第7章ー2 巧遅拙速、天の時の妙
明日の2人の作戦説明を終えた門倉は、自分が宿泊する9階のスイートルーム戻った。8階もそうだが、9階も1フロア丸ごと1部屋のスウィートルームが占有している。
門倉は利用するたび、もはやルームと名付けるのでなく”リザーブドフロア”とでもすればスッキリするのになと考えている。
今日は一日に沢山のことが起き、考えることが多すぎた。それが思考の迷走、暴走、停滞などで頭脳に膨大な負荷をかけ、知力の低下・・・淀んでいた。しかし、ルーチンのように”リザーブドフロア”という別の思考が割り込み、頭脳に強制再起動がはしった。
リビングルームに足を踏み入れるとヨッシーとユージが難しい表情をしてソファーに座っていた。
厳しい状況だが、リフレッシュした門倉の頭脳には解決への道筋が描かれている。それに頼もしい仲間がいる。勿論2人に拒否権はなく、強制参加させる。というより、最初にボクを巻き込んだ2人には最後まで付き合わせる。
「さて、明日中にケリをつける案を捻りだし、細部と担当を決めようか」
「いやいや。ちょっと落ち着こう、カドくん。いくら何でも明日中はムリじゃね?」
ヨッシーこと、中央統合情報処理研究所の所長、星野良生が腰の引けたこと言った。
「いや、明日にはケリをつけるさ。それとも何か? 児玉君たち4人を、解決するまで軟禁するのかい?」
門倉の反論に、ユージこと監査室の室長、佐瀬勇次が再反論する。
「児玉君たちに護衛つければ、多少の時間は稼げるんじゃ・・・折角ここまで時間かけ、慎重に事を運んできたんだし・・・」
「巧遅拙速さ。さっき児玉君には協力を依頼してきて、快く引き受けてもらったんだよ。真田君もヤル気でね。後は2人に気持ちよく踊ってもらってる間に、僕たちで解決するんだ。ヨッシーとユージは強制参加な」
「おうおう、ユージ。諦めろや。カドくんは頑固だし、意見してもムダじゃね? それにな、今日の中央統合情報処理研究所の第一オペレーションルームの騒ぎで、ヤツらも危機感を覚えたろうな・・・早めにケリつけた方がいいな」
「第一オペレーションルームの騒ぎって何だ?」
「まず、そっから共有とすっか・・・じゃっ、カドくんよろしく」
「ボクかよ・・・良いけどさ」
いつもなら昼食後のゆったりとした時間が流れ、自然と会話が弾む13時30分。
しかし、今日の中央統合情報処理研究所の第一オペレーションルームは通常と違っていた。ハッキングセンターからのアタックに騒然となっていたのだ。
第一オペレーションルームの2つの壁には、横20メートル、縦10メートルの巨大ディスプレイが設置されている。その1面に、15人の視線が集中していた。
15人は若手、中堅、ベテランの3グループで会話しているが、3者の間に壁がある訳でなく、単に話し易い相手と雑談している雰囲気だった。
「おお、すげーな。たったの3時間足らずで、第一ファイアウォールを突破したぞ」
ベテラン勢の中でグループ長の塚田正夫が感嘆の声をあげた。塚田は6交代制の第一オペレーションルームで、今部屋にいる14人を部下に持つ管理職だ。
「第二ファイアウォール突破のための攻略方法にも気づきそうだ・・・」
「CPU、メモリなんかのリソースを上限近くまで酷使してるけど、割り込み処理がスムーズだ。分散処理プログラムをかなりカスタマイズしてるな」
「おー、どうやらプログラムにも、相当に手を加えてそうだな。どれどれリバースしてみっか」
「待った。検証用コンピューターにハッキングツールのソースコードもおいてあんぞ」
「おー、こりゃ良い」
「自動攻撃、分析ツール、変数の設定ファイル。それでもダメなら、その場で改造するってか」
ベテラン勢が、それぞれの知見を持ち寄った意見を述べている傍らで、若手勢の会話の内容は雑談をしているようだった。
「リーダーは高校2年生だってよ」
「マジか・・・俺が高校2年の時なんて、PCの表計算ソフトを使うので精一杯だったのに」
「それは酷すぎだろ。せめてデータベースぐらいは使えないと、な」
「それにしても、児玉孝一・・・聞いたことねーな」
「こんだけの技術があるなら、どっかの大会で最低でも上位入賞してていいけどな」
雑談のようで雑談でない。
若手勢は次世代の情報技術エンジニアを常に注目している。
高校生の未来人工知能の討論会、大学生まで参加可能な量子コンピューター論文大会、10代限定のプログラミング大会等々、情報処理に関する大会は数多くある。若手勢の目に留まった場合、量子計算情報処理省の外局へと人材登用の推薦をする。
