一方の二人
体が重い。苦しい。
呻きながらおもむろに瞼を開けると、見知らぬ光景が広がっていた。
埃塗れの薄暗い室内。きちんと整理されて置かれている、籠や木箱に木簡を入れている棚に大小の土師器。鼻に纏わりついているのは、黴の臭い。湿った空気が体に圧し掛かってくる。
ここは何処だろう、と視線を巡らすと、芋虫みたいな変な物体が蠢いていた。
「気が付いたか」
それは、縄でぐるぐる巻きにされたリンだった。思わず半眼で見つめるとその視線をどう思ったのか、わらわの趣味ではないぞ、と言ったものだから、知っているよ、と返そうとした。
だが、声が出てこない。枯れすぎて声が出ないような感じがする。どうしてそんな恰好しているのか訊きたいのに。
それでも、小碓が言おうとしていることが分かったかのように、リンは話す。
「わらわがどれだけ瘴気を体内に入れても平気だったから、このようにぐるぐる巻きにされたのだ。品物比礼を没収にされそうになったが、あやつらの存在自体が邪気の塊みたいなものだったからか、触れられはしなかったが……このような恰好にさせられるのは……解せぬ」
むっと不服そうに眉を顰めた少女。小碓が初めて見た、無表情以外のリンの表情であった。
それにしても、誰が僕とリンを攫ったのだろう。
『そういうことか……あの、男っ……!』
宿禰が隣で、低く唸っていた言葉を思い出し、ああ、と察した。
(梓女さんと取り引きして、僕たちをここに閉じ込めたのは、宿禰さんか……宿禰さんだけじゃない、闇の一族も関わっている)
己の暗殺を企てた理由は、おそらく宿禰を再び手中に収めたかったからだろう。
宿禰は闇の一族にいる若手の中で、最も優秀だった。闇の一族しか伝えられていない術は使えなかったが、それでも彼は一番強かったという。
そんな彼を彼の父親が、欲しがらないわけがない。けれど、彼は自分の傍にいると決めた。その内に離れるだろうと高を括ったが、何年経っても宿禰が出来損ないの王子から離れる気配がなく、あろうことに王子と共に纏向日代宮を出て行った。さすがに焦ったのだろう。何としても、息子を引き戻したい彼は自ら行動することにした。
小碓がいなくなったら、闇の一族から離れる理由も無くなり、場所を無くした宿禰が戻ってくるかもしれない。そう考えたのかもしれない。それで小碓の暗殺に乗り出したのだろう。
(それよりも、状況を把握しないと)
でも身動きが取れない。
体がずっしりと何かが上に乗っているように重く、視界も霞んでいく。
動けない。息ができなくて苦しい。声が出せない。
リンに伝える事が出来ない。
「おぬしの今の状況は、手足を縄で縛られている。頭らしき人物が、気絶したおぬしの体内に瘴気を取り込ませたのだ。今、喋られなくなっているのも、それが原因だ。体が重くなって苦しいと感じるのも、まさしくそれだ。瘴気がおぬしの身体を徐々に蝕んでおる。このままだと死ぬぞ。今も生きていられるのは、おぬしに瘴気に対する耐性があるのと、その手首に付けている翡翠の釧のおかげだ」
(あれ、梓女さんを殺したのはきっと宿禰さん。それなのに、なんで梓女さんを殺した時の術を使わなかったんだろう……僕を殺すのなら、それを使えばいいのに)
「おぬしを使ってあやつを脅そうとしているのか、殺そうとしたが瘴気がなかなか体中に回らないから殺せなかった、とかその辺りじゃないか。まあ、それだと太刀で殺せばいいだけのことだ。おそらく前者だろう。あやつは犯人に気付いている。おぬしを殺したところで無意味だと判断したのか」
会話が成立している事に気付いて、小碓は内心驚いた。
(あれ、リン……僕の心を読んでいる?)
「……おぬしは、顔によう出ているだけだ」
そっか。小碓は力なく笑って、視線を泳がす。
「言っとくが、格子はないぞ。微かに漏れているのは、壁の隙間から入ってくる月の光だ」
(ということは、倉庫なのかな? 物もあるし)
「下っ端らしき者がそう言っておったな。最も、ここは随分前から使われていないようだった。物も古いものばかりで蜘蛛の巣も主がいない。虫すら見捨てられておるわ。このような場所にいるのだ。あの者たちはちゃんとここに辿り着けるだろうか」
(大丈夫だよ)
小碓は強く、思った。
(宿禰は絶対にここに来てくれる)
「信頼しているのだな」
(信用もしているよ。宿禰はいつもそう。僕がどれだけ隠れようが迷っても、必ず僕を見つけ出してくれるから)
山の中で迷った時も、それ以外でも。
宿禰はいつも、一番目に小碓を見つけてくれた。
必死になって、見つかるまで根気よく粘って。
だから今回も見つけてくれる。間に合ってくれる。
そう、信じられる。
「……ここから出るには、壁を破壊するか、扉から出るしかないが見張りがおる」
(壁を破壊って……逞しすぎるよ、リン)
「それほど逞しくない。ぐるぐる巻きにされなかったら、縄抜けが出来たというのに……」
ごろごろと身を転がしている様子から、この状況に少女はそれほど悲観していないことが分かった。
それにしても、体が全く動かない。小さい女の子がいるのに、こんな状態なんて情けない。今、少女を守れるのは自分しかいないというのに。
「いや、今はわらわより自分のことを心配しろ」
馬鹿かおぬしは、と言わんばかりに見つめられ苦笑する。
なんだ、心を読んでいるじゃないか。
顔を顰めるリンが、読めない、と小さく言った。
心を読もうがそれほど気にしないのになぁ、と思っていると何やら外が騒々しくなった。
なんだろう、と視線を巡らすと、知らん、という冷たい声が返ってくる。
「今は救助を待つしかあるまい。おぬしはあまり体を動かそうとするではない。生きたいのであればな」
そう言ってリンは、芋虫のように体をくねくねしながら方向転換して、視界から消えてしまった。
小碓は目を閉じる。朦朧とする意識の中、微かだが彼の声が聞こえた気がした。
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