5.お酒は二十歳になってから
「話は終わりました?」
琉菜が縁側を歩いていると、沖田がこちらにやってきた。
「いったい何の話だったんです?」とは聞かなかった。土方がわざわざ琉菜を連れ出したくらいなのだから、聞かない方がいいと察しているようだ。
「大福、食べません?」
沖田は大福の包みを見せ、にこっと笑った。
「いいんですか?本当はあたしに買ってきたんじゃないはずなのに」
「まあ気にしないでください」
……すっごく気になるんだけど。
本当は誰と食べるつもりだったんだろう。
単に、一人でいっぱい食べるつもりだったのかな…。そう思うことにしよう。
琉菜と沖田はその場に腰掛け、庭を眺めながら大福を食べ始めた。
隣に沖田がいて、一緒にお茶をしながら他愛もなく近況報告をしている。琉菜はこの状況が信じられなくもあり、どうしようもなく嬉しくもあった。
だが、その幸せな時間には数分で水を差された。
バタバタと足音がしたかと思うと、「沖田先生!」と声がした。それは琉菜の聞き覚えのある声だった。
沖田はびくっと立ち上がると、大福を頬張ったまま辺りをキョロキョロと見回した。
「ふははん、ひへてくははい(琉菜さん、逃げてください)」
「え?」
もごもごと言う沖田の言葉を読み取ろうと眉間に皺を寄せたのも束の間、沖田は声の主に襟をぐっと捕まれて逃げられなくなった。
「また俺に隠れてそんなもん食べとるんですか?」
琉菜はその男を見て「や…!」と名前を呼びかけたが、男ににらまれて口をつぐんだ。
「ぐっ…!」
沖田はごっくんと大福を飲み込むとお茶を飲んでふう、と息をついた。
「山崎さんは心配しすぎなんですよ。検診ならこないだやったばっかじゃゴホッゴホッ」
沖田さん……!
その咳って、まさか……。
「言わんこっちゃないやないですか。大福なんか食っとらんと早よ来てください!」
「山崎さんがいきなり来るから大福が喉に詰まったんですよ!」
「お、沖田さん、そちらは……?」
琉菜と山崎はここで初対面ということになるはずなので、琉菜は先ほど皆まで山崎の名前を呼ばずに済んだことに胸をなで下ろした。
そんな琉菜の機転に、山崎は沖田の背後でこくりとうなずいた。
「ああ。こちらは監察方の山崎さん。隊士の素行調査とかもあったんで、今まではあまり表に顔を出さなかったんですけど、今は新選組の医者も兼ねることになって、こうして表に……って、ひょっとして知ってます?」
「いい……え……」
もちろん琉菜は知っていた。前回のタイムスリップにおける山崎の助けがなければ琉菜は今ここにはいなかっただろう。大恩人である。
もしもそういう繋がりがなくても、琉菜は知識として山崎のことは知っていたので、「はい」と答えてもよかったのだが、咄嗟に出たのは「いいえ」だった。沖田や近藤らいわゆる試衛館出身メンバーしか琉菜が未来から来たというのを知らないと思っていたからだ。
「別に山崎さんはあなたが未来から来たって知ってますから、正直に言っていいですよ」そんな琉菜の懸念を沖田が払拭した。
「えっ、そうなんですか?はい……じゃあ、知ってました。あなたが、山崎さんなんですね。でも、なんで知って……?」
最後の質問は演技ではない。なぜ、山崎が琉菜の正体を知っていることを沖田が知っているのだろう。
「今だから言いますけど、最初にあなたが来た時、念のため長州や他の尊攘派と繋がりがないかどうか山崎さんがこっそり調べてたんですよ」
「ええっ!」
琉菜は驚きとショックで二の句が継げなかった。信じてもらえていたと思った自分の話が信じられていなかったのだから。
それに、それならそうとなぜ”中富新次郎”に話してくれなかったのか、と琉菜は若干恨みがましい目で山崎を見た。
山崎は沖田の後ろで「まあまあ」となだめるような顔をしていた。
「それってやっぱり土方さんの指示なんですか…?」琉菜はおそるおそる尋ねた。
「やっぱり、とは土方さんも鬼副長冥利に尽きるますねえ。その通りですよ。あ、絶対内緒ですよ」沖田はおかしそうにクスクス笑いながら琉菜の質問を肯定した。
土方さん、ならまあよかったといえばよかったか。いかにもそうしそうなもんだしな。
近藤局長や山南さんだったとしたらこっちが人間不信になっちゃうよ……
暗い顔をしている琉菜を見て、山崎が明るい調子で声をかけた。
「なんにせよ、会うのは初めてやし、よろしゅうな、琉菜はん」
ニカッと笑う山崎に、琉菜は「はい、よろしくお願いします」と答えた。
その隙に逃げようとした沖田を、山崎ががっちりと掴んだ。
「俺かて忙しいんです!すぐ済みまっさかい早よ来てください!」
沖田は思いっきり不満そうな顔をしながらずるずると引きずられて行ってしまった。
残された琉菜は去っていく沖田を見つめ、ふうとため息をついた。
大丈夫だよね…?
