epilogue1.中山道珍道中

 



 沖田の葬儀は近所の寺から僧侶を呼んで簡単に済ませた。

 参列者は琉菜と平五郎夫妻と数人の丁稚など。



 琉菜はわけのわからないお経など耳には入らなかった。

 頭の中を流れるのは、今までの思い出ばかり。



 出会った時のこと。

 木の上から一緒に月見をしたこと。

 賊に襲われているところを助けられたこと。

 料理をほめてもらったこと。

 一緒にお菓子を食べながらのんびりと日向ぼっこしたこと。

 剣術の稽古をつけてもらったこと。

 互いの思いを告白し、初めてキスしたこと。

 結婚したこと。


 そして、最期の微笑み。


 もう動くことなど二度とないその亡骸を、琉菜は目にやきつけておこうとじっと見つめた。



 総司さん。そっちには、近藤局長も、山南さんも藤堂さんも源さんもいます。そう、びっくりすると思うけど、近藤局長もそっちにいるんです。黙っていて、ごめんなさい。

 でも、だから、寂しくないよね?みんなに、よろしく伝えてくださいね。


***


 その夜、琉菜は昨日までそうしていたように、総司のいる部屋に布団を敷き、寝ようとしていた。

 しかし、そうだと思い出して、文机に向かった。日記の最後のページを書く。



 ――五月三十日

 沖田先生、逝去せられ候



 六月五日、と書かなかったのは他でもない。

 最後の数日間は二人だけのものだったのだと、そう思いたかったからである。琉菜としては、できることなら五月三十日で後世に伝えたいと思った。


 この記録が、どんな形で未来に残るかは、わからない。

 平五郎らの証言から、六月五日説が未来に残るかもしれない。


 もし六月五日説になってたら、それはそれで、歴史を変えたってことだよね。

 未来に残るのは、どっちかな。




 四十九日までは琉菜は平五郎宅に置いてもらうことになった。そのあとは、京都の中富屋に戻るつもりだ。

 土方に追いつき、最後まで行動を共にしようかと考えたこともあったが、何かがプツリと切れたように、琉菜は「大好きな新選組に身を置く」気力を失っていた。改めて、女だてらにあの男所帯の中で頑張ってこられたのは、沖田のためだったのだと琉菜は思い知った。



***


 沖田の死から一ヶ月が経ったころ、ミツがやってきた。


 琉菜はすべてを話した。

 この一ヶ月、思い出さないことのなかった総司との最期の日々。

 改めて口にすると、なんだかそれは奇妙に現実味がないように思えた。

 まるで、すべては夢だったのではないかと思えるほど。


「そうですか。それなら総司は、笑って逝けたんですね」


 力なく微笑むミツに、琉菜ははい、と頷いた。


「それを聞けて安心しました。最期に、琉菜さんという心の拠り所もできたみたいですし」ミツはくすりと笑った。琉菜は少し顔を赤らめて縮こまった。

「ごめんなさい、あたしなんかが、総司さんの妻だなんて……」

「謝らないでください。むしろ私は総司があなたを選んだこと、嬉しく思ってますから」


 それを聞いて琉菜は深く頭を下げた。


「あの、ありがとうございます」

「こちらこそ、総司のこと、本当にいろいろありがとうございました」


***


 平五郎宅で世話になっている間、琉菜は気を紛らわせるためにもひとしきり江戸の町を見て回っていた。まもなく東京と名を変える江戸の町は、戦火を回避できた安堵からか、思いのほか活気づいていた。


 新橋から横浜の鉄道開通とか、ガス灯がつくとか、和洋折衷のおしゃれな建物ができるとか、そういうのも見届けたかったけど、さすがにあと何年か先だしなあ……


 そんなことを考えられるようになるくらいには、精神的回復の兆しもあった。ただし、そう思えるのは昼間だけであった。やはり夜一人になると沖田のことを思い出しては涙し、眠れないことも続いた。

