29.平成から来た男。その最期。(前編)




 結局劣勢のまま、新選組は大坂までの撤退を余儀なくされた。



 全員、満身創痍であったが、そんな彼らを暖かく迎えたのは療養中の近藤であった。


「土方くん、よくがんばった。皆も、よく戦った。今回は負けたが、まだまだこちらに勝気はある。今度は、上様自ら指揮をとられるそうだ!」


 隊士たちはおおっと歓声を上げた。


 将軍が出れば、旧幕府軍の士気は上がり、新政府軍に対してはこれ以上ない脅しの効果がある。疲れ果てた隊士らの目に生気を戻すには十分な知らせだった。

 むろん、本当にそうなれば、の話だが。


 琉菜は沖田や負傷隊士の世話があるからと、そそくさとその場を抜けた。


 あんなにうれしそうな局長の顔、これ以上見てられないよ……!



 明日、明後日になって、事態を把握した近藤は一体どんな顔をするだろうなどという想像は、考えるだけでも恐ろしかった。

 琉菜は出てきそうな涙をこらえながら廊下を歩いた。


 とりあえず沖田さんの部屋に行こう。

 気持ちを、切り替えよう。


 自分がいない間、沖田はどうしていたのか。

 病状はどうなのか。


 そればかりを、琉菜は考えた。


 沖田の部屋の前に立つと、中から咳をする声が聞こえてきた。


 やはりつらそうだな、と琉菜は顔をしかめて、小さく溜め息をついた。

 そして、そんな顔を沖田に見られてはまずいと、何事もなかったかのような顔を取り繕って、「失礼します」と襖を開けた。


「琉菜さん……」


 沖田はガバッと起き上がった。一瞬驚いたような顔をしたが、すぐにぶすっとした不機嫌そうな表情を浮かべた。

 琉菜は沖田の側にすとんと腰を下ろした。


「すみません、急に抜けちゃって。お元気でしたか?……なわけないですよね」沖田の怒ったような顔を察知して、琉菜は機嫌を取るような口ぶりで言った。

「どうして伏見になんか行ったんですか」沖田は間髪入れずに言った。 

「近藤局長の文を届けるために……」

「そんなの飛脚に任せればいいんですよ」

「でも、近藤局長の大事な手紙ですから。万が一にも届きそびれることがあったらと思って」

「万が一にも琉菜さんの身に危険が及んだらどうするんですか」


 沖田はフンと鼻を鳴らした。

 怒っている様子をよそに、琉菜は


 沖田さん、心配してくれたんだ……


 などと悠長にテンションを上げていた。



「近藤先生も近藤先生だ……なんだって琉菜さんを……」沖田は引き続きぶくつさ言っている。

「あたしの腕を局長が認めてくれた証拠じゃないですか」琉菜はにっこりと笑った。

「私の気持ちも考えてくださいよ」沖田が拗ねたように言った。

「琉菜さんがいないと思って松本先生に聞いたら、伏見にいったなんて聞かされて。しかも、伏見では戦が始まったっていう知らせが入って。心配でしょうがなかったんですから」

「ご、ごめんなさい……」

「もう気が気じゃなかったんですからね。寿命が縮みました」沖田はぷいっと顔を背けた。


 琉菜は複雑な心境でそんな沖田をじっと見つめた。


 沖田さん……そんなに心配してくれたんだ。

 うれしい。すっごくうれしい。

 でも、沖田さんに心配かけちゃったよね。


「そんな、寿命が縮むなんて縁起でもないこと言わないでください。沖田さん、ごめんなさ……」


 言い終わる前に、沖田は琉菜をぎゅっと抱き締めた。


「よかった……生きてて……」


 小さくそう言う沖田の背中に、琉菜は自分の腕を回した。その温もりに安堵すると共に、以前よりも、細く、骨ばった感触に、涙ぐんだ。




 次の日、健康な隊士が大広間に集められた。

 招集をかけた近藤は、昨日とはうってかわって沈痛な面持ちで前に立った。


「皆には、落ち着いて聞いてほしい」近藤は少し間をおいてから、言いにくそうに言った。

「上様は、昨夜江戸にお戻りになられたそうだ」


 一瞬、全員がぽかんと口を開けるばかりで何も言わなかった。が、すぐに「どうしてまた」「上様は俺たちを見捨てたのか!?」などと困惑の声が広がり、広間は俄かに騒がしくなった。


