沙耶エピローグ

 彼の血を受けた杯は、あらゆる奇跡を起こし世界の根源にすら直結する万能の願望器となった。

 その模倣、真実に聖杯ではないが、聖杯と同じ能力を持ったそれを奪い合い、最後の一人が奇跡を叶える戦いがあった。


 ――大気が震える。

 それはこの場に集った、強大な魔力を持つ7つの魂の圧力によりこの空間そのものが泣いているようだった。

 7人だけの戦争は何よりも先に最優と誰もが信じた剣士の英霊が暗殺者の英霊に脱落させられた時点で通例などは打ち砕かれた。

 ――肉が、おぞましい、鮮やかに醜い肉片が地上を覆う。

 アサシンの固有結界。

 『最愛なる貴方に捧ぐ恋の唄さやのうた

 セイバー、キャスター、バーサーカー……なによりルーラーすら呑み込んだ肉の魔境。


 弱ったルーラーを追い立てるために指を尖らせ、投擲するように腕を強く振るって弓矢として飛ばす……、

「その時を……待っていだァ……!!」

 ニヤリと笑みを浮かべたのはルーラーのマスターである。

「ルーラー!宝具を使えッ!」

 双子のルーラーは、マスターの声に軽く頭を縦に動かして応える。

 ルーラーの不屈、鉄の如き意思を宝具として昇華させたもの、飛んでくる攻撃に自ら直進した。

 宝具によって強化されたルーラーの体に肉の弓矢はかすり傷すら付けられず、逆にルーラーは十数メートルをまばたきの合間に詰め寄る。

 カウンター宝具、相手の攻撃を防ぎ、攻撃の隙に己の武器を直撃させる物だ。

「ッ!?、アサシン!」

 火を象徴するルーラーの剣がアサシンの首をはねるその寸前、アサシンのマスターが手を掲げて叫ぶ。

「逃げろ!沙耶さや!!」

 マスターに与えられた絶対の命令権。

 空間跳躍による窮地からの脱出ではあるが、現状アサシンでは戦闘継続は不可能に近い……ただ逃亡者として結末の時まで傷ついた霊基のまま部外者として消え失せるだけだった。


 けれど、 |マスターは、アサシン沙耶に。

 沙耶とまた、別れたくなかった。

 郁紀ふみのりという、マスターはただ沙耶と共に居れるだけで願いを叶えていたのだ。

 それは沙耶もまた同じであり、

 二人の聖杯にかけた願いは「共にいられる」事。

 

 空は未だ黒いが、黎明は直に明けるだろう。

 彼らの戦いは、敗者として終えたのだ。

 郁紀は沙耶を強く抱きしめた。

「ごめんね、郁紀……もう少しだったんだけど」

「いいんだ、沙耶。また、また逢えただけでも僕は嬉しいんだ」

 未だ人を見たときのおぞましい光景はいまだ続いている。

 街には肉のバケモノが闊歩して金切り声を鳴らして止まない。

 世界は醜いままに終わりなく、沙耶と出会う前に戻ってしまったままに……。

 本当は死ぬまで一緒に居たかった。この世界にただ一人で生きていくには沙耶は明る過ぎたから。

「ごめんね……ごめんね」

 沙耶の手の力はすっと弱まった、慌てて姿を見直せば、体が透けはじめて、身体を作っていた魔力は粒子となってほどけて空に、

 日が遠く、夜明けの色を見せ始めた空に溶けていく。

 嫌だ、また失いたくはない。

 腕の力は、何に抗うわけでもないのに、それが何か効果があるわけではないのに強めてしまう。

「痛い、痛いよ」

「……もう一度、逢えるかな」

「逢えるよ。

 だって、こうやって出逢えたんだもん。何度だって出逢えるよ」

「そう……か……」

 

 希望と絶望、喪失と、満足。

 俺たちの戦いは、もう終わったんだ。残っている彼らも直に決着をつけるだろう。

 今はまだ、沙耶と共に、夢を見よう。

 瞳を閉じて二人最後の夢を見よう。



「――でも、郁紀には幸せでいてほしいから」

 意識を手放して、脱力した彼を、上半身だけを残してほどけた沙耶が、残っている手を頭に当てて脳に指の一つを伸ばして刺し入れる。

「――――」


 動かした口は無音のままに、アサシンは一時の夢として、

 そこにあった証明すらもなくして居なくなる。



 聖杯戦争は終結した。

 杯には勝者を残した全ての英霊が満たされた。

 万能の願望器。

 根源に至る穴。

 勝者はルーラーであり、叶える願望は決まっている。

 救済、此度のルーラーの叶える救済とは英霊の救済である。

 聖杯戦争で戦った全ての英霊を人として受肉させる、そのお人好しこそ双子のルーラーであった。



 朗らかな陽光は、柔らかな暖かさで街全体を覆っている。

 満開までもう少しの桜の花は、花弁を風に舞わせて、何気ない街並みを彩っていた。

 青は青く、赤は赤く、緑は緑に。

 それは当然な事で、誰もそれを意識するようなことではない。

 それが失われた事、取り戻した事。何年も前の事だというのに未だ色褪せない輝きの日があったのだ。

「ぼぉーっとして、どうしたの?」

 緑の多いこの場所に、白ワンピースの沙耶は、いつも異常に映えている。

「大したことじゃないよ。昔の事を考えてたんだ」

「へぇ……なんだかおじいさんみたい」

「そうかもな」

 どっと背中に重みが来るが、慣れている。重みの元が何であるか知っているから。

「っと、どうしたんだ? 沙耶」

「ふふ、郁紀がおじいさんなら私はおばあさんだね」

 沙耶が後ろから、手を前に回して座ったままの彼に抱き付く。


 王子様に会うためのガラスの靴も、すべてを捧げる恋の唄も置いてきて等身大の人として愛を遂げる。

 砂漠に咲いた一輪の花は、それを愛する人と共に枯れるその時まで、生き続けるのだと。

 世界を侵した愛は、世界と共に生きていく。

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