23.油小路にて




 坂本龍馬が暗殺された、と京の町が俄に騒がしくなっている中、新選組は新選組で慎重に事を進めなければいけない事態に直面していた。

 

 とある人物の帰営で、琉菜はそれを嫌でも意識することになる。

 

「斎藤さん!」


 庭掃除をしていた琉菜は、久々に見る人物に驚き、大声で名を呼んだ。

 斎藤は琉菜に気付くと足をとめた。


「琉菜さんか。これから内密に局長に会うんだ。あまり大声を出さないでくれ」

「す、すいません……」

「構わない」斎藤は少し遠くの方を見つめた。

「動くぞ」

「伊東さん、ですね」


 斎藤はこくりと頷くと、局長室に向かった。

 



 伊東さんをスパイしてた斎藤さんが帰ってきた。

 そしたらもう、あれっきゃないじゃん。






 数日後、近藤・土方は屯所の近くの店に伊東を招き、酒宴を開いた。


 もちろん、そこから始まる一連の事件に、琉菜が入る隙はない。

 そもそも琉菜の任務は今、専ら沖田の看病である。今夜起こることを知らせず、悟らせず。運がいいのか悪いのか、この日沖田の体温は三十八度越えであり、琉菜は沖田に活動禁止令を出していた。



「沖田さん、気分はどうですか?」


 琉菜は薬を持って沖田の部屋に入った。

 今日の薬は、ただの咳止めである。解熱剤ではない。申し訳ないとは思いながらも、今は熱を出して寝込んでくれていた方が好都合だ。


 今夜起こることを、沖田にはしゃべってはいけないことになっていた。言えば、無理をする。


 近藤と土方は御陵衛士つまり伊東一派を一掃する計画を立てていた。

 訳なら、ある。伊東は近藤の暗殺を企てていたのだ。やられる前にやってしまおうと、先手を打つための作戦である。



「昼間よりは楽になりましたが……琉菜さん。今晩は、荒れますね……」


 こんな時に限って、沖田は鋭かった。普段だって鈍いわけではないが、こんな時にそんな力を発揮しなくても、と琉菜は内心焦った。


「荒れる?うーん、いいお天気ですよ。月も見えてるし」琉菜は沖田に背を向け、障子の隙間から顔を出して空を見上げた。

「そういう意味じゃないですよ」

「どういう意味ですか」琉菜は自分の思い過ごしで済むことを祈った。

「斎藤さんが帰ってきた。それに、さっき厠に立った時、近藤先生と土方さんたちが島原方面に出て行くのを見ました。供もつけずに。あの二人だけで外へ酒を飲みに行くなんて珍しい」

「まあ、たまにはそんな日もあるんじゃないですか?」

「極めつけは、土方さんの顔です。同じだったんですよ。芹沢さんを斬った日と。これから仲間を斬りに行く時の顔。もう四年も前のことだけど、あの日のことはよく覚えています。琉菜さんはまだいませんでしたが、未来の人ですし、知ってますかね?」


 琉菜は答えるべきか迷った。この時点ではまだ、芹沢鴨の暗殺犯は長州の人間ということになっている。が、沖田が今ネタばらしをしてしまったのだから大丈夫だろうと判断した。


