Ⅵ-3

 福客と呼ばれた男は、それからもその能力を発揮し続けた。

 特に一番お気に入りの店は、毎日のように男が通っていたため、連日満員で繁盛していた。

 もともと、それほど料理の腕前があったわけではなかった店の主人は、福客のおかげで客の入りの心配がなくなったのをいいことに、これまで以上に、料理に力を入れなくなった。料理を作るのは若い見習いたちに任せて、自分は日々遊び惚けていた。

 ある日、福客が遠方に配置替えとなった。

 その先はお決まりの展開だ。

 福客の力に頼っていた店は、軒並み客足が途絶えた。

 特に福客が一番気に入っていた店はダメージが大きかった。福客がいなくなったあと、客たちは、どうしてこんなまずい料理を食べに毎日のように通っていたのかと、首をかしげた。

 その店に、客はほとんど来なくなった。

 ここで、ストーリーはふたつに分岐する。

 ひとつは、なんとか店を盛り返そうと、あの手この手を使った店主は、やがて借金がかさみ、夜陰に紛れて一家ともども姿を消したという話。

 もうひとつは、心を入れ替えた店主がもう一度料理を学びなおし、料理の味で店をよみがえらせたという話。

 ただし、どちらのストーリーも結末は同じだった。

 十年ぶりに、もといた町にもどってきた福客は、その後の行きつけの店がたどった道を知り、それからは二度と店で食事をすることはなくなった、ということだった。


     *


「最後はまあ、よくある展開だ」めいはジャスミン茶を飲みながらいった。「こんな極端なことにはならないとは思うけど、何かの力を持つということはいい面とわるい面と両方あるということを忘れるなということだ」

 僕は改めて店内を見渡した。

 さすがに客の数はさっきよりも減っている。めいの食べるペースがあまりにも遅いから、僕たちよりも後から入ってきた客も、ほとんどが出て行ってしまっている。それでも、ぽつりぽつりと新しい客が入ってきた。

 客が少なくなってから、店主の奥さんがラジオのボリュームを少し上げた。

 FM七〇二。僕が以前取材した、この地域のラジオ局だ。

 ――今日のゲストは、小説家の葉山美鈴さんです。

 パーソナリティが紹介したのは、最近有名な新人賞を受賞した若手の女性作家だった。まだ二十歳の大学生で、過去最年少の受賞者だった。

 僕も彼女の小説は読んでいた。

 簡単な自己紹介のあと、葉山美鈴は受賞した小説の内容を話し出した。

 僕がちらっとラジカセの方に視線を向けたから、めいは僕がラジオに耳を傾けていることを察したはずだ。人の視線を追っていれば、大抵のことがわかる。それがめいの口癖だった。

 やがて話は内容についての少し突っ込んだやりとりに移っていった。そのなかで、パーソナリティは、小説の冒頭に書かれた献辞について尋ねた。

 ――最初に『カレンに捧ぐ』ってありますよね。このカレンって、誰のことなんですか? もし差し支えがなかったら、教えてください。

 そのとき、時代遅れのラジカセの向こう側、ここから数キロ離れた地方FM局のブースにいる葉山美鈴の意識は、今から四年前のある冬の日の夕暮れに飛んでいたはずだ。

 そして、僕の意識もまた、今から四年前のある冬の日の夕暮れに飛んでいた。

 今から四年前のある冬の日の夕暮れ、僕と葉山美鈴は――正確にいうと僕と葉山美鈴と彼女の弟は――この店の、まさにこの席に、座っていた。

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