26.やり残したこと

 歓迎会は琉菜の記憶の通りに進んでいき、頭痛の原因ももはや例のレーダー機能によるものなのか酒のせいなのかわからなかった。


 原田、藤堂が酔いつぶれ、山南と井上が水を持ってくると部屋を出ていってしまった。

 そして、それと同時に沖田と賄方の琉菜も部屋を出た。


 残された意識のはっきりしている者は琉菜と、永倉と、鈴だけであった。


「お開き、だな」永倉がやれやれ、と原田たちを見た。

「ですね。肝心のあいつがどっか行っちゃいましたし」


 琉菜の頭痛は、もう1人の琉菜が遠ざかったことで徐々に和らいでいた。

 そうなってくると、もう少し飲めそうではあったが、一応まだ自分は未成年であることを思い出し、こんなところでそんなことを気にする筋合いもないのだが、鈴と共に酒瓶を片づけ始めた。


 あっちのあたしは、今頃沖田さんとお散歩か。

 いいなあ。夜デート。

 あの時は、それがどんなに幸せなことかって気づいてなかったけど。

 教えてやりたい。しっかり味わいなさいよって。


 片づけながら、そんなことを思っていると胸がぐっと締め付けられる思いがした。


 やだな。あたし、自分にやきもち焼いてる。やっぱ、飲み会なんて来なきゃよかった。

 結局、あたしはただの女だ。沖田さんへの恋を諦めきれないただの女だ。

 だから、やっぱり帰らなくちゃ。そして、今度こそ、運次第だけど、今よりずっと後の時期に来るんだ。




 数日後。


 賄い方の琉菜が鈴と共に少し遠出の買い物に出ているようで、中富新次郎に扮する琉菜の調子はすこぶるよかった。

 未来へ戻る日が近づいている中で、やり残したことはないかと考えあぐねた結果、思い出したことが1つだけあった。

 それは、土方との剣術勝負である。「土方から1本取る」という野望を琉菜はまだ諦めてはいなかった。

 未来で約2年修行し、女子高生日本一になってから、土方と本気で戦ったことはない。

 しかもあれからまた新選組で稽古したのだ。今度は女扱い、手加減なしの本当の新選組の稽古。

 今なら土方から1本取れる、そんな気がしていた。


 撃剣師範、といういわば新選組の剣術稽古の指南役には沖田や永倉、斎藤がついており、土方が直接平の隊士らに指導をすることはなかったが、伊東が来てからというもの、道場に来る回数は増えていた。伊東の論、もとい伊東その人に古参の隊士らが傾倒しないように、土方自らがけん制していたものと思われた。ややこしい論術などなくてもやっていけるのだという持論を強固なものにする意図もあっただろう。