「はい。あとになって、八木さんの息子さんの目撃談が語られて……」

「あはは、為坊、やっぱり見てたんだ。あの時は必死でしたからね」


 懐かしそうな目をする沖田を見て、琉菜はこのまま話題が逸れて終了することを期待した。しかしそうはいかなかった。


「伊東さんですか?」沖田は真剣な眼差しで言った。

「それは……」

「図星でしょう。教えてください。本当のことを」


 言ったら、沖田はどうするだろうか。

 加勢しに行くか。止めに行くか。どちらにせよ、体の状態も省みず飛び出していくに違いない。


 琉菜がそんな風に悩んでいるのを見通したのか、沖田は


「琉菜さん、あれ、体温計、貸してください」


 と言って手を差し出した。


 琉菜は枕元に置いてある体温計を手渡した。まさか。琉菜はハラハラしながらすっかり慣れた手つきで熱を測る沖田を見ていた。


 測り終えた体温計を見て、沖田はにんまりと笑った。琉菜がのぞき込むと、三十七度三分だった。


「どこですか?」

「えっ」

「土方さんたちは、どこに行こうとしているんですか?」

「い、言えません……」琉菜は咄嗟に拒絶した。

「みんなが戦ってるのに、私だけ屯所に残ってるわけにいきません」


 琉菜はぐっと口をつぐんだ。


 沖田が、武士らしく尊厳を持って最後まで生きられるように「三十七度五分の協定」を琉菜は結んだのだ。

 二十四時間三百六十五日大人しく寝ていろとは言わない。熱がなければ、動いてもよい。


 そのルールに従うならば、沖田を行かせない理由はない。


「七条、油小路」


 琉菜は、絞り出すように言った。


 沖田は布団から出ると、枕元に置いてあった刀を手に取った。


「沖田さん、あたしも行きます」

「何言ってるんですか。危ないですよ」

「大丈夫です。刃引き刀を持っていきます。あと、動きやすい着物に着替えてきますから、待っててください」


 琉菜は有無を言わせず自室に戻った。

 自室の隅には、刃引き刀がしまってあった。近江屋に行った時女将に預けてそれきりだったが、巡察に出た永倉に取り返してきてもらったのだ。


 いざとなったら、沖田さんを守る。

 いざとなったら……


 ……藤堂さんを、助ける。



 琉菜は素早く袴に着替えた。

 刃引き刀を腰に差すと、屯所の裏口に向かう。


 沖田も、寝間着の着流しではなく、きちんとした袴に着替えていた。

 提灯の薄明かりしかない宵闇。沖田の顔色の悪さは良くも悪くも隠れていた。


「行きましょう」沖田は静かに言った。

「沖田さん」

「なんですか?」

「藤堂さんを、助けてください」


 ただでさえ青白い沖田の顔が、さらに蒼白になるのが琉菜にはわかった。


「わかりました」


 沖田は、それだけ言った。



 山崎さん、あたしもやってみます。

 ”仮説”が覆るかどうか。覆してみせる。


 藤堂さんを、死なせない。




 事件の舞台となる七条油小路は、屯所から程近い場所にあった。

 十分か十五分も歩いたかと思うと、大きな声や刀と刀がぶつかり合う音が聞こえてきた。


 もう始まってる。


 琉菜と沖田はさらに近づいた。


 月が、ちょうど天高く昇っていた。少しは明るい。


 新選組隊士らは、黒い隊服に身を包み、姿がよく見えない。だが、十人はいる。対する御陵衛士の者たちは、少し少ないようだ。

 十字路の角には、男が打ち捨てられるように横たえられていた。目を凝らしてみると、それは伊東の亡骸であった。


 刀の音がキン、キンと大きく響いた。

 新選組側は永倉、原田、斎藤らがいる。

 御陵衛士の方には琉菜が屯所で何度も会った加納、篠原など。そして、藤堂もいた。


 藤堂さん、お願いだから死なないで。

 逃げて。


 その時、琉菜は背後からの足音に振り返った。


「局長、土方さん……!」


 四人は、心底驚いたように互いを見た。


「お前ら何やってるんだ!?」土方が第一声を放った。

「加勢に来たんですよ」沖田は朗らかに言った。

「琉菜!総司を見張っとけって言っただろ!」土方はまさしく鬼の形相で琉菜を叱った。

「すみません……沖田さん、熱が下がりましたので。体調に異変が起きたら、すぐに連れて帰ります。局長や土方さんも、どうしてここに」

「加勢だ。決まってんだろ」土方がフンと鼻を鳴らした。

「トシ、しょうがないから総司も、行くぞ。琉菜さんは、物陰に隠れていてください。何かあれば、屯所へ走って助っ人を」


 近藤に言われ、土方と沖田は嬉しそうに頷いた。


 琉菜も「わかりました」と言って十字路の中心に飛び込んでいく三人を見送った。



 沖田さんのあんな顔、久しぶりに見た。生き生きとして、エネルギーに満ちていて。


 沖田さんを「壬生狼の一員」としか思っていない人が見たら、「あんなに嬉しそうに人を斬りに行くなんて、やっぱり人間じゃない」とか言うのかな。


 でも、違う。

 沖田さんは、近藤局長の隣で、武士として刀を振れるのが、嬉しくてしょうがないんだ。

 連れてきたのは、正解だったのかな。


 史実だと、もう、この時点で沖田さんは戦いの記録から姿を消している。


 あたし、歴史を変えられた……?


