙が頬を伝う。

 驚いて声をかける私など気にもせず、涙を流しながら表情を歪ませる彼女。そして、ついには声をあげてその場で泣きじゃくるのでした。

 きっと、それまで――私の非道な扱いを受けていたあの頃からずっと。

 彼女の心に蓄積されていた、苦しみや悲しみがせきを切ったように溢れてきたのでしょう。そして、『お兄様との関係や想い』が溢れていたのだと思います。

 とは言え、この時点でお兄様へのことを知らない私は、ただ自責の念を抱いて彼女を優しく抱きしめていました。

 もちろん、張本人である自分が介抱をするなど許されるのだろうかと悩みましたが、他に人がいない状況でしたので僭越ながら胸をお貸ししたのです。

 ですが、抱きしめてあげた瞬間に伝わる彼女の体温。胸元から響く彼女の泣き声。

 優しくなだめようと思っても、泣くのを我慢していた私には無理な話だったのです。

 小豆さんを抱きしめながら、私も彼女と同じく、堰を切ったように泣き叫ぶのでした。


 こうしてお互いの体温を感じて、すべてを洗い流した二人は。

 すべてを許し、すべてを認め、友達となるのです。

 その後、私は小豆さんとお兄様。二人と交流させていただくことになりました。

 私はお兄様と小豆さんに救っていただいた身。お二人が許したとしても、自分自身が許せません。

 そこで少しでもお二人に近づきたくて。お二人とともに時間を過ごしたくて。

 高校は周囲の反対を押し切り、お兄様の通う、そして小豆さんの受験するであろう恵美名高校を受験したのです。


 こんな経緯があり、今の私達が形成されたのです。

 私はお兄様と小豆さんに救われた。そしてお二人を同じように愛している。

 だからこそ、彼女の想いを知っていても、お兄様を諦めることはいたしません。

 正々堂々、互いの全力で自分達の想いに向きあう。

 これが私の。いいえ、私達の「正しいこと」だと思っているのですから――。



 そんな風に、私がお二人に想いをせていると、扉を控え目にノックする音が聞こえてきた。

 

「あら? ……どうぞ?」

「……失礼します。……お嬢様、ただいま戻りました」

染谷そめや……ご苦労様。無事に回収できたのかしら?」

「はい、手筈てはず通りに……」


 中へ促すと扉が開き、執事服の男性が会釈をしてから入ってくる。 

 私の家の、私付きの執事である染谷。彼はビニール袋を持って私の前まで歩いてくると、帰宅の報告をしてきた。

 そんな彼に笑顔で労う私。今日は私の用事で外出していたのだ。

 私の言葉に笑顔を返して袋を差し出す彼。


「ありがとうございます……では、下がって大丈夫よ?」

「かしこまりました。それでは失礼いたします……」


 私は彼から袋を受け取ると笑顔で感謝を述べ、退室を促していた。

 彼は私にお辞儀をすると、扉の方へ歩いていき、扉の前でお辞儀をしてから扉を閉めるのだった。


 彼に手渡されたビニール袋を眺める私。

 黒地のビニールに、店名が印刷されている『ガメルス』の袋。

 本日はとある女性声優さんのCD。円盤と呼ぶそうなのですが、それの発売日の前日。フラゲと言う日なのだそうです。

 事前にお兄様から情報を聞き出していたので、今回は『ガメルス』と言うお店で回収。買うことらしいのですが、知っていた私。

 最初の頃、CDは普通にどこのお店でも売っているのではと思っていたのですが。

 お兄様の話ですと、店舗ごとに特典が違うので、特典の状況で買う店舗が変わるものだと聞いたのです。驚きです。

 私といたしましては、お兄様と同じものが欲しいので、事前にそれとなく店舗まで聞き出しています。

 いえ、小豆さんは無条件で同じものになるのでしょうから、遅れを取るつもりはございません。

 なので染谷に頼んで買いに行ってもらっていたのです。

 もちろん私服で行ってもらいましたけどね。執事服は目立ちますから。


「……うふふ、可愛いですわね♪ ですが、改めて見ても、やはり声優さんは綺麗で可愛い方が多いのですね? ……お兄様の好みはこう言う綺麗で可愛い方なのかしら?」


 袋の中から円盤と特典の生写真を取り出した私。まずは生写真を眺めて笑みを溢していた。

 ですが、視界に映る声優さんはとても綺麗で可愛らしくて。

 こう言う方がお兄様の好みなのではないかと表情を曇らせていたのです。どことなく小豆さんに雰囲気が似ているようにも思えて、少し悲しくなる自分がいたのでした。


「……そ、それでは開封いたしましょう……」


 悲しい気持ちをリセットするつもりで、自分に言い聞かせるように言葉にしながら円盤を手に持った私。

 保護用のビニールに悪戦苦闘しながらも、どうにか開封することができた。でも、今日ばかりは悪戦苦闘も悪くなかったのだと思える。

 それまでの少し沈んでいた心が、ビニールを開封することに集中することで、リセットされたような気がしていた。ただ純粋に、円盤を楽しむ心だけが私を支配している。


「まずは映像からですわね……」 

 