「てめえら静かにしやがれ!」


 土方の一声で、隊士らは水を打ったように静まり返った。


 だが、当の土方が、一番取り乱しそうになるのを抑えているように見えた。こめかみに青筋が立っている。


 近藤はコホン、と一度咳払いをして話を続けた。


「明日夜の江戸行きの船に乗って、我々は江戸に下る。そして、そこで軍の再編をしようと思う」


 話を聞きながら、琉菜は本で読んだ自分の知識を慌ただしく呼び起こした。


 やっぱり、こうなっちゃったか。

 後から思えば、無駄な血を流させないためにしたのかなって、思えるけど。錦の御旗も取られちゃったし、徳川のためにも賊軍の汚名を着せられたくないっていうのもわかる。


 けど、けどさ。

 慶喜さん、あなたのために、みんな命懸けで戦ったんだよ。

 源さんは、何のために死んだっていうの。


 会津候と重役の人だけ連れて江戸に帰っちゃうなんて。

 他に方法はなかったの?もしかしたら、もしかしたら、まだ幕府に勝機はあったかもしれないのに。


 琉菜は、虚ろな目で近藤を見た。歯がゆそうにこの後の動きについて説明している。


 近藤局長、かわいそう。

 せっかく幕臣になったのに。

 仕える主君に裏切られるなんて。



「……それでは、明日の夕方までに、各自荷物をまとめておくように」


 すっかり気落ちした近藤につられるように、隊士らも重苦しく「承知……」と答え、その場は解散となった。


 琉菜は生気を失ったような近藤と、その横でかける言葉が見つからないような顔をしている土方を横目に、広間を出ていった。



***


 大坂の港に、ボーッと汽笛の音が響いた。

 琉菜は甲板の柵にもたれてぼんやりと港の景色を見た。


 もう本当にお別れなんだ。京にも伏見にも大坂にも、もうひょいひょい来ることはできないんだ。


「寂しいですか?」


 背後からの声に振り返ると、沖田がにこにこと笑顔を浮かべて立っていた。


「沖田さん、寝てなきゃダメじゃないですか!」

「いいじゃないですか。もうきっと、二度と来ないだろうから。最後に見せてくださいよ」


 そう言われてしまうと、琉菜には返す言葉が見つからなかった。

 沖田は満足そうに微笑むと、琉菜の横に立って、同じように柵にもたれた。


「江戸に帰るのかぁ」沖田は独り言のように言った。

「嬉しいですか?」

「そうですね。五年ぶりですから」


 船が動き出した。

 新選組はついに、活躍の場である京都、大坂エリアを後にしたのである。




 琉菜たちが乗っている富士山丸は、主に負傷隊士を乗せている船だ。 

 怪我人たちは狭い船室に身を寄せていて、とても衛生的とは言えない環境であったが、琉菜は怪我人の包帯を換え、食事を用意し、と忙しく動き回っていた。



「琉菜さん」


 同じく世話役として乗り込んでいた市村に、名を呼ばれた。


「山崎さんが、琉菜さんを呼んでくれと」

「山崎さんが?まさか、具合が……?」

「容態は変わりませんが、とにかく少し話がしたいと」


 琉菜は、嫌な予感を必死で振り払いながら、山崎のもとへ向かった。枕元に座ると、手拭いで額の汗を拭いてやった。


「山崎さん、具合はどうですか?」

「琉菜……」山崎が小さく言った。 


 同じ「肩の怪我」でも、近藤と違い、山崎は回復の兆しを見せるどころか時間を追うごとに体力を無くしていくようだった。恐らく、野営の中で手当をしたこともあって菌が回ってしまったのだろうと、山崎は自分でそう言っていた。


「しゃべらないでください。余計な体力使わない方が……」

「余計やあらへん……」山崎が琉菜の言葉を遮った。

「もう少しで……俺は死ぬんや。せやから……最期に……お前に言うこと全部言うとく……」

「山崎さん、やめてください」


 山崎はふわりと微笑んだ。


「わかってるやろ。俺はここで死ぬ。俺は……後悔してへん……精一杯……山崎烝として生きられたんや……お前はいつ死ぬかわからんが……精一杯生きるんやで。命を無駄にしたらあかん」


 これが最期なのだ、と琉菜は悟った。

 ならば、聞いてあげられるうちに、話を聞いておこうと、決めた。


 琉菜は出そうになる涙をなんとかこらえ「はい」と力強く言った。


 山崎は声を振り絞るように続けた。


「お前には、感謝しとる……。幕末の人間として生きて、ええことばかりやなかった……そりゃあ、ちょい息苦しい思う時もあった。……せやけど、お前といる時は、リラックスできてん」


 琉菜は、ふふっ、と笑顔を見せた。


「あたしの方こそ、山崎さんにはいろいろ助けてもらって、本当に……」


 琉菜はなんとか涙をこらえた。ここで泣いたら、山崎を困らせるだけだ。


「好きでやったことやさかい。気にすんなや……琉菜、ほんま、おおきにな」


 琉菜はだらりとした山崎の手をとった。


「こちらこそ。ありがとうございました。本当に、山崎さんには感謝しつくしても足りません」


 山崎はにっこり微笑むと、ゆっくりと目を閉じた。


「山崎さん……」


 握っていた手からは完全に力が抜け、少し重くなった。

 もう一度、目を開けるのではないかと琉菜は淡い期待をこめて山崎を見つめた。

 しかし、目を開けるどころか、もはや息遣いさえ感じられない。


「山崎さん」


 琉菜はもう一度呼び掛けた。

 しかし、返事が返ってくることはなかった。


「起きてください。つい今の今まで、ぺらぺらしゃべってたじゃないですか。……ねえ、山崎さん」


 握っていた山崎の手が、涙に濡れた。

 それでも握り返さない手を、琉菜は離さなかった。





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