 そうしたここ最近の流れの通り、今日も土方は道場に立っていた。


「副長、石田散薬効いたみたいです。ありがとうございました」


 本当はただもう1人の自分が遠いところにいるから、なのであるがとにかくそういうことにして琉菜は土方に礼を言った。

 いきなり琉菜が土方に勝負を申し出ることは不自然極まりないので、土方に絡みに行くことで「大勢の平隊士の一人」にならないよう自分の存在をアピールする意図もあった。

 防具を身に着け、平隊士同士打ち合う稽古をする中で、土方と今日の担当師範である沖田の怒声が響く。


「てめえら、やる気あんのか!」

「そこ!そんな弱い打ち込みじゃ致命傷は与えられませんよ!」


 土方はともかく、稽古となれば沖田まで厳しい表情でそんなことを叫ぶ。

 普段笑顔で大福など頬張っている沖田とは別人だ、と大多数の隊士たちは恐れおののいていたが、琉菜だけは


 そんな沖田さんもかっこいい~


 などと、暢気なことを考えているのだった。

 だが、そういう考えは決して悪いことではなく、萎縮してしまう他の隊士たちと違って琉菜はむしろやる気がみなぎってさらに稽古に励める、という好循環であった。


「おらおらおらぁっ!」


 練習相手を次々と倒していく琉菜に、土方が声をかけた。


「随分調子がいいみたいだな」

「はいっ。最近ずっと頭痛気味だったんですけど、石田散薬のおかげで久々に頭痛から解放されて気分がいいんです」


 琉菜はにっと笑顔を見せた。防具の面をつけているので、その表情が土方に見えたかは定かではない。


「今なら、土方副長にも勝てそうな気がします」


 この発言には、さすがに場がざわめいた。


「おい、中富、いくらなんでも調子に乗りすぎ…」


 他の隊士の声が聞こえるが、ここまで来たらのりかかった舟である。琉菜はこのチャンスを逃すまいと、土方の目をじっと見つめた。


「なんだ中富、本気でやるのか?」

「はい。お願いします、副長!」

「ふん、後悔しても知らねえぞ」


 土方は不敵な笑みを浮かべると、木刀を手に取った。


「勝負は1本のみ。始め!」


 沖田の声で試合が始まった。


 瞬間、琉菜は土方の正面を狙って動いた。

 もちろん、それで決まるとは思っていない。まずは出方を伺う。

 土方は鍔元で琉菜の木刀を受けると、さっと横に払った。

 土方はその勢いで琉菜の左袈裟を狙ったが、琉菜は後ろに跳び下がり、間合いを開けた。

 じりじりと再び間合いをつめる。

 どちらも、動きを見極めようと互いの目をじっと見ていた。

 琉菜は左を狙い、振りかぶった。

 土方はその隙にできた正面を狙う。

琉菜は素早く木刀の向きを変え、土方の正面を防いだ。


「動きの速さだけは褒めてやる…本気で来いよ」

「副長も本気で来てくださいよ。オレが本気出したら、副長も本気出さないと勝てませんから」

「口だけは達者だな…!」


 琉菜は上段に構えた。土方は下段。

 土方は下段に構えると、クセで左が空く。以前沖田がチラと言っていたことを琉菜は思い出した。

 その通りに少し空いていた左側を狙う。

 だが土方も、自分のクセくらいはわかっているし、相手がそこを狙うことを見越した返し技だってある。

 それでも琉菜は左を狙った。


「ヤッ!」

「かかったな」


 土方はにやりと笑い、琉菜が打つ直前に体を右にずらし、琉菜の一撃を防いだ。


「かかったのは副長ですよ」


 土方の木刀をパンと払い、琉菜は正面を狙った。


「何!?」土方が焦りの色を見せた。

「――なんて言うと思ったか?」


 琉菜は正面に打ち込もうと飛び上がっていた。琉菜が空中にいる一瞬の隙をついて土方は空いている胴を狙った。


 琉菜の面と土方の胴。

 同時に入ったように思えた。


 だが、審判の手は片方だけ上がっていた。


「土方副長、1本!」


 どうやら一瞬の差で土方の方が速かったようだ。


「…ありがとうございました」


 琉菜は土方に一礼すると、防具をはずした。


「上達したな、中富」


 またしても負けてしまったが、土方のその一言が聞ければ琉菜は満足だった。


 もう少し、もう少し強くなれば、土方さんに勝てる…!


 なんだか、無性にそんな気がした。

 もう少しで1本取れる、そこまで自分はレベルアップしたのだと。

 琉菜は小さく微笑んだ。


 次会う時までに、絶対たくさん修行して、今度こそ絶対勝ちますからね、土方さん。


 勝負に負けたというのに、琉菜の気持ちは晴れやかだった。





 夕食後、夜番の巡察に出た時に、沖田が可笑しそうに笑って琉菜を見るので、理由を尋ねた。


「兄妹揃ってって感じですよね。今日は面白い日でしたよ」理由になっていない返答をし、沖田はクスクスと笑った。

「どういう意味ですか…?」

「中富さんは朝稽古の時、壬生寺での調練にいたから知らなかったでしょうけど、琉菜さんが来て土方さんと剣の勝負を」

「えっ!?」


 そうか、今日はその日だったのか…!


 琉菜は初めて土方に勝負を挑んだ時のことを思い出していた。


「これがなかなかやるんですよ。土方さんを怖がらないで向かっていくあの胆力は皆さんにも見習ってほしいですね」

「そうなんすか。全然知らなかったですねぇ」と、琉菜は言葉を濁した。


 本当は、ただの怖いもの知らずというか、土方さんの恐ろしさをそこまでわかってなかったからなんだけどね……






 巡察が終わる頃には、現代で言えば夜の10時を回っていた。屯所に戻ると、琉菜は鈴たちの部屋の方に向かった。

 もう1人の自分と関わる時、琉菜の意識は何かに操られているような、不思議な感覚に陥いる。

 恐らく、自分の意思ではなく、「記憶によればあの時中富新次郎はそういう行動をしていたから、そういう行動をしている」という意識がどこかにあるのだろう、と琉菜は考えていた。では、その行動の意思や動機はどこにあるのか。そんなことをぐるぐると考えていると、余計に頭痛がひどくなりそうであったので、考えないようにした。考えないようにすると、琉菜の足は自然、もう1人の自分を探しに進んでいくのであった。


