第3章

1.卒業式



 木戸鈴香は、半年ぶりに母校を訪れていた。

 

 半年前に来たのは賑やかな文化祭の日だった。元剣道部の仲間と連れだって体育館に入ると、三年一組の演劇が始まった。

 題材は、幕末からタイムスリップしてきた新選組の隊士が現代の悪者を木刀でやっつけていく、という勧善懲悪の物語だ。


「絶対コレ琉菜の趣味やけんな」鈴香は隣に座る友人、美樹に耳打ちをした。 

「せやな。琉菜新選組オタクやもん。にしてもようこんな琉菜好みの脚本あったなぁ」


 舞台では浅葱色の羽織を着た女生徒が華麗な立ち回りで敵を倒す場面が繰り広げられている。


 さすが、本場で鍛えただけのことあるわ、と口には出さずに鈴香は舞台に見入った。


 

 終演後、舞台で大立ち回りを演じた親友が彼女にだけ放った言葉は「や~、怪我させないように加減するの大変だったよ。相手は”素人”だからさ」である。




 そんなことを思い出しながら鈴香は校門をくぐった。門の脇には「卒業式」と書いた看板が立てかけてある。体育館の方は静かになっていたから、式典自体は終わったのだろう。鈴香は花束を大事そうに抱えながら、懐かしい教室に向かった。




 三年一組の教室では、担任の女性教師が事務連絡をしていた。


「ほな、十二時までは自由時間や。他のクラスに行くもよし、後輩と別れを惜しむもよし。但し、十二時にはまた集合やからな」


 言い終えたその瞬間、教室にいた全員がガバッと立ち上がった。

 同時に、廊下から花束やらプレゼントやらを持った生徒がわっと入ってきた。


「先輩、おめでとうございます!」

「たまには遊びに来てください!」


 そんな風に卒業生と在校生が別れの挨拶を交わす様子を、この物語の主人公・宮野琉菜は隅の方でじっと見つめていた。


 やっと、卒業か。

 いろいろあったけど楽しかったな……。


「琉菜!」

 

 キョロキョロと声の主を探すと、懐かしい友の顔があった。


「鈴香!来てくれたんだ!」

「やっとあんたも卒業やな。おめでとさん」鈴香はそう言って持っていた花束を差し出した。

「ありがとう」琉菜は笑顔でそれを受け取った。



 せいぜい三十人しか入らないのに、花束を持った他クラスの生徒が押し寄せたせいで、教室の中が人でごった返してきた。二人は逃げるようにベランダに出た。


 よく晴れた、春らしい陽気である。

 ベランダの手摺にもたれかかると、鈴香は微笑んだ。


「琉菜に会うのも久しぶりやなあ」

「そうだねぇ。大学楽しい?」

「そらそうや」

「大学も面白そうだけどなぁ」

「あんたの成績や無理やな」鈴香がにやりと笑った。

「大きなお世話。いいの。あたしは大学より楽しいところに行くんだから」

「新選組な?」

「そう。高校卒業するまではダメって親に言われてたけど、これでやっといけるんだ」

「琉菜のお母はんも厳しなあ。まあ、当たり前ったら当たり前やけん」

「うん、お母さんの言うこともわかるんだけどね……。あたしは、早く幕末に行きたい」




 琉菜は家に帰った時の母・裕子の様子を思い出した。


「琉菜!おかえり。今度は長かったのね……?」裕子は琉菜の姿を見て言葉を止めた。

「何?その格好」


 驚くのも無理はない。

 髪はばっさりと男のように短く、男ものの着物に新選組の羽織だ。


 動揺しながらもとりあえず裕子は琉菜をリビングに行くよう促した。

 琉菜はソファに座り、事情を説明した。


 中富屋で世話になったこと、男装して新選組に入ったこと、池田屋や禁門の変にも参加したこと、前回タイムスリップした時の自分にも会ったこと……

 母の顔は話が進むたび青くなっていった。


「それじゃあ……人を、斬ったの?」


 琉菜はゆっくり頷いた。


 そのとき、裕子は琉菜の前につかつかと歩みより、頬をバチンと叩いた。


「な、何!?」

「お母さんはね、そんなことさせるためにあんたを行かせたんじゃないのよ!」


 今まで見たことないくらい怒った母親を見て、琉菜は一瞬たじろいだ。


「しょ、しょうがないじゃん!正当防衛だよ!やらなきゃやられたんだよ!?」

「それでも、人の命を奪うことがどういうことか、わかってるの!?」


 琉菜はバッと立ち上がった。


「わかってるよ!もう何度も殺されそうになったし、死んだ仲間だっている!でも、あたしは武士だったの!今は違うけど、昨日まで確かに武士だったって、沖田さんもそう言ってくれた!沖田さんに、教えられたの。あたしたちは鬼だから。守るもののためなら、同じ鬼を退治したって構わない。あたしだって、好きで殺したわけじゃない!沖田さんたちと"再会"するっていう約束を守るまでは死ねなかった、それだけだよ!」


