第11章-2 第二統合情報処理研究所
監査ルームに照明が灯り、真田と児玉が足を踏み入れた部屋には何もなかった。10畳ぐらいある部屋には椅子すら置いてないのだ。
何もないは語弊があるだろう。
正面の壁は天井まである巨大なディスプレイになっていて、ディスプレイ下端の終わりには壁と一体化した箱型の金属製の大きな装置がある。装置の上部は水平になっていてテーブルとして使用できるようだった。
オフホワイトカラーの装置全体に凹凸はない。
装置は壁から2メートルぐらい出っ張っていて、横は両側の壁にピッタリと張り付いていた
装置の上部は、成人男性が立っての作業に、ちょうど良いぐらいの高さになっている。
門倉は彼等に、こう話していた
「監査用兼非常用の端末・・・監査室の一部と中央・第一・第二統合情報処理研究所の極々一部しか知らない部屋。日本一の隠し部屋だね」
その言葉を思い出し、児玉が感嘆の声を上げる。
「ここが秘密の中の秘密。非常用の端末のある監査ルーム。流石、わかってんじゃん」
「なんにもねぇーな」
「当たり前だよ。ここに必要なのはアクセスする端末のみ。世界随一のコンピュータールームにアクセスする設備と自分以外は、ぜーんぶ不純物に過ぎない」
「俺もかよ」
「不純物は黙っててくれますかね。いま興奮・・・いえ真剣なので」
明らかに昂っている様子の児玉に呆れながらも、信頼の言葉をかける。
「まあ、ここまで来たら任せるぜ」
真田の声を背に、児玉は端末の前に立ち、テーブル部分にカバンを置いて”旅のしおり”を取り出す。
児玉はリニアモーターカーの中で、”旅のしおり”に記載されている敵AIの特徴やそのAIが稼働している量子コンピューター、中央統合研究所のネットワークを幾度も幾度も確認した。
敵AIのシステム構成なら、ウィークポイントとなりえるのは8箇所。そのウィークポイントの中に脆弱性がないか、徹底的にアタックし、執拗に繰り返しては解析する。
脆弱性が見当たらなくても、ウィークポイントの8箇所同時攻撃ならどうか? システムのどこかでバッファオーバーフローさせたり、セッションハイジャックで処理を偽装しウィークポイントの機能停止に追い込めないだろうか?
しかし推定した8箇所のウィークポイントは、あくまで一般のシステムの場合であって、中央統合情報処理研究所のシステムではどうだろう? この国最高峰のシステムが、一般のシステムと同じウィークポイントなのか?
そもそもウィークポイントは同じであったとしても、脆弱性はあるか?
とはいえ、どんなシステムでも脆弱性はある。脆弱性を見つけ出し、アタックする。
推定した8箇所へのアタックは、ウィークポイントそれぞれに適した手法をとる。1箇所あたり10種類のアタックああれば10の8乗で1億のアタックがある。しかし、それぞれのウィークポイントへのアタックは、ウィークポイントの特徴に応じて加重した回数にする。Aウィークポイントに1回アタックする間にBウィークポイントに10回、Cウィークポイントに100回などのケースがある。
システムへのアタックの種類は無限大。
時間も無限大あれば、総当たりアタックを敢行できる。
しかし敵はAI。
時間をかければアタックに気づかれる可能性がある。その前に敵AIの稼働している量子コンピューターを停止させる。
僕のスキルと直感が、量子コンピューターで稼働している敵AIを上回れるか・・・。燃えるじゃん。
絶対に超えてみせる。
その決意に、盛大に水を差された。
そもそも前提が間違っていたのだ。
端末用のテーブルには何もなかった。
キーボードもマウスも何もかも・・・。
ただのテーブルだった。
テーブルの表面は磨かれた銀製食器のように輝いていたが、ただのテーブルなのだ。
監査ルームにはディスプレイとテーブルだけで、キーボードなどの入力装置がない。入力装置がなければ、ネットワークに入れない。つまりコンピューターにアクセスできない。
急いで”旅のしおり”のAPPENDIXページを開くが、ネットワークにアクセスする方法の記載があるだけで、入力デバイスがどこにあるかの記載がない。
キーボードとマウスのようなポインティングデバイスがある前提で、”旅のしおり”に記載されている。
もしかして、と、門倉からもらったIDカードをテーブルに置いたり、ディスプレイに翳したりする。
「どうしたんだ?」
児玉の奇妙な行動を見兼ねて、真田が尋ねた。
「・・・入力デバイスがない」
「そこのテーブルがそうなんだろ? スイッチか何かをポチっと押せば、キーボードがテーブルの中から現れるとか・・・」
「”旅のしおり”に記載がない」
「はっ?」
「”旅のしおり”に、どうすれば入力デバイスが出現するかの記載がない。これじゃあ、どうにもなんないじゃん。どうしろってんだよ!」