沖田さん、あれは本当にむせただけ、だよね?
山崎さん、どうか、食い止められるなら沖田さんの病気を食い止めて……
***
琉菜は再び口減らしのために働くことになった、という言い訳で晴れて新選組の賄い方に復帰した。
異議を唱えるものはなく、琉菜を知る者たちは大いに歓迎したし、新入りの隊士らも「むさ苦しい屯所に花が!」と喜んだ。
暖かい歓迎を受けた琉菜は再会の喜びに終始笑顔を絶やさなかったが、やはりこの先の歴史に思いを馳せずにはいられなかった。
時は慶応二年末。
琉菜がやってきたこの時までに、時代は大きくゆれ動いていた。
幕府の二度に渡る長州征伐、そして、薩長同盟。坂本龍馬の仲立ちで、敵対していた薩摩藩と長州藩が手を結び、すでに強大な倒幕勢力が誕生していた。
また、十四代将軍家茂は逝去し、まもなく一橋慶喜が徳川幕府最後となる十五代将軍に就任するという、危うく不安定な時期でもある。そして、その後に待ち受けているのは孝明天皇の崩御。
佐幕派と倒幕派の形勢はじわりじわりと、だが確実に逆転していく。動乱の時代は、まだまだこれからなのだ。
それにもかかわらず、新選組は相変わらず市中の見回りをし、法度に背いた隊士に切腹させるという日々を送っていた。
琉菜の知っている限り、松原忠司、谷三十郎、河合耆三郎らが粛清され、すでにこの世にいない。
だが、もはや崩壊への道しか残されていないかに見える新選組の中で、明るいニュースもあった。
「琉菜ちゃん!」
復帰翌日、冷えびえとした庭で箒を動かしていた琉菜のもとに原田が元気よくやってきた。
「今日俺たちみんな非番なんだ。だからよ、琉菜ちゃんの歓迎会しようと思ってさ。まだやってなかっただろ?」
「お気持ちはうれしいんですけど、あたしは非番じゃないんで」琉菜は箒を指さした。
「気にすんなって!総司も新八も平助も斎藤もいる!」
「そういう問題じゃ……」
「じゃ、行くか!」
原田は問答無用といった感じで琉菜をずるずると引っ張って屯所を出ていった。
琉菜が連れてこられたのは、少し古びた普通の民家だった。
あれ、100パー島原か祇園だと思ったのに。
琉菜の不思議そうな顔をよそに原田は家の中に入った。状況がつかめぬまま、琉菜も続いた。
昔話に出てきそうな、土間や炉のある家だった。
その炉を囲むようにして、すでに沖田、永倉、藤堂、斎藤が座っている。
「あ、原田さん、連れてきましたね」中央に座っていた沖田がうれしそうに言った。
「琉菜さん。突然すいません」永倉が言った。相変わらず礼儀正しい男である。
原田はにやりと笑うと、奥に声をかけた。
「おまさーっ!琉菜ちゃん連れてきたぜ!」
あ!
そうだ、原田さんは結婚したんだった!
