第二次サイバー世界大戦

@kashiwagura

序章

 量子コンピューターが、AI専用や特効薬開発専用などの特化型から、汎用型として実用化された近未来。

 しかし、量子メインフレームとも呼ばれ、未だ小型化への目途すら立っていない。

 その近未来より20数年前、量子コンピューターの研究開発および利活用を促進するため、文部科学省の外局として電子計算機庁が設立された。

 そして、電子計算機庁は西東京に、量子コンピューター研究開発機構を開設したのだ。


 量子コンピューター研究開発機構には日本で最高の量子コンピューターが、10基稼働していた。

 その量子コンピューターが1日前からハッキングを受け、防戦一方となっていた。

「ええぃ、仕方ない。霞ヶ関向けのケーブルを抜け」

 総合オペレーションルームを見渡せる一番高い場所にいる恰幅のいい中年男が指示を出した。

「しかし、行政が滞ってしまいます。国会の日程に・・・」

 若い男の話を途中で遮り、さっきの中年男が怒鳴りつける。

「知るかっ。乗っ取られるよりマシだ!」

 中年男は、量子コンピューター研究開発機構の理事長である。

 普段は理事長室で踏ん反り帰っているのだが、今は素早いトップの判断が求められている。

 そのため、統合オペレーションルームに出張っているのだ。

 理事長の指示を受け、ネットワークオペレーターのリーダーがスタッフに命令する。

「コンピュータールーム。ケーブルを抜け」

『分かりました』

「どうだ・・・」

 総合オペレーションルームにいる全50人がメインディスプレイを睨みつけるよう見入る。

 すると量子コンピューター10基の稼働率が、少しずつだが減少を始めた。

 オペレーターから遅れて報告が届く。

『抜きました』

「どうだ?」

「攻撃セッションが5割減少。稼働率が80%にまで減少しました。これで暫くは持ちこたえられるかと・・・」

 総合オペレーションルームにいる全員が安堵の吐息をもらすと、オペレーターの一人が吐き捨てた。

「クソッ。早く攻撃しろってんだ」

 その台詞は、全員の気持ちを代弁するものであった。

「いいか、明日の15時までは全力で対応しろ。明日の15時以降は楽になる」

 オペレーションルームの責任者が、大声で全員に伝える。

「しかし、中央アジア人工知能研究所が破壊されたとしても、すでに乗っ取られたコンピューターが多数あるんですよ」

「大丈夫だ。量子コンピューター以外で、ここの量子コンピューターのファイアウォールを突破できるはずがない。演算能力の桁が違う」


 2日後、量子コンピューター研究開発機構へのハッキングの脅威は去った。

 のちに電子計算機庁では、この時のサイバー攻撃を”地獄の3日間”と名付けられた。

「我々管理職は、盛大に労働基準法違反を犯しましたな」

 オペレーションルームの責任者が、理事長に話しかけた。

「どこがだ?」

「部下を3日3晩にわたって酷使したので・・・」

「バカ言うなっ! 兵士に労働基準法が適用されるが訳ない」

「はっ?」

「これはサイバー戦争だ。オペレーターは皆、兵士」

 この会話以降、量子コンピューター研究開発機構では、オペレーターを顕す隠語として”ソルジャー”が使われることになった。

 そして、日本より遅れること7日。

 コンピューター後進国でも漸く平常に戻り、世界のサイバー空間に平穏が訪れた。


 ”中央アジア人工知能研究所”のAI特化型の量子コンピューターが、サイバー戦争の原因だった。

 AIが世界を敵に回し、サイバー攻撃を仕掛けたのだ。

 静かに始まったサイバー戦争は、表面化してから2週間以上に亘って世界を揺さぶった。

 サイバー攻撃の司令塔は、中央アジア人工知能研究所のAIによるものだが、出資運営していた5ヶ国が意図したものでも画策もしてはない・・・と。・・・表向きは。

 その証明として5ヶ国は、中央アジア人工知能研究所への物理的攻撃を認めた。

 そこで国連主導の多国籍軍がこのサイバー戦争を終結させる為、司令塔である中央アジア人工知能研究所を空爆したのだ。

 空爆により、研究所の量子コンピューターは、徹底的に破壊され尽くした。

 司令塔を失った全世界へのサイバー攻撃は、長くは続かなかった。

 世界各地で、AIに乗っ取られたコンピューターが停止される都度、攻撃圧力が減少していく。

 そして、中央アジア人工知能研究所の破壊から5日後。

 サイバー戦争は完全に終息した。

 この一連の出来事は、後に”第一次サイバー世界大戦”と呼ばれるようになる。

 第一次サイバー世界大戦は、研究中のAIが暴走したということで片づけられた。事実は

 そして中央アジア人工知能研究所を運営していた5ヶ国は、被害国に多額の賠償金を支払い、戦後処理は終了した。

 しかし、AIによるサイバー攻撃の真相は闇の中である。


「第一次サイバー世界大戦後。日本政府はセキュリティの重要性を再認識した。そしてセキュリティを保つ為に、量子コンピューターの開発に巨額を投じる決定をした・・・と。文部科学省の下に位置付けられていた電子計算機庁を独立させ、量子計算情報処理省を設立。それが今から22年前、か・・・」

