Ⅲ-3

 はい。

 先にひとり降ります。

 そうです、そこで。その交差点で。

 はーい。おねがいしまーす。

 ふー。

 ごめんね、付き合わせちゃって。

 あいつといると、つい昔の話ばっかしちゃうのよね。

 面白くなかったでしょ。

 ほんとかなぁ。

 ん?

 いってなかったっけ。

 別れたの、もうだいぶ前よ。十年かな。

 最後の方は、別々に暮らしてたから、十数年独身みたいなもんよね。

 そうなの。そういうもんなの。

 いいのよ、細かいことは。

 何よ。

 別にネタになるような話なんてないわよ。

 ふうん。どうだか。

 あ、運転手さん、ちょっと大きくしてもらってもいいですか。

 そうです。ラジオ。

 すみません。

 来月、ここ取材行くから。

 うん。古い知り合い。

 ディレクターじゃなくて、パーソナリティ。

 そう。この人。今喋ってる。

 まあ、いろいろとね。

 ああ。

 別れた旦那?

 会社員よ。普通の。

 今から思うと、不思議なのよ。

 私、何でこの人と結婚しようと思ったのかなって。

 いや、もちろん好きだったのよ。

 好きだったんだけどね。

 何かが噛み合ってなかったのよ。

 それも、一番大事なところが。

 わかんない。

 うまく説明できないわよ。そんなの。

 それがね、ある日、あるとき、ある瞬間、わかるのよ。

 ぱっと。

 あー。違ったーって。しまったーって。

 ほかの人は知らないわよ。

 私だけかもしれないわよ。

 それはね、すっごく些細なことなの。

 ほんっとに、日常のどうでもいいような出来事のなかで起こるの。

 参るわよ。

 普通はね、やり過ごすと思うわけ。

 見て見ぬふりをして。

 自分の本心に目を背けて。

 でも、私はだめだった。

 わかってたからね。

 一度気が付いてしまうと、決して忘れることはできないって。

 最初は小さなズレでも、時間が経つとどんどん大きくなっていくのがわかってるから。

 でも、結婚しちゃってたからね。

 付き合ってるだけなら簡単に別れられるけど、そうはいかないじゃない。

 まあ、結局別れちゃうんだけど。

 え?

 その瞬間?

 いわないわよ、そんなこと。

 なんであんたにいわなきゃならないのよ。

 あー。

 でもなー。

 でも、いっちゃいそうなんだよなー。あんたには。

 なんでって。

 あんた、まだ気づいてないの?

 あんたはね、向いてるのよ、この商売。

 小説はどうだかわからないわよ。

 私は小説家じゃないから。

 でも、小説を書く場合もそれは役に立つ資質だと思う。

 え?

 教えなーい。

 そんなの自分で考えなさいよ。

 甘えてんじゃないわよ。

 知らない。

 しーらーなーいー。

 それでなくても今日はしゃべりすぎちゃったのに。

 あ、運転手さん、その信号の手前で。

 はい。

 ここでひとり降りまーす。

 じゃあね。

 いいわよ。タクシー代くらい。

 はいはい。

 お疲れ様。気を付けて。

 うん。ありがと。

 じゃあね。

 おやすみなさい。

 小清水くん。

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