奥からひとりの女性が現れた。特別美人というわけではないが、笑顔のかわいらしい女性だ。背中には小さな赤ん坊を背負っている。
「遅いわぁ。待ちくたびれたで?」
「悪いな。琉菜ちゃん、俺の女房、まさだ。それと、息子の茂」
原田はうれしそうに、女房と息子の部分を少し強調して言った。
琉菜はそんな原田がおかしくて、少しくすっと笑いながら、「初めまして。新選組で賄い方をやってます。琉菜と申します」と挨拶した。
「ご丁寧におおきに。まさいいます。よろしゅうお願いします」まさは笑顔で挨拶した。
「原田さん、結婚…お嫁さんもらってたんですね。しかも赤ちゃんまで。おめでとうございます!」
「ありがとな。さあっ!宴だ!」
「ほんに気ぃ早いんやから……」
まさはあきれたようにため息をつくと、再び奥に消えた。しばらくして、酒瓶を持って戻ってきた。
「よし」原田は酒瓶を受けとり、みんなの杯に注いだ。
「それじゃ、琉菜ちゃんの復帰を祝って……」
「乾杯ーっ!!」
その後は、まさの料理をつまみながら、みんなで酒を飲んだ。
「琉菜さん、酒が飲めるようになったんですね」永倉が目を丸くした。
「そうですよね。前は全然飲まなかったのに」藤堂も続いた。
「あたしだってもう大人ですよっ!」
琉菜はぐびっと一杯飲み干した。
試衛館の面々とこうしてゆっくり話すのは本当に久しぶりだ。
こんな時が来るのをずっと待っていたのだと、琉菜は胸の中がじーんと温かくなるような心地がした。
話題は、主に琉菜がいなかった間の近況報告。
馴染みの女がどうのこうのといった今で言うところの恋バナから、局中法度の犠牲になった隊士の話まで、話題はつきなかった。
亡くなった隊士の中には琉菜の聞いた名もあり、なんとも言えない喪失感に襲われた。
「まあ、私は少し土方さんのやり方は度が過ぎてると思う時もありますが……」永倉が苦々しく言った。
「同感ですね。まあでも、あの厳しさのおかげで新選組はここまで来れたって部分もありますから」藤堂が言った。
試衛館の仲間も、土方さんに不満を持ってきてるのか。でも、この頃はまだ分裂しよう!って程でもないはず。
藤堂さんは、もしかしたら違うのかもしれないけど…
琉菜はぼんやりとそんなことを考えていた。が、原田に声をかけられ我に返った。
「琉菜ちゃん、酒強えんだなぁ」原田はあまり呂律が回っていない。
「いえ。実際まだ少ししか飲んでませんし」
「琉菜ちゃんが酔ってるとこ見てみてえなあ」
「あ、あたし、斎藤さんが酔っぱらうのも見てみたいですっ!」
琉菜はふと目に止まった斎藤に話をふって話を逸らした。
もしここで酔い、何かとんでもないことをしでかしたら大変だ。
「斎藤さんならもう酔ってますよ」
沖田が斎藤を指差した。
琉菜は斎藤に目を向けたが、いつもと大して変わらなかった。
「普通じゃないですか」
「斎藤さん、酔うと無口になるんです」
「っていつも無口じゃ……」
「斎藤はん、今日一言もしゃべらはっとらんよ?」まさが言った。
なるほど、一段と無口になるってわけね。
琉菜は妙に納得して、斎藤をまじまじと見た。
斎藤の頬にはほんのりピンク色がさしていた。
これで酔ってるんだぁ。強いんだか弱いんだか。
「斎藤は酔った。次は琉菜ちゃんだ」原田がにやりと笑った。
琉菜の記憶は、原田に薦められて酒を飲んだところで途切れている。
そして、気がついた時には布団の上だった。
「あっ。琉菜さん気がついた」
沖田がうれしそうに琉菜の顔を覗きこんでいた。
「お、沖田さん?あたし、一体……」
琉菜はわけがわからなくなって尋ねた。何があったのか全く思い出せない。
「琉菜さん、酔い潰れて寝ちゃったんで、私が背負って屯所まで帰ってきました」
ウソォ~?
やっぱあたし超酒癖悪いじゃん?
しかも沖田さんにおんぶしといてもらってなんで気付かないの!二回目じゃない!?あたしの馬鹿!
「ごめんなさいっ!あたしきっとすごく失礼なことを……!」琉菜は慌てて謝った。
「いいんですよ。面白かったし」
沖田はそう言うとプッとふき出した。
「な、何をしたんです?」
沖田は答える代わりに大笑いし、琉菜の物真似をした。
「『斎藤!沖田!てめぇらも飲みやがれ!』『もっと酒持ってこぉ~い』……あははは!」
沖田が笑う側で、琉菜は赤面してただただ動揺していた。
やっぱダメじゃんあたし!!
あーーもお最悪だーーー!!!
「す、すいませんでした!」琉菜は深々と頭を下げた。
「いいですよ。また飲みにいきましょう。……ゴホッゴホッ」
琉菜はその咳の様子を見てハッとした。
「大丈夫ですか?」
「ええ。むせただけですよ。」沖田は明るくそう言ったが、少しつらそうだった。
「それじゃ、ゆっくり休んでくださいね」
沖田は立ち上がり、障子を開けた。
「沖田さん」
「はい?」
「もう二度と、飲みに行くのはやめましょう」
それが、あたしのためにも沖田さんのためにもなるから。
沖田さんはもう、お酒なんか飲んじゃいけない。
「構わないって言ってるのに」
沖田は微笑を浮かべながら、部屋から出ていった。
琉菜はそんな沖田をただじっと見つめていた。
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