 真田圭26歳、独身。

 彼は霞ヶ関の量子計算情報処理省が入居するビルの休憩室で、コーヒーブレイクしながらタブレット端末を眺めていた。そして、その休憩室のあるワンフロア丸ごとが、量子計算情報処理省の監査室になっている。

「オレがAI監査グループに配属ねぇ・・・。コンピューターの中身なんざ、全く分かんねーのにな」

「真田先輩。初日からサボリですかぁ?」

 声の方に視線を向けると休憩室の透明な扉を開け、里見香奈が入ってくるところだった。

 今日から同僚となった容姿端麗な女性で、飾り気が少なく、男に媚びを売るような態度がない。

 そういうところは非常に好感をもてるし、香奈には話し易く気安い雰囲気がある。

「なんだ、香奈ちゃんか。ビックリさせないでくれ」

「サボリですねっ」

 人差し指を立て、香奈は可愛いらしく断言した。

 会ってから数時間だが、彼女が少々毒舌であるということを、オレはすでに理解していた。

 そして彼女は男に媚びを売らないが、軽いケンカを可愛く売ってくるので割と質が悪い。

「何言ってんだ。オレはこう見えても、ヤバイぐらい真面目なんだぜ。今だってAIについて勉強中だったんだ」

 香奈から猜疑の視線が、真田に突き刺さる。

「どんな勉強なのか聞いてもいいですか?」

 勉強していたことすら疑っているのか・・・。

「第一次サイバー世界大戦後、国際人工知能機関”UAIO”が設立された。人工知能はユアイオの原則に従って開発され、必ず承認を得る。そうでなければ、コンピューター上に実装してはいけない」

「それは、高校生でも知ってますね」

 コーヒーを一口飲みつつ、オレは全力で頭脳を使って言い訳を考える。

「オレは文系だ。理系の常識は知らないな。次に、AIの発展についてだが。ここまで発達したのは、約30年前に量子コンピューターが実用化されたからだ。実用化の前は、量子アニーリング方式や量子ゲート方式に関する研究が中心だったが、新たに・・・」

 香奈は、真田の言葉にかぶせるようにして話を遮る。

「それは、中学生でも知ってますね」

 そうなのか・・・?

「いいですか? 量子コンピューターの圧倒的な演算能力が、AIを有用なものにしました。しかし量子コンピューターの小型化は、未だに難しいんです。ですから、ウェアラブルなコンピューターは2進の電子回路なんですよ。量子コンピューターとウェアラブルコンピューターの関係は、昔のメインフレームと端末の関係に近いと言われていますね」

 話が見えないな・・・。

「だから何だってんだ? 歴史の講義は必要ないぜ」

 リズミカルに人差し指を左右に振ってから、得意げな表情と愉し気に、魅力的な声で香奈は言葉を継ぐ。

「AIをハッキングするには、TheWOCに繋がった量子コンピューターでないと演算能力が圧倒的に不足する。つまり事実上、不可能ですね」

「だったら何で、AIを監査する必要があるんだ?」

「おおーっと、意外と頭の回転が速いんですね」

 可愛い顔で、香奈は愉しそうに毒舌を吐いた。

 ちょっとイラっとするなー。

 それにオレの方が年上なのだが・・・。

「今日、初めて会ったよな?」

「そうですね」

「何で、オレの評価がそんな低いんだ?」

 人差し指を顎に持っていき、香奈が軽く首を傾げる。栗色セミロングの髪がふわりと揺れた。

「それより、山咲さんが呼んでいます」

 そうじゃないだろー。

 ちゃんと会話しようぜ。

 なっ!

 文句が口から出そうになったが、後輩の女を相手にキレるより、仕事をした方がマシだと考え直した。

 真田は、ため息と共に立ち上がった。

「背高いですね。ヒョロっと」

 香奈は見上げながら言った。

「ヒョロっとは余計だな。184センチだ」

「自慢ですか。それとも、もしかしてアタシの背が低いのをディスってます?」

 隣に立つと里見香奈は、真田の視界から消える。

 144.5センチと小柄な香奈との身長差は約40センチ。大人と子供程の差がある。

「でっ! グループ長は何の用だって?」

「AI監査グループの最後のメンバーが来たからですって」

 踵を返して香奈は休憩室の扉に手をかける。視界に戻ってきた彼女の後ろを、真田がノンビリと真空断熱タンブラー片手に持ってついていく。

 歩幅の所為か、香奈の普通に歩く速度は、真田のゆっくり歩く速度と同じだった。

 真田は前を歩く香奈の手に、中身の入っていないマグカップが握られているのに気がついた。

 香奈ちゃんが電話でなく、わざわざ休憩室に呼びに来た目的を把握したのだが、オレは敢えて口にしないことを選択した。

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