児玉のセリフを受け、真田は旅のしおりの隅々まで確認したが、入力デバイスの記載は一切なかった。
「あー、ねぇーな。記入漏れか」
なんか門倉さんらしくない・・・。
と言っても、オレはそんなに門倉さんのことを知ってる訳でもないし・・・。
第二次サイバー世界大戦を防ごうと、誰も彼もが一杯一杯なんだ。”旅のしおり”だって急遽作成したんだし、幾つか抜け落ちてても致し方なしだな。
今も門倉さんはオレと児玉を陰ながら支援してくれているはず。で、あるならば、オレ達はオレ達にしかできないことをすべきた。
「まあ、仕方ねー。なんとかしようぜ、児玉君よ。AIをシャットダウンさせ、世界を護れるのはオレ達だけだ」
「ちょっと何言ってるかわからない。世界を護れるのは僕だけじゃん」
打つ手なしの状況でも、生意気な口は健在らしい。
「入力デバイスもなしにか?」
「門倉さんのミスじゃん」
「オレ達がフォローするしかないんだ。今はオレ達にしかできないんだ。何としてでも入力できるようにするぜ」
そう言うと真田は装置の下部の垂直面を端から叩き始めた。反射音から大部分が空洞になっていると分かる。装置のテーブル部分は、垂直面より明らかに重々しい音がする。装置上部は分厚くなっているようだった。
テーブル面に両手を置き体重をかけても、まったく凹まない。
その様子を見ていた児玉が少し冷静になったようで、壁のディスプレイを念入りに改めて検め始める。すると壁のディスプレイに、材質の異なる部分があるのに気付いた。
「真田さん、ディスプレイに」
テーブル面から5センチ、15センチ、30センチの位置に水平に三本の1ミリにも満たないが線があった。そこの材質は、微妙にディスプレイと異なっていた。間近で注意深く観察しないと全く分からない。違和感なく巧妙にディスプレイと一体化されていたのだ。
児玉は上半身をテーブルに載せ、3本の線を下から順に人差し指でなぞった。
真田はテーブルに軽やかに飛び乗ると顔をディスプレイに近づけ凝視し、上からそれぞれの線に指を這わせた。
「材質が違うな。何だと思う?」
テーブルに全身を使って乗った児玉は、真田の隣で目を凝らし、線を注視しながら徐に口を開く。
「レンズ・・・いや、LED・・・。あー、両方かも」
しばらく、2人は指でなぞってみたり、軽く叩いてみたりとディスプレイに一体化した線状の何かを調べてみた。しかし埒があかない。
真田はどうすべきか目を空にさまよわせて考えた。
ふと、天井にも同じような線があるのに気が付く。
「児玉君、天井にもある」
真田が指さした先に、ディスプレイと同じような線が3本あった。
ディスプレイのある壁から5センチ、15センチ、30センチの離れた位置に平行で。
真田は児玉を肩車して、テーブルの上で立ち上がる。
「ディスプレイと同じ材質にみたいだ。でも少し違う。レンズみたいなのが多く配置されてる。他はLEDというよりレーザー? あっ、そうじゃん。デバイスじゃん。これって入出力機器じゃん」
突然興奮し始めた児玉を肩から下ろすと、真田が期待を込めた声で尋ねる。
「これって入出力機器なのか? そうは見えねーぜ。どういう使い方をすんだ?」
「レーザー光でテーブルにキーボードを表示させて、カメラでキーが押されたかを監視してる。マウスは右手をグーにして、指でクリックとかダブルクリックのジェスチャーするんだ。正面と上のカメラで、正確に手の動きとかをトラッキングする仕組みじゃん」
「何とかなりそうか?」
「ならない。デバイスが動いてないし、システムに入るための端末の電源が入ってないじゃん。どうにもなんないよね」
冷静な表情と声で真田に返答しながら、児玉はテーブルの上で握りこぶしを作ったり、手を振ったりしている。
「でっ、何やってんだい」
「電源を入れる方法を探している。真田さんはテーブルの上で踊ってみるとかどうかな?」
「踊るとどうなんだ?」
「踊りの振り付けの中で、電源スイッチが入る動作があるかも知れないじゃん」
「本気で言ってんのか? 本気なら踊ってやるぜ」
「9割冗談、1割本気・・・あーーー、どうすれば電源が入んのさ」
「この線は、レーザー光とカメラなんだよな」
「それ以外には考えらんないじゃん。他に入出力装置があれば別だけどね」
「他になさそうだな。だったら、ここから入力できるようにするしかないよな」
「だから、できないじゃん」
「この線の向こう側にはケーブルがあるんだぜ。世界の危機を前に、ここで止まっていて良い訳ない。なんでもやってみようぜ」
言い終わるや否や、真田は力一杯、ディスプレイに右拳を打ち付けた。
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