下水汚泥リサイクル

 三輪クリーンの堆肥製造工場は奥まった林道の奥にひっそりと建っていた。悪臭の苦情を避けるためなのか一番近い民家からでも一キロ離れていた。林道の幅員は三メートルしかなく軽自動車でもすれ違いができないので、ところどころに退避帯が設けられていた。ダンプも走れなくはなかったが、積載オーバーしたら仮舗装の路面がたちまち壊れてしまいそうだった。プレハブの事務所前の来客用の駐車スペースに車を駐めたとたん、うっすらと臭気がただよってきたが不快なほどではなかった。伊刈たちはこの程度の臭いを悪臭とは感じなくなっていた。事務所の中には三輪社長が一人で待っていた。事務員の姿はなく社長自ら搬入車両の受付をやっている様子だった。

 「遠いところご苦労様です」三輪は悪びれた様子もなく答えた。三十台半ばの痩せた男で、とりたてて特徴もないが産廃業者の社長としては優しい部類の顔立ちをしていた。肌寒い季節なのに半そでのポロシャツを着ているが不思議だったが工場内が暑いせいだと思われた。

 「一服されますか」

 「いやすぐに工場を案内してください」伊刈が言った。

 「そうですかわかりました。搬入の車がもしも来たら外しますがいいですか。事務の者が産休なものでね。といっても女房なんですが」

 「そうですか大変ですね」

 「なにしろ不景気でねえ、恥ずかしい話アルバイトを雇う金もなくてね」

 「リサイクル法で仕事が増えたんじゃないですか」

 「それは食品でしょう。うちは下水専門だからだめですよ。最近はどこの処理場もインターロッキング(歩道舗装材)とか作ってるでしょう」

 「食品はやらないんですか」

 「やりたいですけどここではなかなかうまく発酵しないから」

 三輪が先に立って案内し工場の検査を行った。下水道汚泥の処理を主体にしてコンポスト化だけをやっている工場で、スペースの大半を占める熟成ヤードの広さは小笠原商事の半分くらいだった。

 「受入ヤードが小さいんですね」伊刈が尋ねた。

 「ヤードなんか不要ですよ。入荷したらすぐに処理しないといい堆肥になりませんからね」

 「種菌を植える混練機はないんですか」

 「それも要らないですね。熟成した堆肥に菌があるでしょう。それを少し残しておいて汚泥に足して切り返していくんです。ウナギ屋のタレと一緒ですよ」下水道汚泥の発酵からウナギの蒲焼を連想したくはなかったが、混練機なんか要らないというのは説得力があった。

 「それじゃいきなり発酵ヤードに入れるんですね」

 「一応品物の検査はしますよ。広げてみればたいていわかる。めったに悪いものはないけど、たまには色のおかしいのがあるからそれは除いておきますよ」

 「こっちが発酵ヤードですか」遠鐘が尋ねた。

 「そうですね」

 案内された建屋はブタ小屋みたいな感じにいくつかの小さな区画に仕切られていて、それぞれに熟成中の汚泥が入っていた。どの汚泥からも湯気が立ち上っていた。発酵の熱で温度が高まっているのである。空気を入れながら切り返しているため、堆肥の厚みは1メートルもなく、なんら処理しないでただ上へ上へと積み上げているだけの小笠原商事とは一目で様子が違っていた。

 「何度くらいになってるんですか」遠鐘が聞いた。

 「六十度だね。それ以上温度が上がったら菌が死んでしまうんだ。だから毎日切り返して温度を下げる」

 「空気を入れるためじゃないんですか」

 「それもあるけど温度を下げないとだめ。菌が死んだら熟成しない」

 「毎日は大変ですね」

 「しょうがないよ。いいもの作りたいからね」

 「小さな区画に分けてあるのはどうしてですか」伊刈が聞いた。

 「ああそれはね、熟成の程度が違うでしょう。ちゃんと発酵してればこんなふうに熱で湯気が出てだんだん乾燥してくるんです。手で触っても汚れないくらいぱらぱらに乾いたら完成ですよ」

 「熟成期間はどれくらいですか」遠鐘が聞いた。

 「季節にもよるんだけど今は寒いから一か月くらいかかるかね。園芸用とかに出荷する場合はもっとちゃんと乾かすけどさ、長くやったからっていいわけじゃないですよ。用途にもよりますけど、ある程度乾けば出荷できます。うちで一番いいやつはミツワグリーンて商標も取ってるけど、そこまでいいものは正直あんまり作ってないんだ」三輪社長はむしろ自慢そうに言った。

