第3話

 今日も清々しいほどに晴れた空だ。彼の舌打ちは最早癖と化して、しかし今更それを咎めるような人間も居ない。いつものように零したそれに、隣にいた少年、ウルソンは笑うだけだった。

「今日も不機嫌そうだなー、ルゥ」

「不機嫌なわけじゃねぇよ」

「知ってるって。何年一緒にいると思ってんだよ」

 ウルソンがからかうような笑みを浮かべる。彼は見た目だけなら十三歳にも思えるが、その性格は少々幼い。なので、本当はもう少し年少なのではないか、とルゥは常日頃思っていた。かく言うルゥ自身も、己の本当の年齢など知らない。仲間達が十五あたりではないか、というので、それに合わせて十五歳と数えることにしていた。

「いいだろ、そんなこと。さっさとアジトに帰るぞ」

 ルゥがそう言って、地面に置いていた食料などが詰められた紙袋を抱え上げて歩き出したので、ウルソンは慌ててルゥを追った。ウルソンはルゥより一回り小柄で、さらに両腕には『荷物』を備えているために、どうしても彼より歩くスピードは劣るのであった。ウルソンが自分を追ってきていることを確認して、ルゥは速度を遅めた。

「いいよなぁ、ルゥのは。邪魔にならなくて」

 ウルソンが己の両腕を見ながら、恨めしげにぼやく。その両腕は、彼の名前の通り熊だった。彼の髪と目と、同色の焦げ茶の毛が生えた熊の手。爪や肉球まで備わっている。

 対するルゥには、体の左半分を覆うように鋭い水晶が大小様々に生えていた。その水晶は特に顔に重点的に集まり、鋭い狼のような瞳の、左側の片方は水晶に覆われている。左の眼球から水晶が生えているようにも見えた。痛々しくも見えるが、ルゥはこれによって痛みを感じたことはない。

「そうでもないぞ。寝る時体の左側を下にして眠れない」

「そこかよ」

 ルゥが冗談っぽく答えると、ウルソンが耐えきれず吹き出す。ルゥも少し笑った。


 少年達は異形であった。ルゥもウルソンも、母の命を犠牲にこの世に生まれ、ルゥは水晶の金銭的価値、ウルソンはサーカスの見せ物として、バイヤーに売られ殺されずに生き延びた。そうしてたまたま、そんな二人は同じサーカスの主人という飼い主に飼われていた。同じ異形という境遇に親近感もあったのだろう、兄弟のように仲良くなった二人は、名無しは不便だからと、お互いに名前をつけることにした。

 一方が相手の腕を見て、ウルソン、と名付けた。もう一方が相手の目を見て、ルゥ、と名付けた。

 二人が仲良くなったことを、サーカスの主人は特に気にとめなかった。気味の悪い者同士寄り合いたいのか。殊勝なところがあるじゃないか、化け物のくせに。そう小馬鹿にして、彼は二人に好きにさせていた。それは二人にとっては僥倖であり、主人にとっては失態であった。


 二人はやがて計画を立てた。サーカスから逃げ出す計画である。


 果たして、その計画は成功した。機会を待ち、準備を整え、月のない夜、誰にも気付かれずにサーカスを抜け出した。二人の異形が抜け出したことに、その朝主人達は気付いただろう。

 サーカスがその後どうなったのかは知らない。逃亡に成功した二人は身を隠し町を抜けて丘を越えて森をくぐり、やがてたどり着いたのは廃墟だった。

 そこに生きた生態系はなかった。近くには森があるが、その場所には草も木も生えることはない。おそらくはそこに積まれた瓦礫と産業廃棄物のせいであろう。そこは汚染されてしまった死んだ土地だった。社会のゴミ置き場だった。

 森を越えた先には市場があるが、そんな所から人間がここに来るはずがない。稀に行き場を無くした浮浪者が食料を求め訪れることはあったが、こんな場所には食料など、腐ったものさえない。結果そのゴミ置き場には餓死者の死体というゴミが増えた。増えたゴミは大抵が、どこかからやってきた烏に食われて無くなった。死体を漁りに来る烏だけがその地にある生命だった。