 案の定、縁側に座っていたもう1人の自分に、琉菜はどうしたらいいかわからず「よっ」と声をかけた。


「兄上、どうしたんですか?」自分とほとんど同じ声で、彼女はそう尋ねた。

「ははっ、どうでもいいけどさ、兄上って呼ばれるの慣れてきた」琉菜は世間話がてらそんなことを言った。

「はい。使い分けようとすると墓穴掘りそうなんで、いつでもどこでも兄上って呼ばせてもらいます」

「それが懸命だな」


  一瞬の沈黙。


「さっき夜番行っててさ、沖田先生から聞いたんだ。お前、副長と勝負して負けたんだってな。あっははははは!」


 琉菜は、先ほどの沖田の様子を思い出して、なんだか自分でもおかしくなってしまって笑い出した。


「な、なんですか?」

「だってお前…!バッカだなー!オレより年下の女が土方さんに勝てるわけねーって。物心ついた時から竹刀振ってたわけでもねーだろ?」

「そうですけど…そんなに笑わなくたって…確かに、考えが甘かったとは思いますよ。相手は本物の武士なんだし」目の前の少女はふてくされて言った。


 琉菜は、自分は今幕末生まれの中富新次郎だ、と自分に言い聞かせた。


「にしてもお前、なんで剣術の心得があるんだ?女だろ?」

「未来では、男女関係なくやります。あ、そうだ。兄上、あたしに稽古つけてください」

「稽古?オレが?なんでまた」

「土方さんから1本取って、見返すんです。あと、単純に、強くなりたいから」


 琉菜はぷっと笑った。今思えば、この時の自分が土方に勝つなどとちゃんちゃらおかしい話であった。


「無理。お前じゃ副長には勝てねえよ。相手は本物の侍だ。さっき自分で言ってたじゃねえか」


 少しの沈黙の後、賄方の琉菜が言った。


「本物の侍がなんで強いかって、やっぱり人を斬るからですか?」


 そう言われ、琉菜はここのところ悩んでいたことを過去の自分から突かれた気がして、真顔になってしまった。


「そうだ。オレたちは新選組だ。実戦に備えた稽古を積んでる。だから、お前の剣と副長の剣じゃ、そもそも目的が違うんだ。でも、前に山南さんが言ってたぜ。北辰一刀流の千葉道場じゃ、道場主の娘が誰よりも強かったって噂だ。だから、可能性はめちゃくちゃ低いけど、お前だってがんばればなんとかなるかもな」

「あたし、どうすればいいんですかね」

「お前、剣術やりたいか?強くなりたいか?」

「はい」

「なら、道場が空いてる時にでも稽古するんだな」

「兄上、稽古つけてくれるんですか?」


 変なの。あたしが、あたしに稽古をつけるって?

 知らなかったとはいえ、今思えば、このやり取り本当何なの。茶番じゃん。


 琉菜は心中で苦笑した。


「ま、気が向いたら、な。俺より沖田先生とかに教わった方がいいぜ。教え慣れてるし」

「はい、ありがとうございます!」


 平隊士の大部屋に戻りながら、琉菜はふっとある考えに至った。


 そうか。

 あたしは、あたしを焚き付けたんだ

 土方さんから一本取れるように頑張れって。

 それが、周り回って剣術に対するモチベーションになって。

 平成では日本一の女子高生になった。

 それで、新選組では、そこそこ腕の立つ平隊士っていう位置づけで。


 そうやって、ループした結果、あたしは人を斬った。


 あたしのしてきたことって…?


 ぐるぐると、延々と、琉菜は考えを巡らせた。

 自分はただの人斬りではないのだと、今までやってきたことを正当化したい。卑怯かもしれないが、それが偽らざる思いだった。


 この1年半、あたしは何のために剣を振るってた?

 武士になるため?

 武士にならないと、男として新選組にいることはできないから。

 じゃあ、なんで男として新選組にいたのか。


 やっぱり、突き詰めたら行きつく先は…

 沖田さんの傍にいたかった。


 それがやっぱり、唯一の、理由だ。


 こういうのを歪んだ愛っていうのかもしれない。


 沖田さんのことが好きで、好きで、傍にいたくて、男になって、人を斬った。

 あたしはやっぱり、ただの人斬りなのかもしれないな。

 沖田さんの傍にいる資格、あるのかな。


 でも、どうせ歪んだ愛なら、それでもいいのか。



 考えれば考える程、正解がわからなくなった。開き直って琉菜はそのまま、無理矢理眠りについた。

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