 「入荷してるのは下水道汚泥だけですか」

 「うちはそれがメインだけどたまには油の工場なんかのグロスも入りますよ。ときどき処理場が工場見にくるからね、ちゃんとやってないと契約を切られちゃう。だから手抜きができないんです」

 「堆肥の出荷先は地元の農家ですか」

 「それだと楽なんだけど、なかなかここらへんの農家は買ってくれないからね。せいぜいゴルフ場の芝生の養生とかだね。あとは北海道に出してますね」

 「北海道はトオモロコシとかですか。それとも牧場とかですか」遠鐘が聞いた。

 「使い道は買った人次第だから知らないけどね。実は春先に融雪剤の代わりに使ってるって話も聞きましたね。堆肥は黒いから太陽の熱を吸収して熱くなるでしょう。それに周辺の農地に流れても無害じゃないですか。塩カル(塩化カリウム)よりずっといいですよ」

 「佐渡さんをご存知ですか」

 「ああ佐渡さんねえ」三輪は言いにくそうに口ごもった。「知らないと言っても佐渡さんのことでここへ来たんですよねえ」

 「そうです」

 「じゃあまあ知らないとは言いませんよ。こういう商売はやっぱり販路が難しいんですよ。ゴミから作った堆肥だからねえ、野菜とかにはなかなか使ってもらえないんでね。イメージが悪いでしょう。ほんとは化学肥料なんかと違って何年使ったって地力を落とさないからいいものなんだけどねえ」

 「地力ってなんですか」遠鐘が聞いた。

 「最近の畑は地力がもう全然だめなんですよ。化学肥料を五十年もずっと使い続けたでしょう。だからもう地力がなくなってしまってね、うまい野菜が取れないんだ。昔ながらの堆肥ならね、何百年だってずっと変らずいい作物がとれるんですよ。今に必ず堆肥が見直される日が来ますよ。いやもうすぐにそうなりますよ」

 「でも佐渡さんがやってるのは施肥じゃないですよ。農地に何十トンも堆肥を埋めてるだけです。あれは不法投棄ですよ」遠鐘が言った。

 「薄々はそうだろうとは思ってましたけどね。うちが出してる堆肥を全部使うには何百町歩も必要だものね。だけどこう言ったらなんだけどね、うちの堆肥工場は日本一ましだと思いますよ。まったく不法投棄されてないとは言わないけどさ、よその工場は不法投棄が全部でしょう。うちはちゃんと出荷してるものが半分あるもの」

 「不法投棄が半分というのは佐渡さんに半分出しているという意味ですか」

 「うんまあ正直に言ってそれくらいですよ」

 伊刈は小笠原商事の様子を思い出して苦笑いした。たしかに小笠原商事にはまともな商品が全くなかったから全部が不法投棄といってよかった。しかし日本一ましな工場だと言いながら半分は不法投棄だ認めるところ、三輪もなかなかな代物だった。

 「今ねえ、事業拡張を計画してるんですよ。ここじゃさすがに狭いから第二工場を建てようと思ってね、金策をしてるんだ。食品リサイクル法ができてから、よそもみんな拡張計画があるからうちも負けちゃいられませんよ。食品はタンパクや脂が多いから熟成させるのに手間も時間もかかりますから、もっとヤードを大きくしないとね。さっきも言ったように堆肥が見直される時期がすぐ先に来てるからね、ここが勝負なんですよ」

 「佐渡さんには堆肥を売ってるんですか、それとも処分費を払ってるんですか」

 「もちろん売ってますよ」

 「それを帳簿とかで証明できますか」

 「帳簿はここじゃなく、本社で女房が管理してます。本社と言ったって自宅なんだけどね」

 「じゃご自宅に伺いますよ」

 「それは予想外だったな。女房がなんと言うかな」

 「上がり込んだりはしません。ちょっと玄関先で帳簿を拝見するだけですから」

 「そうかい、じゃいいですよ。今日はもう入荷はないみたいだから一緒に来てくださいよ」三輪は仕事を切り上げて帰り仕度を始めた。

 三輪の車の誘導で伊刈たちは彼の自宅に向かった。工場からは小一時間、こじんまりとしたミニ開発団地の中の庭もろくにない安普請の建売住宅だった。奥さんが産休というのはほんとうらしく大きなおなかを抱えて出迎えに出てきた。

 「寒いから上がってもらって」玄関先で済ませるつもりだったが、奥さんに促されて伊刈たちは部屋に上がりこんだ。二階の一室が書類の散らかった事務所になっていた。伊刈たちはさっそく帳簿検査を始めた。三輪の奥さんは隠さずになんでも出してきた。違法なことはやっていないという自信がある様子だった。