その彼らが児玉孝一を聞いたことないいうのには、それなりの理由があると考えられるのだ。
そして、その理由は、中堅勢からの会話からでてきた。
「おいっ、こいつバンドルワンじゃないか?」
「あー、攻撃が似てるかも・・・」
「でもよ、アングラのハッカーがハッキングセンターにくるかぁー」
「3年ぐらい活動してないよな?」
「バンドルワンのコードサンプルって、ライブラリーに保管してあったよな?」
ここで言うライブラリーとは、西東京で収集しているハッキングツールのことを指す。ライブラリーにハッキングツールを整理整頓して、いつでも参照できるようにしているのだ。
「計測ツールを使うのか?」
「念のためにな」
同一人物によるプログラムかどうか判断するための計測ツールがあるのだ。数百ステップぐらいのプログラムだと違いは出てこないが、数万ステップともなると個人差というか癖というか、各個人の思考方法がプログラムに現れてくる。
その類似度を測定するのだ。
プログラムをリバースエンジニアリングして解析し、類似度を計測するので、残念ながら犯罪捜査のDNAのような正確さはない。
いわば、犯罪現場に残された指紋のようなものなのだ。
計測対象がプログラムのソースコードであれば、DNA程ではないが、もっと精確な測定結果がでるのだが・・・。
中堅勢の会話から、インスピレーションを得た若手の一人が、突然大声で発言する。
「こいつ、サイバーセキュリティーの児玉じゃないか?」
若手勢が漸く孝一の名前に気づいた。
「そういえば、児玉孝一ってのが居たな。高校生だったのか・・・」
「なーるほど、だから事業拡大しねーのか」
「出来ねーわなー、高校通ってたら・・・。推薦しとくか?」
中堅の何人かが若手勢に合流して話が盛り上がる。
「ダメだ。奴はバンドルワン。要監視対象に指定するからな」
「いやいや、先輩。高校2年生がバンドルワンってないっしょ」
「計測ツールで算出した類似性は91.7%もある」
「それなら別人の可能性が高いんじゃ?」
その会話に、ハッキングセンターの検証用PCのソースコードを読んでいたベテランが加わった。
「ソースコードを読むと、3年前より随分とスキルが向上してるようだ。まあ、こいつがバンドルワンと仮定しての話なんじゃが、90%以上なら本人の可能性が高いだろうなぁ」
ついにベテラン勢も加わり、10人近くの集団となった。
「本人かどうか分からないなら、推薦して、外局に雇って、仕事させつつ監視するってのは?」
学歴や公務員試験のフィルターで零れてしまうコンピュータースキルの高いハッカーを犯罪者にせず、社会の役に立てるための仕組みが外局。
IoTによってコンピューターによる仕組みが社会の隅々まで広まった今、ハッキングは重罪となった。しかしハッキング犯罪はなくならない。
ハッカーという人種は、社会から爪弾きにされ易い。そして社会から弾かれたハッカーが食べるために、生きるために、自己実現するためにハッキングするからだ。
彼らを救済することは、社会を安定させる・・・だけでなく、コンピューターと情報処理技術の革新へとつながってもいる。実際に幾つもの革新的な技術が生まれていた。
「高校生じゃ雇えないだろ」
「そっか・・・」
そう、外局は学生を雇えないのだ。
皆が頭を悩ませる始めた時、置物のように部屋の隅にいた門倉が口を出す。
「ちょっといいかな? 児玉孝一君は監査室預かりにする予定でさ。星野所長も同意しているんだよね」
「門倉さん。こんちはー」
「最近よく顔をだすなぁ」
若手、中堅、ベテランに関係なく、門倉は気安く挨拶されている。そのぐらい頻繁に訪れているということなのだ。
「おお、カドくん。部屋の隅っこに居られると置物かと間違うやないか」
門倉の同期でもあるグループ長の塚田が、辛辣な口調で声をかけた。
「なんで第一オペレーションルームに置物があるんだよ。1時間前から居たさ」
「悪かった。ヨッシーから、ちっくと爽やかなデブの置物をプレゼントするけんど、あまり話しかけんなって言われちょってな」
「確かに、そういう依頼はした。でもさ、ちょっと爽やかなデブってのは酷いんじゃないか?」
「文句はヨッシーに言えよ。わいは、言われた通り正確に伝えただけやな」
同期でもあり、若い時には一緒に苦労した仲間でもある塚田は、孝一の処遇について門倉に遠慮なく尋ねる。
「それで? 本当にヨッシーが同意してんのな?」
