Ⅵ-5

 ラジオの向こう側の葉山美鈴は、そのときのことを――詳細にではなく、でも、小説家らしくポイントを押さえて、簡潔に、話した。

 もちろん僕は、あのときの女の子の名前を知らなかったし、あえてたずねもしなかった。それに、葉山美鈴が本名かどうかすらも、僕にはわからない。

 ともかく、葉山美鈴は僕との約束を覚えていたみたいだ。

 彼女の本を読んだとき、その献辞も当然僕は目にしたわけだけど、偶然の一致が――ほとんどないに等しいとしても――まったくないわけじゃない。

 でも、このラジオのインタビューで確実になった。

 あのときの女の子は、葉山美鈴だということが。

 インタビューが終わって、葉山美鈴のリクエスト曲がかかった。

 当然、あのときかかっていたカーペンターズの曲だった。

 正確にいうと、この曲は僕が好きだったわけではなかった。

 当時いっしょに暮していた僕の恋人が好きで、この曲の入っていたアルバムをよくかけていたから、いつの間にか僕も耳になじんでしまっていたのだ。

 もちろん、いい曲であることは間違いない。

 そして、久しぶりに、僕はこの曲を聴いた。

 当時の記憶が頭の中をグルグルと駆けめぐった。

 そんな僕をしばらく無言で眺めていためいが、僕の目の前にハンカチを差し出した。

 めいが好きなアニメのキャラクターが描かれた、ファンシーな柄のハンカチだった。

 怪訝な顔でめいを見ると、彼女はこういった。

「人が泣いているときには、ハンカチを差し出すものではないのか」

 直後、僕の左目から涙がこぼれ落ちた。

 あとからあとから、僕の左右の目から、涙がこぼれ落ちてきた。

 僕は素直にめいからハンカチを受け取ると――もちろん僕もハンカチは持っていたけれど――涙を拭いた。

「ありがとう」僕はめいに礼をいった。「洗って返すよ」

「わかった」めいはうなずいた。

「あいかわらず好きなんだね」僕はハンカチを上着のポケットにしまいながら、いった。「マジカル・スター・エンジェルス」

 それが今、めいがハマっている魔法少女もののアニメのタイトルだった。そこだけ見れば、普通の十二歳の女の子なんだけど。

「ああ」と、普通じゃない十二歳の女の子がいった。

「それもちゃんとつけてくれているし」僕はめいが肩から下げている小さなショルダーバッグにつけられているマジカル・スター・エンジェルスのキーホルダーを指さした。

 それは、以前僕が山下直人から譲ってもらったハンバーガーショップのスクラッチカードの特典でもらったものだった。

「これはかなりレアだからな」めいはキーホルダーを手で隠した。「やらんぞ」

「いらない」僕はいった。

「ところで、無言電話はまだかかってくるのか」

 僕はうなずいた。

「そうか」めいはいった。「話は戻るが。あの、福客の力、もしかしたら役に立つかもしれないぞ」

 それは僕もさっきから考えていたことだった。

「うん。でも今はまだ、自分がどうしたいのか、よくわからないんだ」僕は正直に打ち明けた。「自分の中で結論が出たら、君にはちゃんと知らせるよ。君の助けが必要になるかもしれない。そのときは、頼んだよ」

 めいはうなずいた。


     *


 帰宅して、僕は本棚から葉山美鈴の小説を取り出すと、表紙をめくった。

 最初のページに、『カレンに捧ぐ』という献辞があるのを、確かめて――これで何度目なのかもうわからなくなっていた――本を閉じると、また棚に戻した。

 夜はまだこれからだった。

 今夜もまた、僕は無言電話がかかってくるのを待つことになる。

 三年前、突然僕の前から姿を消した恋人からの――僕とめいの推理が正しければだけど――無言電話を。

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