 それなら、もしかしたら……!



 沖田の話し声が聞こえ、琉菜はハッと我に返った。


「三浦さん、ここは私が!永倉さんの方に加勢して下さい!」


 沖田は藤堂と戦っていた三浦という隊士を戦線から離脱させた。三浦は「承知」と言ってこくりと頷くと沖田と交代した。

 キン、と沖田と藤堂の刀がぶつかりあった。


 藤堂さん、逃げて……!


 琉菜はその光景を見ながら、拳をぎゅっとにぎりしめた。


「沖田さん、久しぶりですね」藤堂ははあはあと息を切らせた。

「藤堂さん、逃げてください」沖田は静かに、だがしっかりとそう言った。

「嫌です」

「そんなこと言ってる場合ですか!」思わず叫んだのは琉菜だった。物陰に隠れていろ、という近藤の指令をあっさり破ったが、構っている場合ではない。


 藤堂は琉菜に気付き、小さく微笑んだ。


「琉菜さん、また会えてよかった」

「逃げてください!!」琉菜は再び叫んだ。

「藤堂さん、早く!」沖田も続けた。


 藤堂は柔かい笑みを漏らした。


「仲間が戦ってるのに自分だけ逃げるなんて士道不覚悟。そうでしょう?」


 すると藤堂は一歩下がってから沖田に刀を向けた。殺気が漂っている。

 そして、二人の刀が再び重なった。


「手加減しないでください。沖田さんの腕前は、こんなもんじゃない」


 沖田は何も言わなかった。


 時が止まったように見えた。琉菜には、二人以外目に入らなかった。周辺では未だ激しい死闘が繰り広げられているが、その喧噪は琉菜の耳には入らない。


 沖田は微動だにせず、ぎりぎりと藤堂の刀を受け止めながら、再び、小さく、だがはっきりと「ここを離れてください」と藤堂に懇願した。


 その時だった。

 ザシュッという音がした。


 ダメーッ!!


 琉菜は叫びたかったが声がでなかった。


 藤堂はドサリとくずれ落ちた。


「沖田先生、大丈夫ですか?」先程の三浦が、刀に藤堂の血を滴らせながら、力なく微笑んだ。


 沖田は青ざめた。

 琉菜は悲鳴を上げそうになるのを、なんとか口を手で塞いで抑えた。


「藤堂さん!!」

「平助!!」


 やだ、やだ……!!


 沖田は力が抜けたようにその場に座り込んだ。

 近藤、土方、そして激闘の中にいた永倉、原田、井上がすぐさまかけよってきた。


「しっかりしろ!」

「平助え!」


 三浦は、近藤らの様子に困惑していた。

 自分は沖田を助けたつもりなのに、一体何が起きたのだろうとでも言わんばかりだ。

 そしてただおろおろと数歩下がり、駆け寄ってきた幹部たちに場所をあけることしかできなかった。

 誰を恨むこともできない状況の中、琉菜は胸がしめつけられる思いで近藤たちの少し後ろに立っていた。


「バカ野郎!どうして逃げなかったんだ!」近藤が涙ながらに藤堂の上半身を抱き上げた。

「近藤……先生……いいんです……こうして、最期に……みんなに会えたんだから……」藤堂は蚊の鳴くような声で言った。

「藤堂さん……!」沖田が身をのりだした。

「平助、死ぬな!」土方も叫んだ。

「しっかりしろよ!」原田は泣き声で言った。

「よかった……会えて……」藤堂は目だけを動かして、仲間の顔を順順に見た。

「先に行って……山南さんと一緒に待ってます……」


 藤堂は、ゆっくりと目を閉じた。


「平助え!!」


 全員同時に、名を呼んだ。

 しかし、応えが返ってくることはついになかった。


 琉菜は何も言わずに、大粒の涙をぼろぼろ流しながら、そこに立ち尽くしていた。



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