 いっそ、予定を早めて京都に行こうかとも思ったが、その勇気もなかった。沖田と過ごしたこの家から離れることもまた、琉菜にとっては身を引き裂かれるような思いだった。


 しかし、その日はやってきた。沖田の死から五十日目。

 琉菜は平五郎夫妻に見送られ、約四ヶ月住んだ千駄ヶ谷をあとにした。


 船で行こうと思えば行けたのだが、琉菜は歩きたかった。

 沖田たちは、江戸から京都まで歩いて行ったのだから。


 道中には芹沢らもいただろう。

 武士になりたいと思いながらいろいろなことを経験しただろう。


 そんなことを考えながら、彼らが初めて上洛した時と同じ道を、琉菜も歩いてみたかった。


 でも、まさか……


「またお二人と一緒に過ごせる日が来ようとは」琉菜はにこり、と微笑んだ。


 お二人、というのは京都で別れたはずの木内峰太と、土方隊が北上する際に袂を分ったとされる市村辰之助だった。


「それはこちらも同じです。まさか琉菜さんと一緒に京に戻ることになるなんて」

「すみません。でも、本当、一人でも大丈夫ですよ?」

「何言ってるんですか。女子に中山道一人旅なんてさせられませんよ。お世話になった沖田先生の奥様を守るのも新選組の大事な仕事です。気にしないでください」


 木内は、京都で軽犯罪を取り締まるようなことをしていたが、三条河原に晒された近藤の首を見て、やはり新選組のために働きたい、と北上戦線に加わるべく東下したそうだ。そして奥州街道に入り宇都宮を目指したわけだが、その途中草加宿で、北上戦線から一人撤退してきた市村と偶然再会したという。市村は市村で、故郷の美濃大垣に向かうということで、どちらにせよ中山道を使う予定だったようだ。


 沖田の訃報を知っていた市村の提案で、二人は沖田の位牌に線香を上げようということになったらしい。


 半月程前に千駄ヶ谷を尋ねてきた二人に再会した琉菜が、仰天したのは言うまでもない。



 そんなこんなで、三人の約半月に及ぶ珍道中が始まった。

 数か月前に、沖田を追いかけて駕籠に乗りこんだ日本橋から、西ではなく北に向かう。現在の埼玉県や長野県を経由して京都へ向かうコースだ。


 現代人の琉菜にしてみれば、東京から京都に二週間かけて歩くなど、前代未聞の大冒険であった。

 最初こそは意気揚々と旅をしていたが、その心意気も数日後には風前の灯となっていた。


 群馬県の本庄宿に到着した琉菜は、宿で泥のように眠った。かつてここで初代局長・芹沢が焚き火をしてちょっとした騒ぎになったという逸話の残る、新選組ファンにしてみれば聖地の一つだが、琉菜はそんなこともすっかり忘れてしまっていた。結局琉菜が日が高くなっても眠り続けていたため、旅程が一日遅れてしまった。


 急ぐ旅ではなかったが、この調子では京都にたどり着くのは不可能ではないかとさえ思えた。そこで琉菜は、少しでも旅のストレスを軽減するために、久々に「男装」をすることにした。女物の着物はとかく歩きづらい。歩きやすくなれば、幾分速度も上がり、宿でゆっくり休むこともできるだろう。


「そういう格好していると、本当に中富に似てるなあ、と思いますよ」木内が懐かしそうに言った。


 琉菜は、ここのところ悩んでいた。


 比較的新参者の市村はともかく、木内にはすべてを話してもいいのではないか。

 何せ、男装時代は対等に話せる友達だったのだし、「琉菜」として賄い方をやっている時も、「友人の妹だから」と何かと気にかけてくれていた。その木内をいつまでも欺くことに、もう罪悪感の限界を迎えようとしていた。

 しかも、市村が途中――現在の岐阜県にあたる美濃大垣――で別れる予定なので、そこから先三分の一くらいの道のりは、朝から晩まで木内と二人きりなのである。遅かれ早かれ、感づかれる可能性が高い。琉菜は、木内にはすべてを話そうと決めた。未来から来たことも含めて。


 やがて鵜沼宿という宿場町に差し掛かったところで、ついにその時はやってきた。


「申し訳ありません、琉菜さん。最後までお供したかったのですが」市村は本当に申し訳なさそうに言った。恩義ある親類縁者が病がちで長くないことから、市村は帰郷を急いでいたのである。

「構いません。京都までは後少しですし、木内さんもいますし」琉菜はにこりと微笑み、市村を見送った。別れる寂しさもあったが、それよりももう一度会えたことへの嬉しさが勝っていた。ここまでの道のりで、だいぶ気も紛れていたことに対する感謝もあった。


