8.芹沢鴨(前編)



 壬生浪士組が「新選組」と名を改めてから約1ヶ月が過ぎた。

 新選組は表向きは平和だった。

 少なくとも、平隊士である中富新次郎はようやく隊務にも慣れ、新選組での日常を淡々と過ごしていた。



 しかし、琉菜は知っていた。

 新選組は今夜、大きく揺れる。


 もちろん、中富新次郎はそのことを知らない。

 だから琉菜はいつもどおり巡察に行き、いつもどおり街の平和さを確認して帰ってきた。


「みなさん、お疲れさまでした。それじゃっ!」


 沖田は屯所に帰るなり、すぐにまた外に出てしまった。


「沖田先生、どこ行っちまったんだ?」木内が言った。

「壬生寺じゃねえの?今日は近所の子供たちと遊ぶ約束してるんだってさ。オレも片づけたら行ってくる」琉菜が答えた。

「お前もあそこでガキと遊ぶの好きだよなぁ」

「まあな」

 琉菜は適当に話を流して屯所の奥に消えた。




「沖田先生!」


 琉菜は壬生寺の境内に入ると、沖田の名を大声で呼んだ。


「オレも来ちゃいました。あ、芹沢先生も来てたんですね」

「いかにもとってつけたような言い方だな」芹沢は陽気に言った。

「あはは、すいません」


 琉菜が現代で読んできた本の一部には、「芹沢は子供たちに人気があり、よく絵を描いたりして楽しませていた」ということが書いてあった。

 どうやらそれは本当だったらしい。

 琉菜は何度か、芹沢がここで子供たちと遊んでいるのを見た。

 その時の芹沢は、生糸商を焼きうちにした冷徹な芹沢でも、八・一八の政変で見せた勇敢な芹沢とも違っていた。


 結局、芹沢さんはいい人だったんだ。なんか安心したな。


「中富はん?早よ遊ぼ!」一人の男の子が琉菜の着物の裾を引っ張った。

「また鬼ごっこやの?うち芹沢はんとお絵書きしたいー」女の子が不服そうに言った。


 うちもうちも、と女の子たちはお絵書きを希望した。


「じゃあさ、芹沢先生とお絵書きする組と、オレと鬼ごっこする組に別れようぜ」

「うん、そうしよー!」

「じゃあ中富はんが鬼や!」


 そう言うが早いか、子供たちはわっと走り出していった。


「おい、ちょっと待てよ!」琉菜は逃げ回る子供たちを見ながらふっと溜め息をついた。

「沖田先生はどっちにしますか?」

「そうですね。私も鬼ごっこで。それじゃ、鬼の中富さん、がんばってください!」


 そう言って沖田はぴゅーっと走って行ってしまった。


「…って、沖田先生まで!」


 まったく…大人気ないんだから。


 琉菜はふと芹沢の方を見た。


「芹沢はん、犬描いて~」

「え~?うちお花がいいー!」

「ほら、順番に待ってろ」


 芹沢はそう言ってさらさらと絵を描いた。


「わぁ~っ、上手やな。芹沢はん」

「ほんまや~!」


 琉菜は微かに笑うと、逃げている子供たちを追いかけはじめた。







「次はかくれんぼや!」


 その提案でみんなでかくれんぼをすることになった。



 しかし、琉菜は早々と見付かってしまった。


「中富はん、かくれるの下手やなぁ」鬼の子にからかわれ、琉菜は「うるせえ!」と吠えるように言った。

「あはは!でも、もっと下手なやつがおるで」


 琉菜はにやにやと笑う男の子に「早く他の子見つけてきな」と言い、境内の中心に戻った。





「あ、芹沢先生」


 琉菜は賽銭箱の前の階段に座る芹沢を見た。


「先生が一番早かったんですね。オレもすげえ見付かるの早かったけど」

「まったく、いい大人が揃いも揃って見付かっては格好がつかねえな…おっと、中富はまだ大人ではなかったか」芹沢が皮肉っぽく言った。

「こう見えて元服してますよ!」


 …そういうことにしとこう。


「あとは沖田先生に任せるしかないですね」

「ああ」


 しばらく二人は黙っていた。


 空はきれいな青色をしていた。

 少し肌寒いが、日差しは暖かく、良い天気だった。


「平和だな」芹沢が思い出したように切り出した。

「そうですねぇ」

「毎日こんな日が続いたらいいと思わないか。未来までずっとな」

「未来、ですか?」琉菜はその単語にぎくりとしながらも相槌を打った。

「そうだ。最近、よく考える。未来はどうなるのだろう、と」


 琉菜はギクっとした。

 以前幕末に来た時、山南も鈴も、未来を心配しながら死んでいった。

 立場は違えど、彼等は本気で日本のことを心配し、考えていたのだ。

 芹沢も、酒癖が悪くとも、悪行をしようとも、日本の未来をうれえる幕末の武士なのだ。


「未来は、平和ですよ」琉菜はゆっくりと言った。

「なぜそんなことがわかる?」芹沢が不思議そうに聞いた。

「オレの勘です。オレ、今みたいなこんな物騒な世の中、長くは続かないと思うんですよね。尊王か佐幕かとか、壌夷か開国かとか、10年も20年も言ってたらお互い疲れちゃいますよ」