「後でここに来るから、直接訊いてくれればいいさ」
塚田は納得したように肯いた。勿論、まだヨッシーこと星野所長の同意を得てないことを確信してだ。しかし他の要員の手前、門倉に話を合わせた。ヨッシーの同意は部屋に来るまでに既定事実になるのだから・・・。
児玉孝一のハッキングは、第一オペレーションルーム全員の注目を集め続け、4時間が経過した。
「とうとう、第二ファイアウォールを突破したな」
「過去最高タイ記録。第三の攻略開始。第一、第二ファイアウォールの突破の最短記録を大幅更新・・・時間単位じゃなく日数単位で9日間も。こりゃ、まいった」
「ファイアウォールの強化方法を検討しないと・・・」
「第二は強化しても、第一は今ぐらいが良いんじゃないか。あまりに強固すぎると外部との連携効率が落ちるし、何より第三・第四の効果が半減しかねない」
「防壁全体の俯瞰すると、むしろ第一ファイアウォールを強化して第二ファイアウォールは今のままが良いのでは?」
「俺も第一ファイアウォールの強化に賛成。防壁全体の設計思想は、第一ファイアウォールと第二ファイアウォール攻略の難易度は同程度にするとあったはず。今回の結果は第二ファイアウォールの攻略難易度が高かったと・・・」
「待て待て待て待て。難易度の設定は、一個人のスキルに左右されるべきではないだろ? 何のためにハッキングセンターが全国にあると思ってんだ」
「それを言うなら、全国にハッキングセンターがあっても、1年間で第二ファイアウォールまで突破できたのは5回。しかも3チームだけ。ファイアウォールの難易度は、どうやって判断する」
「定量化に定性化。そうしないとセンター長に説明も説得もできないし、センター長は星野所長に説明できない」
第一オペレーションルームは防壁関連のオペレーションを担当している。6グループが24H365DAYでセンターを運用し、2グループが防壁の設計や研究開発を実施している。この計8グループが第一オペレーションセンターであり、センター長は大手企業の本部長相当する。
「もう面倒だし、土佐勘にしようぜ」
土地勘ならぬ土佐勘。
センター長の土佐浩司が直感で決定するから、安直に土佐勘と呼んでいる。
質の悪いことに、土佐勘は常に正しいのだ。
論理的に分析し、どうすべきかを考える技術者の坩堝の中でも、ひときわ異彩を放つ異才が土佐である。彼の思考回路は最新スペックの量子コンピューターの人工知能をもってしても解析できないと噂されている。
「そうそう、もうセンター長の判断で良いんじゃね?」
「そうだよなー。判断材料だけ纏めて、決定も責任も丸投げでいいじゃん」
自分たちが精魂込めて練り上げた対策よりも、土佐勘で決定した対策が有効だった事例の方が多く、若手が投げやりな気分になるのも仕方ない。
中堅すなると、土佐勘の決定理由が何となく分かるようになる。
ベテランになって漸く理解できるのだ。納得はできないらしいが・・・。
「おいおい、そこで諦めてどうする。土佐の思考方法を学ぶといい」
「・・・? 星野所長」
最年少のセンター職員が驚いて声をあげた。
そっと第一オペレーションルームに入室して、孝一のハッキングの様子を窺い、所員の会話を聞いていたのだ
「そうそう、所長の星野さんだ。中央統合情報処理研究所は君たち若手に、頭脳の酷使することを期待している。思考停止は困る」
話していた若手は俯き、中堅は苦笑いを浮かべた。
「さて、塚田グループ長。児玉君には防壁への挑戦権を剥奪して、ハッキングセンターから追放してもらおうか」
第一オペレーションルームの所員たちからは残念そうな声が聞こえてきた。観戦していたゲームが途中終了したかのように・・・。
そう、ハッキングセンターからのハッキングは、第一オペレーションルームの所員にとって全身全霊を注いでいるゲームなのだ。部屋には2面の巨大ディスプレイがあるが、1面はハッキングセンター、もう1面は本番環境のものである。
つまり、ハッキングセンターからアクセスしても本番環境には全く影響を与えないし、中央統合情報処理研究所の内部コンピューターにはアクセスできない。
ハッキングセンターの謳い文句は、中央統合情報処理研究所のファイアウォールに挑戦できるであって、本番環境とは宣言していない。ただし、本番環境と同一のハードウェア、同一のソフトウェア、同一のファイアウォールを使用しているので完全な嘘でもない。
所員はハッキングセンターからのハッキングを分析して、強力かつパフォーマンスの良い防壁へとアップグレードしているのだ。