 京都への旅程は残り一週間ほど。次の宿場町にたどり着くと、琉菜は木内と二人きりで飯屋に入り、その土地で採れたという山菜料理に舌鼓を打った。が、


「なんだか、改めて考えると、変ですよね。俺が琉菜さんと二人でここから京まで歩くのって」


 と、木内は居心地悪そうな顔を浮かべた。


 琉菜は、今だとばかりに「木内!……さん」と名を呼んだ。


「こんな格好だし、あたしのことを、中富新次郎だと思ってもらえないですか?」

「は?何言って……」

「オレが、中富新次郎なんだ」


 きょとんとした木内をよそに、琉菜は周りを見回した。だが他にも客がいるので、話しにくい。


「食べたら、宿に戻ろう。あんまり人に聞かれたくないんだ」琉菜は久々に中富新次郎として喋り始めた。

「る、琉菜さん?どういうことですか?」

「宿に戻ったら、全部話す」

「確かに、その格好でそうやって喋ってると本当に中富みたいだけど……琉菜さん、どうしちゃったんだ?」


 約束通り、宿の一室で琉菜はすべてを話した。自分は未来から最初にやってきて、中富新次郎というのは二回目のタイムスリップをした自分が変装していたのだと。


「信じてくれとは言わない。突拍子もないことだと思う。でも、自分からこうして打ち明けたのは、木内、お前が初めてだ。土方副長にはさっさとバレちまったし、沖田先生の時は偶然のきっかけがあったから」

「そ、そんな話、俄かに信じられるわけないじゃないですか……」


 木内はまだ会話の相手を琉菜だとして接しているようだった。無理もない。さすがに、いきなり情報を入れすぎただろうかと琉菜は別の罪悪感に駆られたが、もう引き下がれなかった。


「未来がどうのって話は置いといて、とりあえず、あたしが中富新次郎と同一人物っていうのは信じてくれる?」


 ほら、と言って、琉菜は左腕の袖を捲った。現れたのは、二つの傷跡だった。一つは沖田を襲った刺客と戦った時のまだ痛々しい傷跡だったが、もう一つは、肌と同化しているものの、色が周りと違っている。


「あたしは、木内が最初に声かけてくれた時のこと、覚えてるよ。沖田先生に会いたくて、とりあえず新選組に入ったはいいものの、平隊士としてうまくやっていけるかなって、不安だった。でも、あの平隊士の大部屋で、最初に話しかけてくれたでしょ?あのおかげで、緊張が和らいで、隊務にも馴染めた。だから、木内には、本当に感謝してるの」


 ――おう新入り、歳はいくつだ?前髪落としたてなんじゃねえの?

 ――十九ですよ、こう見えても。

 ――おおっ!俺は二十歳だ!やっと歳の近いやつが入ってくれたわぁー!俺は木内峰太、よろしくな。

 ――中富新次郎です。

 ――んな堅苦しい言葉づかいしなくていいよ!これから一緒にやってく仲間なんだからな!


「……だから、そんな木内に、ずっと黙ってて、嘘ついてて、それは本当に申し訳ないと思ってる。ううん、嘘を突き通した方がよかったかもしれないな。本当に、ごめんなさい」


 木内はまだぽかんとした顔をしていたが、「本当に……中富なのか……?」と口にした。琉菜は力強く頷いた。


「なんだ……俺、ずっと、どっかで野垂れ死んでないかとか、連れ戻されて切腹になったらどうしようとか、そんなことばっかり心配してて……」

「ご、ごめん……でも、ありがとう。信じてくれた?」

「信じられん!」

「ええっ?」


 ようやく話が通じたかと思った琉菜は、驚きに目を見開いた。


「そんな、いきなり未来がどうのこうのって信じられるわけねえだろ。今はまだ、頭が混乱してんだ。ただ」


 木内は目線を逸らし、窓の外を見た。


「明日からは、お前を中富として接する。その方が、俺は気が楽だから」


 それを聞いて、琉菜はにこりと微笑んだ。


「ありがとう。そうしてくれたら助かるよ」

「別にお前のためじゃねえ。ほら、今日はもう寝るぞ」


 琉菜は布団に入ると、ふう、と大きく息を吐いた。

 木内の口調が、中富新次郎に対するそれと同じになっていた。それだけで、琉菜は嬉しかった。



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