「そんな理由か」芹沢はふふ、と笑った。


 琉菜は普段見ない芹沢の笑顔、もといリラックスした様子に少し驚いた。


「それにほら、言うじゃないですか。平和な時代と戦の時代は、交互にやってくる、みたいな。だから、今この動乱の時代が終わったら、きっと平和になる」

「…ふっ!お前もなかなか面白いことを言うな。そうか、未来は平和か。それなら安心だ」

「ホント、早く平和になるといいですね」

 琉菜はにこりと笑った。

「ま、平和になったら新選組も解散?になっちゃうのは寂しいですけど」

「そんなことにはさせない。新選組はいつの世も尽忠報国の士として活躍する。そういう組にするんだ。だから、これからもっとこの組を大きくしてかなきゃいけない」




「あれ、まだ子供たち誰も来てないんですか?」


 沖田の声に二人はばっと振り返った。


「沖田先生までつかまったんですか!?なんか3人そろってバカみてえ」

「バカとはなんですか!私より早く見付かったあなたに言われたくないですね!…ま、とりあえずここでのんびり待ちますか」


 沖田は琉菜の隣に腰を下ろした。


「2人で何話してたんですか?」沖田がにこにこと笑いながら尋ねた。

「まあ、新選組の今後というか…」琉菜はざっくりと答えた。


「沖田はん、中富はん、芹沢はん、うち見付かってしもたー!」

 小さな女の子が走りよってきた。

「それじゃ、みんなが見付かるまでここで待ちましょう」沖田はにっこりと微笑んだ。









 夕方解散し、屯所に戻った。

 そしてその夜、芹沢の腹心であり、第3の副長でもある新見錦が死んだ。

 とある旅籠で、不正な金索の罪に問われ、自分から腹を切ったという。



「聞いたか、新見先生が腹を切ったって話」


 翌日の屯所内はその話で持ちきりだった。


「沖田先生が介錯人にって旅籠に呼ばれたらしいな」例に漏れず木内とこの事件の話をしていた琉菜はもっともらしく言った。

「ああ。新見先生も、いろいろと悪いことやってたみたいだけど、なんかこうなるとちょっと気の毒だな」

「それもそうだな。芹沢先生も心配だ」

「なんだかんだお前、芹沢先生と仲いいんだな」

「別に、仲がいいって程のもんじゃねえよ」


 だが、琉菜はその後芹沢のいる八木邸の方に顔を出した。


「あらあ、中富はん、芹沢せんせに何か大事な用事でもおありなんどすか?」


 梅が先に琉菜に気づき、猫なで声でそんなことを言った。


「大事な用という程ではありませんが…」

「ほいなら、後にしてくれやす?」

「構わん、来い、中富」


 奥の縁側に座っていた芹沢に呼ばれ、琉菜は梅を無視してそのまま中に入った。


「儂が気落ちしてると思ったのか。なめられたモンだな」

「いえ、なめているわけでは。でも、心配で様子を見に来たのは本当です」琉菜はそう言った。

「それがなめているというのだ。お前に心配されるほど儂は落ちぶれちゃいない」


 芹沢の語気が荒くなっていく様子を察知し、琉菜は静かに「すみません…」とうつむいた。


「昨日お前が未来はきっと平和だなどと言っておったが、どうだかなぁ」芹沢はトーンを下げた。

「いや、まさかこんなことになるとは…」


 琉菜がどう会話を繋げようかと思案していると、芹沢の方から核心をつかれた。


「新見は、なぜ腹を切ったと思う?」

「…えっと、隊内で言われてるのは、新見先生が不正な金策をしてしまって、責任を感じて切腹されたと…」


 琉菜にはわかっていた。

 新見の切腹は、彼の独断ではない。

 新選組の試衛館派にはめられ、切腹させられたのだ。


「そうだ。あいつは責任感の強い男だ。だが、ああいうやり方で責任を取ろうとする男ではない」

「えっ?」

「中富は、沖田の隊だったか」芹沢は急に話題を変えた。

「はい、そうですが…」

「そうか。沖田のことを慕っているか」

「はい。武士として、剣術の師匠として、尊敬しています」


 芹沢は琉菜の目をまっすぐに見た。

 琉菜はその眼力を前に、自分から視線をそらすことはできなかった。


「ならば、お前にもう話すことはない。行け」

「えっ」

「いいから、ここを去れと言っている!」


 何か地雷を踏んでしまったに違いない、と思い、琉菜は「はい、失礼します!」と元気よく言うと足早に八木邸を出て前川邸に戻った。


 もしかしたら、芹沢さんは、うすうす気づいているのかもしれないな…




 琉菜は先ほどの芹沢の目を思い出した。


 こんな気持ちになるなら、芹沢さんとあんまり絡まなきゃよかった。

 でも、芹沢さんも…


 琉菜は涙を出す代わりに深呼吸し、道場に向かった。

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