ハッキングセンターからのハッキングは知的ゲームの開始であり、第一、第二ファイアーウォールの突破までは許容範囲。
中央統合情報処理研究所の全体のファイアーウォールを防壁と呼称している。それは第三と第四が通常のファイアウォールと概念や設計が異なっているからと、中央統合情報処理研究所で開発したものだからだ。
塚田は部下数人にハッキング中断作業を命じると、素早く星野の傍へと詰め寄った。
「ヨッシー、どういうことなんや?」
「まあまあ、落ち着けツカマサ。明日明後日にでも事情は説明する。今は一民間人の安全を優先なんだ」
「児玉孝一が一民間人ねぇー?」
「バンドルワンと証明されてないだろ? 未だ一民間人に変わりないさ」
「カドくんとヨッシーが擁護しちゅーってのが、胡散臭さを激増させちゅーってんちや」
塚田は部下たちの手前、バンドルワンだと疑っているとは言わないかった。しかし表情が雄弁に物語っていた。
「監査室預かりにするから、ツカマサは手だしするな」
「いつ決めたんや?」
「つい最近だな」
星野は飄々と答えた。
つまり、きな臭さと胡散臭さが満載な案件であり、
「明後日、1時間ばかり打ち合わせをしたいんじゃが・・・。構わんよな?」
「いやいや、カドくん大変だな。頑張れ」
「説明はヨッシーだろ?」
「明日中に、それなりの結果が必要になった」
星野からの結果を出せとの要求に、門倉は諦め顔で首を竦め了承した。
その肯定の合図に満足した星野は、塚田の打ち合わせ要求に回答する。
「ツカマサ。・・・と、いう訳で時刻は明後日の当日指定だ」
「仕方ない。了解した。だが、絶対だかんな。そうじゃなきゃ、第一オペレーションルームの所員は納得いかねーぞ。・・・ってより、書面にして正式に抗議してやっかんな」
所員にとって第三防壁からが、自分たちの実力を試せる機会で、待ちわびた瞬間。それを邪魔されたのだから、それ相応の理由がなければ納得できない。ただ、絶対に破られることはないというプライドと確信を持ってはいるが・・・。
第三防壁と第四防壁はファイアウォールではない。
第三防壁は”サーキット”。
人工知能が第一、第二でのハッキングの挙動を監視分析して、逐次ファイアウォールを用意するのだ。最初は第三防壁がデフォルトで用意しているファイアウォールで、次からは第一、第二の設定を変更したファイアウォールが待ち受ける。第三防壁がデフォルトで用意していたファイアウォールの設定もハッキングに合わせて設定変更を繰り返す。
ハッカーはいくつファイアウォールを突破しても、次から次への設定変更されたファイアウォールに行く手を阻まれるのだ。
正式名称は”逐次防壁”なのだが、サーキットトレーニングから着想を得たのと、呼びやすさから”サーキット”と呼ばれている。
第三防壁は第一、第二ファイアーウォールを正規の手続きで通過しないと、人工知能はサーキットを発動する。そのため突破するには、監視分析用の人工知能を騙して正規の通信と誤解させる必要がある。しかし、第一、第二ファイアーウォールを突破した時点で、ほぼ不可能なのだ。
第四防壁は正式名称”無限防壁”といい、通常”スフィア”と呼ばれている。
第三の監視分析用の人工知能は、あくまで第三防壁の人工知能である。ハッカーは第四防壁の人工知能と防壁全体を監視分析している人工知能、この2つの人工知能を攻略しないと無限防壁から抜け出せないようになっている。
”スフィア”が第四防壁を如実に表しているのだ。
「説明はヨッシーから聞いてもらうとして、ボクからは児玉孝一君の再挑戦を確約しよう。それならイイだろ? しかも、彼は今回準備期間が殆どなくてね。万全な状態のバンドルワン・・・ではなく、児玉孝一君に挑戦してもらうのさ。もちろん、日時は塚田グループの勤務に合わせて実施するよ。どうかな、みんな?」
第一オペレーションルームが湧きあがった。
部屋のあちこちで対戦に向けての見どころや、それまでに防壁全体の見直しの議論が始まる。
「おいおい、いいのかカドくん?」
星野は民間人である児玉に拒否権があると言外に匂わせたのだが、門倉は一蹴する。
「勿論さ、彼らの所為でボクだけ苦労するのは不公平だろ」
「それなら、わいに文句はない」
所員はイベントへの期待感で盛り上がり、塚田は不敵な笑顔を浮かべている。それを見た星野は、色々と諦めたのだった。
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