「ここにしよう。ここしか、ない」

 ルゥが、名前の通り狼のような金に近いアンバーの目を伏せた。森の中を探せば、住み着ける空いた小屋の一つでもあるかもしれない。しかしそこには人が来る可能性があるだろう。見た目からして目立ち、かつ迫害される異形だけで住まうにはそこは目立ちすぎる。誰も来ないゴミ捨て場が、一番丁度良かった。そこしかなかった。彼らは死んだ土地にしか住まうことが許されない存在だった。

「ここが、俺達の隠れ家だ」

 ウルソンも頷いた。彼らにとって、この世界は生きるには厳しすぎる。それでも死にたくない。日陰者でも、社会のゴミでも、生きていたいのだ。そう望むことは、罪だろうか。

 ――きっと罪なのだろう。この世界では。しかし、ルゥはずっと疑問だった。どうして、自分のような存在が生まれたのだろうか、と。

 普通の人間と異なる姿を持って、母の命を奪って生まれた異形は、どうして存在するのだろう。存在が罪ならば、なぜ神様は異形なんてものを生み出してしまったのだろうか。

 ルゥは母のことは知らないが、父は知っていた。愛する妻を、訳のわからない化け物に奪われた哀れな男はただひたすらに化け物を、ルゥを憎んだ。返せ、と言って、ルゥの首を絞めた。

「お前が、生まれなければ良かったんだ。妻を、ジャンヌを返してくれ……!」

 そう何度も泣いた父は、ルゥを憎みながらも殺しはしなかった。名前こそつけなかったが、ルゥが物心つくまで一応は育てた。きっと、妻が生んだ『子供』をなんとか愛そうという、父親としての想いがあったのだろう。ルゥは、いつも暴力をふるい暴言を吐く父が、夜、粗末な寝床に転がる己の頭を撫でようとしたことを知っている。

 震える手でルゥの黒髪を撫でようとして、直前でいつもその手は止まった。すまないと泣く父は、きっと性根は優しい人だったのだろう。

「すまない、ジャンヌ……私には、出来ない。これを愛するなんて、出来ない……!」


 ――次第に気を狂わせていった父は、最終的にルゥを人身バイヤーに売った。死ぬよりも苦しい思いをすればいい。化け物め。そう、最後にルゥに言った父の瞳は、どこまでも冷徹だった。

 何のために生まれたのだろう、幾度となくルゥは考えた。答えは出なかった。ただ、死にたくないと、生きていたいとそれだけの思いを胸に生きていた。ウルソンと出会ってからは、この弟分を守るために生きようと考えた。

 しかしそれでも、母を殺し、父を狂わせた、それだけのことをすることになってもこの世に産み落とされた理由には、あまりに不十分な気がした。何のために、何のために? そう考えてみても、誰も教えてはくれないのだ。


 廃墟を拠点に暮らし始めたが、生活は常にギリギリだった。生きるためにまず必要なのは食料だ。それを得るためにはどうしても、市場に出なくてはならなかった。

 金はないから裏道に捨てられた食べかけのチキンを拾うか、人の隙を突いて店に並ぶ品を盗むか、そうやって食いつないだ。市場に出るのは大抵がルゥだった。ルゥの異形部分は顔の左半分を隠せば何とかごまかせるからだ。体にも多少水晶は生えているが、服を着れば十分隠せた。

 ウルソンは市場には出ないものの、森の中まで付いてきて待機し、ルゥの帰りを待った。盗ってきた食料を分け持つためだとウルソンは言った。

「おれ、目立つから。盗みは出来ないけどさ、ちょっとでもルゥを手伝いたいんだ」

 ルゥが己より頭一つ分低い位置にあるウルソンの焦げ茶の髪を撫でると、彼は照れたように幼さの残る顔を綻ばせた。

 経済格差が蔓延するこの時代、親無し子も盗みをする以外に生計を立てられない貧乏人も珍しくはない。ルゥの存在も、うまく水晶を隠せば異形だとばれることもなく、『ありふれたストリートチルドレン』を装うことが出来た。一度、異形だとばれてしまえば終わりだということは二人ともよくわかっていたから、特に気を遣った。ウルソンは決して森以上は出歩かなかったし、ルゥも必要最低限しか市場には出ず、食料を揃えればあとは廃墟に籠もった。彼らが異形だと知る人間は彼ら以外には居なかった。彼らの命は隠すべきものだ。その存在が罪なのだから。