 私はCDケースを開き、CDの収納部分を本のページを捲るように開く。

 初回限定盤。楽曲のCDに、ミュージッククリップのDVDが同梱どうこんされている二枚組。

 外側のケースの内側に両面で収納されているのです。

 これは小豆さんから教わったこと。

 それまではCDと言うのは一枚のCDだけが収納されているのだと思っていました。何枚組と言うCDも知らなかったのです。


「……」


 机の脇に置いてあるノートPCのDVDドライブを開ける。そして円盤をセットして閉める。

 普段は電源を入れておりませんが、今日は染谷から手渡されたらすぐに鑑賞できるようにと、電源を入れて準備しておいたのです。

 そして自動再生されるのを待つ間に、机の引き出しから一冊のノートを取り出す。

 映像や楽曲の感想みたいなものを書き記すノート。もちろん誰にも見せることはない。だけど、お兄様や小豆さんと会話をするのに必要なのです。

 私はお二人とは違って、まだ知らないことが多すぎるのだと思う。それでも、会話に取り残されたくはない。だから自分が視聴して感じたことや、思ったことをノートに書き記しておくのです。

 そう、少しでもお二人に近づけるように……。


 映像が始まろうとしている。

 私は真剣な表情で画面を食い入るように見つめて、声優さんが奏でる色鮮やかな世界に旅立つのでした。


◇6◇ 


「さて、さっさと帰るかな……」


 地元の駅まで戻ってきた俺は時計を見やり、少し早足で歩いていた。

 思ったよりも秋葉原で時間を食っていたらしい。だけど、何も食っていなかったから腹が減っていた。やはりコーヒーだけじゃ腹は膨れないようだ。あと、時間を食っても腹は膨れない。当たり前だけど。

 

「まぁ、その前に……」


 商店街まで戻ってきた俺は、買い食いをする為に西瓜堂を目指していた。

 普段ならパン屋とか肉屋を目指すところなのだが、下校時のことも気になるしな。智耶のせいで有耶無耶になった香さんの様子を見る目的で立ち寄ってみるのだった。


「……ごめんくださーい」

「はーい? ……あら、よんちゃんじゃないの? いらっしゃい」

「あっ、おばさん……にゃんぱすー!」


 老舗の和菓子屋なのだと実感できる純和風のレトロなおもむき。だけど細部にまで手入れが行き届いているのだろう。

 それこそ、小指一本でも軽く開けられるのではないかと思えるくらいに、音もなく開かれた入り口の引き戸。そんな引き戸を抜けて中へ入っていく。そして奥へと声をかけるのだった。

 すると、奥から綺麗な声とともに、香さんの母親――美香みかおばさんが俺の前に現れた。

 おばさんも香さんにならって、俺のことを『よんちゃん』と呼んでいる。

 俺に気づいたおばさんは、微笑みながら声をかけてきた。だから俺も笑顔で右手を上げて元気に返事をする。


『にゃんぱすー』と言うのは、アニメ『れんこんびより』と言うアニメ。

 とある田舎のれんこん農家の娘さんを中心に、彼女の友達や家族などとの他愛のない日常を描く、ほのぼののんびりとした作品。

 そんなアニメに登場する主人公の女の子『茅内かやうち はすね』ちゃんの挨拶である。

 

「ふふふ……それで、何かしら?」

「あ、えっと、香さんは?」


 俺の挨拶を微笑みで一蹴したおばさん。うむ。疲れた体にはこれくらいの対応が心地よいな。変に反応されると恥ずかしいしさ。ありがたいのだ。

 俺の前まで来たおばさんが唐突に用件を聞いてきたので、香さんの所在を聞こうとしていた。だけど――


「そうねぇ? ……せめて数ヶ月待ってもらえないかしら?」

「――え?」

「やっぱり学校くらいは卒業させてあげたいし、卒業できたとしても……この家から通わせたいのよね?」

「……え?」


 突然、こんなことを言ってきたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る