その後②
「奈津さん、大丈夫かな?」
褥で横になりながら、格子の前にいる宿禰に話しかける。宿禰は褥まで歩くと端坐して、小碓の頬を撫でながら、答えた。
「あいつらが言っていただろう。あれは大丈夫そうだったと。そんなに心配なら、まず自分の身体を心配して、動けるようになったら会いに行けばいい。元気になった姿で会ったほうが、あっちも安心するだろう」
「うん……そうだね……梓女さんのお墓にも行きたいな」
ふと、そうだ、と小碓が呟く。
なんだ、と訝しみながら眺めると、よいしょ、と頭を動かして、宿禰の膝の上に載せた。
突然の行為に宿禰はきょとんとする。
「どうしたんだ?」
「別に。ただ、昔はこうしていたなって」
「そうだったな」
宿禰は過去に想い馳せる。
小碓がまだ幼い頃だ。
大碓含む異母兄弟たちに苛められた小碓は、よく泣いていた。兄弟たちの前では決して泣かなかったが、宿禰と二人っきりになると糸が切れたように泣きじゃくっていた。
いつ頃だっただろうか。たしか小碓が山に入って行方不明になって、探しに行って見つけて保護した後に怒った時以降だったか。
あの時は本当に、心臓が止まるかと思った。もし見つからなかったらどうしよう。見つかっても息をしていなかったらどうしよう。必死に探して、小さな穴の中で蹲っている小具那と目が合って、どれだけ安心しただろうか。
そして訳も分からない怒りが込み上げてきて、思わず敬語を外して怒鳴ってしまった。
体力が戻った後は、敬語で説教をしたが、その後しばらく背後で己を覗き込む小碓に、少し叱りすぎたか、と思っていたのだが、おそるおそると口を開いたのだ。
『ねぇ……もう、敬語なの?』
つまり、この子は敬語で喋るよりも普通がいいと思っているのかとそれ以降、なるべく普通に喋ったら、以前よりも自分から寄るようになってきた。自分に泣きつくようになったのもこの頃だった気がする。
小碓の頭を撫でる。小碓は気持ち良さそうに、目を細めた。
(懐かしいな)
昔はいつもこうしていた。泣いている小碓の頭や背中を撫でて、慰めていた。
そうか。
よく泣かず頑張ったな。えらかったな。
大丈夫だ。
と、色々な言葉を紡いでいた。
成長にするにつれ、それもだんだんとなくなり、正直寂しさを感じていた。
「宿禰、宿禰」
「ん?」
「えへへ、呼んでみただけ」
「なんだ、それ」
笑いながら、宿禰は小碓の髪をすくいとる。
さらさらした黒髪はとても綺麗で、触り心地がいい。ずっと、撫でていたいと思ってしまう。
初めて触った時よりも、大きくなった頭。それなのに、どうしてまだ小さいって思うのだろう。まだ物心もついていなかった時よりも、数年ぶりに触った時よりも大きくなっているはずなのに。
「ねぇ、宿禰」
「なんだ?」
くるりと方向転換して、仰向けの状態で寝転がる。
「あの時、ずっと傍にいるって言ってくれたけど」
あの時とは、初めて針間姫の部屋に逃げ込んだ小碓を迎えに行って、帰る道中に交わした誓いの事か。それがどうかしたのだろうか。
「ずっとって、いつまで?」
くりっとした目が、宿禰の鳶色の目をじっと見つめる。不安の色もない、澄んだ瞳。
宿禰はくすりと笑う。
そんなの決まっているではないか。
「ずっとはずっとだ」
「具体的には?」
「死ぬまで一緒だ」
「どっちかが先に死んでも?」
「俺が死んだら、お前が視えなくてもずっと小具那の傍にいる。小具那が死んだら、追いかけてやる」
「うーん。出来れば生きてほしいなぁ」
はみかみながら、小碓はそう言った。
あの頃と変わらない、無邪気な笑み。それが自分の心にどれだけの光をくれるのか。強くなれるのか。この子は全く分からないだろう。そういうところは鈍いし、知らなくていいと思う。
「小具那、そろそろ夕餉の支度をしなくては」
「うーん。もうちょっと、このまま……」
横向きになると、すぐに寝息を立てはじめた小碓に苦笑して、さて、と思案する。
小碓は、一回寝たらなかなか起きない。このままでも良いのだが、夕餉の支度をしなければならない。自分たちの分だけならいいものの、今居候中のリンの分も作らなくてはならない。
(ま……いっか)
先程格子からリン、大碓、眞澄の様子を見ていたが、眞澄から食べ物が入った籠を貰っていたから、大丈夫だろう。眞澄のことだ。見舞いの品として持ってきたからリンも食べていい、と告げたに違いない。
「なぁ、小具那」
ふっと目を閉じて、穏やかな声音で囁く。
「前に言っていたよな。が一番、安心できるんだ。一緒にいてくれるだけで、とても心強い。宿禰がいてくれたから、僕はここにいるし、笑っていられるんだ。僕、宿禰がいないと駄目なんだよなぁ、と」
川で父と話した直後に言われた言葉を反芻しながら、頭を撫でる。
「俺だってそうだ。傍にいてくれるだけでいい。それだけで、俺は強くなれる。なぁ、知っているか? 俺が大きな声で笑うのは、お前がいる時だけだということを」
誰かが教えない限り、知らないままだろうな。小具那の前で笑うのは、もう当然のことだから。
「それと、お前は昔からそうだ。俺がいるだけで、嬉しそうに笑っていた。稲姫様もそう仰っていたんだ。あの人は嘘をつかなかったから、間違いない。俺が帰ろうとしたら、くずって裾をなかなか外さなかった。もう、とっくの昔から俺がいないと駄目だということくらい、知っている」
この部屋で、幼小碓とじゃれ合い、あの人と過ごした穏やかな日々。大碓は自分に懐かなくて、よく玩具を投げられて別部屋に移動されていた。
あの頃の記憶は、今でも宿禰の心に刻みこみ、色褪せることはない。大切で幸せだった日々。今でも、小具那がいるから幸せだ。
その中でも、昨日のことのように思い出せるのは。
宿禰は瞼を閉じて、その中で最も大切な思い出の紐を解いた。
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