 そうして、ルゥとウルソンが人目を恐れながらひっそりと生活して、一年ほど経った時だっただろうか。その廃墟に人が増えた。

 ルゥやウルソンと同じ異形だった。一人、二人とどこからか集まった彼らもまた、飼われていた立場から逃げ出してきた者達だった。

「あるサーカスから異形が二人逃げたって話は有名だったよ。特に異形を飼ってる金持ちの間ではね。まあ奴らは大概が、管理を怠っていたのだろうとか嗤ってたけどさ」

 そう言ったのは赤い髪が特徴的な、右目から顔全体にかけて蔦が巻き付いたルゥと同年代ほどの少女、レオナだ。

 快活な笑みを浮かべた姉御肌の彼女は、物好きな科学者のモルモットとして飼われていた。異形の研究をする彼はレオナを識別番号で呼び、貴重な検体である彼女を死なない程度にメスを入れ、採取した。

 そんな折、噂を聞いた彼女はそこから自力で逃げ出して、命からがらこの場所にたどり着いたのだという。

「勿論この場所のことまでは知られてなかったさ。あたしがここに辿り着けたのはまあ、まぐれだね。とにかく国の端へ端へ、人間の居ないところへ、と向かってったらここだったのさ。多分あんた達と同じ思考回路だ」

 そう言って笑った。他に集まった異形は数人居たが、彼らも大体は同じことを言った。

 そのうちの一人、アルフレッドは海の向こうの大陸出身の異形だ。東洋に伝わる鬼を彷彿とさせる角が、黒い額に三本生えていた。うち、真ん中の一本は根本から折れている。

「俺の角、本国にいたときに折られたんだ。不老不死の薬にするんだって。そんな薬になるはずがないのにな」

 角を折られた後、彼はバイヤーによってこの国に売られたらしい。買い取ったのは奇妙な宗教集団だった。異形というものは神に捧げる素晴らしい供物であると、そのために生まれてきた者達であると、それが彼らの主張だった。彼らはいろいろなところから異形を集めていた。檻に入れて一カ所に集めた異形達を、定期的に行われるミサで使った。腹を割いて内蔵を引き抜き、上空に掲げて刻み、ぶちまけた血で陣を描いた。よくわからない呪文を唱えて、狂気に満ちた笑いを響かせる黒いローブの男達は、今思い出しても悪魔みたいだよ、そう言ってアルフレッドは苦笑した。

 アルフレッドの長い金の前髪で隠された右の瞼の奥は、空洞が広がっている。儀式に使うのだと言って、男達にえぐられたのだそうだ。

「俺は檻の中でルゥ達の話を聞いたよ。まず驚いた。こんな、異形として生まれた奴らにとっては誰も彼も敵しかいないような世界で、それでも自由を求めて足掻くような奴がいるのかって」

 アルフレッドは異形を檻から取り出すために男の一人がその扉をあけた瞬間に、数人の仲間と共に正面から逃げ出した。絶望しきって反抗の気力も失ったと思っていた異形達の突然の脱走に、男達は焦り、喚いてそれを阻止しようとした。アルフレッド達に呼応して次々に暴れ出す異形を撃ち殺そうと銃を構えた。数十人いた多くが撃ち殺されて絶命し、辛くも脱走に成功したのはアルフレッドを含め数人だけだった。そうして、レオナと同じように廃墟にたどり着いたのだった。

 その場所にたどり着く前に、人に見つかったりして死んだ仲間もいた、とアルフレッドは悲しげに語った。

 集まった彼らは揃ってルゥとウルソンを讃えた。自分達の脱走は二人のおかげだ、と言うのだ。


「知ってるかい、ルゥ、ウルソン。あんた達の脱走はね、あたし達異形にとっては福音だったのさ。自分と同じ囚われたままの異形が、脱走して自由の身になったんだ。その噂を聞いたとき、少なくともあたしは勇気づけられたよ。こんな、生まれたときから迫害されるような世界でも、自由になる方法はあるんだってね。わかるかい? あんた達は革命を起こしたんだよ」

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