 琉菜はそれだけ言ってのけるとバタンとソファに沈みこんだ。


「だから、行かせたくなかったのよ。いつかそんなことになるんじゃないかと思って。でもまさか、男になって隊士として新選組に入って、人を斬ったなんて……」

「だって、他にどうすればいいのか……」琉菜はもごもごと言った。

「大人しくその中富屋とやらで働いて、帰れるまで待ってればよかったのに……」

「それだけはいや!だって、また幕末に行けるとも限らないのに、みんなに会わずに帰るなんて嫌だもん!」


 裕子は呆れたようなため息をついた。

 琉菜は挑戦的な目をして母を見つめた。


「琉菜…。ねぇ、もう、行かないわよね?普通に、こっちで生きていくわよね?」



 琉菜は口ごもった。


 まだ、”再会”はできていない。

 ”琉菜”として沖田たちに会いたい。

 そして、もし再会できたら、今度こそ新選組の、沖田の行く末を、最後まで側で見守りたい。


 それが叶うまでは、琉菜は何度でも時の祠をくぐるつもりでいた。

 母が心配する気持ちももちろんわかるが、これだけは譲れなかった。



「あたしは、新選組の最後を見届けるまでは何度でもタイムスリップする」


 裕子ははああ、と大きく溜め息をついた。そして座りこむと、琉菜の手をとった。


「それじゃあ、約束してちょうだい。沖田さんともできたんだから、お母さんともできるわよね?」

「…内容による」


 それを聞いた裕子はさらにため息をついた。


「もう二度と人を斬らないこと。でも、絶対に死なないこと。それから、まずは高校を卒業してちょうだい。一生幕末にいるわけじゃないんだから、こっちの生活とか、こっちでの琉菜の未来とか、ちょっとは大事にしなさいよ。幕末には、高校を出たら行きなさい。高卒の試験でもいいから。ね?」

「でも、その間に神風が吹いたら?」

「それでもダメ。今までのことから考えたら、次を逃してもまた大丈夫でしょ」


 琉菜は、そこまで楽観的には考えられなかった。そもそも二回も幕末にタイムスリップできたこと自体奇跡なのだ。四回目のチャンスはおろか三回目のチャンスさえ訪れるかはわからない。


 だが、そのチャンスが二年後や三年後になってようやく来る可能性も十分に考えられたので、今は母を心配させないように琉菜は首を縦に振った。


「わかった。あれ…?」


 琉菜はスマホを取り出し、日付を見た。今は二〇二一年の五月だ。


「なーんだお母さん、五月なら卒業式終わってるじゃん!これでいつでも幕末に行けるってことでしょ?もう、そうやって騙そうとするのやめてよね」

「あんた、バカなの?」


 琉菜は「へ?」と母を見た。


「あんなに休んで無事卒業できたとでも思ってるの?」

「へ…?」琉菜は嫌な予感がした。

「あんたは剣道しすぎて腕を痛めて入院したって学校に言ったのよ。お見舞いに来られちゃ困るから東京の知り合いの病院ってことにして。リハビリにも時間がかかりますってね」

「そ、それで?」

「出席日数足りないからあんたは留年。高三のままから始めるのよ」

「う、うそぉォー!」



 そして、今に至る。


「それで高卒の認定試験じゃのうて元の高校に通う方選んだんもまたスゴいけどな」鈴香がくすくすと笑った。

「それに、リハビリしたようなやつがまた全国優勝してまったやないの。絶対おかしいで」


 剣道をやりたいから、という理由だけで琉菜は元の高校に通うことを選んだのだった。顧問も後輩達もこれには大歓迎で、琉菜の高校は団体の部で初の全国優勝、琉菜本人は二年連続個人の部で全国優勝という偉業を成し遂げたのだった。


「あたしの剣は、本場の武士の剣だから。池田屋の傷跡も、まだ残ってるんだよ」


 琉菜は嬉しそうに言った。

 池田屋の傷も、今となっては大事な思い出。

 そして、琉菜があの事件に参加したのは夢ではないと、証明してくれる数少ないもの。


「そん話なら前も聞いた」鈴香あきれたような目で琉菜を見た。

「あんた……人、斬ったんよなあ」

「うん。現代人からしたら、引くよね、普通に……」

「うーん。なんや実感が湧かんのや。引くも引かんもないわ」


 沈黙が流れた。

 教室から聞こえるガヤガヤとした楽しそうな話し声が、とても遠くに感じられた。


 そして、鈴香自身がその沈黙を破った。

 このしんみりとした空気をなんとか変えようとしているようだった。


「これからどうするん?すぐ幕末に行けるわけやないんやろ?」

「うん、とりあえずバイトして、その時が来たら行く。帰ってきたら、その時何歳になってるかで考える」


 担任からは、剣道の推薦で大学に入らないかと薦められた。

 しかし、再び腕の手術で入院する予定で、どうせしばらく大学にいけないからと断った。


 進学を捨ててでも、幕末に行く。

 その決断を後悔してはいない。


「木戸先輩、琉菜ちゃん!」


 背後からの声に、琉菜と鈴は振り返った。

 そこに立っていたのは剣道部の後輩もとい同級生の子だった。


「佳穂ちゃんやないの、久しぶりやなあ」鈴香が微笑んだ。

「はい、お久しぶりです」佳穂と呼ばれた女生徒はぺこりとお辞儀をした。

「なんや佳穂ちゃんが琉菜のことちゃん付けしとるの変やわ」

「しょうがないじゃん、今は同級生なんだし」


 鈴香はその状況がおかしかったのか、琉菜と佳穂を交互に見てくすくすと笑っていた。


「あっちで剣道部集まっとるんです。みんなで写真取らへんかて……」

「行く行く!」



 琉菜と鈴香は教室に入った。

 そこには、後輩はもちろん、鈴香のようにすでに卒業した琉菜の旧友も集まっていた。


「みんな並んだー?」


 言いながら、琉菜は周りを見た。

 生徒たちは押し合いへしあいして中央に寄った。



「ハイ、チーズ!」


 カシャリ。



 ありがとみんな。

 バタバタだったけど、高校生活はすっごく充実して楽しかった。


 さあ、いよいよだ。

 待ってて沖田さん、新選組のみんな。

 きっともうすぐ会えるから。

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