 「確かに佐渡から代金をもらってますね」喜多が売掛帳を調べながら言った。「たぶん1トン1万円くらいですよ」

 「外注費はどう」伊刈が聞いた。

 「汚泥の処分費に相当する科目はなさそうです」

 「工事代金とかないかな」

 「工事代金ですか?」

 「工場の設備を修繕したとか建物を建てたとか」

 「それならありますね。建物の修繕費が二千万円計上されてます」

 「支払先はどこ?」

 「あっ」喜多が声を上げた。「佐渡建設ってなってます。これって佐渡のことじゃないでしょうか」

 「それが臭いな。架空発注の工事代金を計上して裏金にしたかな」

 「ほんとですか」

 「そうだとしたら不法投棄プラス脱税だ」

 「さすが班長ですね」喜多は感心したように伊刈を見た。伊刈は階下に待たせておいた三輪を呼んだ。

 「社長、この工事費ですが建物ってどの建物ですか」

 「ああこれね」三輪は平然と言った。「工場の建屋の屋根を直したんです」

 「佐渡建設ってのは例の佐渡さんでしょう」

 「そうですよ。もともと土建屋さんだからね」

 「架空工事じゃないんですか」

 「まさか、ちゃんと工事をやってもらってますよ」

 「うちは税務署じゃないからこれ以上聞きませんが、架空の経費計上は脱税になりますよ」

 「それはわかってます」三輪は息を飲んだ。

 「もう佐渡さんへ頼むのはやめた方がよくないですか」

 「しょうがないね。そうしますよ」

 三輪が架空経費による裏金の支払いを暗に認めたので伊刈はそれ以上追及しなかった。

 「サンワグリーンの成分検査結果があったらいただきたいんですが」遠鐘が言った。

 「ああそれなら農水省(肥料検査所)に出したのがあります。取ってきますよ」

 「それをもらったら帰ります」伊刈が帰ると言ったとたん三輪の表情が緩んだ。

 事務所に帰ると遠鐘はすぐにサンワグリーンの成分と佐渡の現場の堆肥の成分を大室室長に比較してもらった。

 「ビンゴだね」大室の目が輝いた。「ほぼ同じだと言っていいよ。どちらにも下水道汚泥に特有のカッパ(銅)のピークがある。ほかのピークもだいたい一致してる。水銀もカドミも少しだけど出てるじゃないか。大したもんだなあ、よくここ見つけましたね。まるで科捜研みたいだなあ」

 「見たところ同じような汚泥や堆肥も成分を調べれば指紋みたいにどこのものか特定できるんですね」伊刈が感心したように脇からいった。

 「遠鐘さん、これ論文にしたらいいですよ。環境省の不法投棄の統計ではね、汚泥の不法投棄はみんな業種不明になってるんですよ。ほんとは下水道汚泥か食品汚泥が多いのにね」大室が言った。

 「業種不明が多いから統計上は建設系が多くなるんですね」伊刈が言った。

 「建設系は業種特定が容易ですからね。瓦の破片が一つあれば全部が建設系になっちゃう。汚泥を特定するには知識もいるし手間もいるし予算もいるからね」

 「それじゃ統計なんてでたらめじゃないですか。そのでたらめな統計で国の対策が立てられてるんですか」喜多が言った。

 「まあ農水省にも環境省にも技官はいるんだし薄々はわかってると思うけど、自分たちの出してる統計がでたらめだとも言えないしねえ」

 「大室さん勉強になりましたよ」伊刈が言った。

 「班長、三輪クリーンどうするんすか」帰りの道すがら長嶋が言った。

 「あそこは県庁に任せよう。といってもわざわざ通報しないけどね。管轄外のうちから県庁に通報ってのもおかしいだろう。うちの問題施設は小笠原商事だ」

 「でも佐渡の現場のは小笠原のじゃなかったでしょう」

 「たまたま川端の現場はだよ。小笠原も佐渡に出してたことは間違いない。それから横嶋にもね。それを証明しないと」

 「どうやって」

 「小笠原の帳簿検査をやってみよう。三輪クリーンの帳簿からも裏金の証拠を見つけただろう。妊婦の奥さんをあんまり刺激したくなかったんで、あれ以上深く追求しなかったけど架空工事費だってみえみえだった。小笠原は叩けばもっといろいろ出るよ。お金は正直だからね」

 「班長はプロっすよね」

 「大室さんこそプロだよ。成分検査でここまでぴったり出るとは思わなかった」

 「僕は化学屋としたら普通だと思います。伊刈さんみたいなスターじゃないですよ」プロと言われてまんざらでもなさそうに大室は笑った。

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