Thatcher / 佐々 文乃

#55 The Witch's House

 その洋館は、深く暗い森の奥にあった。幾重にも重なるつづら折りの山道をくねって、魔法使いご一行が辿り着いたのは、モダンな雰囲気が漂う瀟洒しょうしゃな洋館だった。生い茂る木々の中に突然姿を現したその建物は、ヨーロッパのオシャレな街並みの一部を切り取って貼り付けたような、現実離れした感覚を覚えさせる。

 

 私はバスを降りると、私たちが登って来たであろう道を振り返る。ここはどこだろう。かなり高さのある山を登ってきたことは分かる。しかし、鬱蒼とする木々に囲まれたこの場所からでは、ふもとの景色どころか空の様子さえ掴めない。私たちがどこに連れられてきたのか。いまはこの洋館だけが唯一の手掛かりだった。


「着いてきな」


 全員の荷物を下ろし終えた運転手がバスを走らせ、元来た道を戻っていくと、タイミングを見計らったように、魔女が白い塗り壁の門周りからぬらっと姿を現した。

 手招きをする彼女に導かれるまま、私たちはようやく洋館の中に足を踏み入れる。大きな屋根のサンルームを抜けると、真鍮製の把手がついたアンティークデザインの扉が私たちを迎え入れる。魔女がローブを翻しながら把手を乱暴に引くと、正面に構える七色のステンドグラスが私たちの眼を引いた。


「いちど二階の大広間に集まるよ」


 応接間らしき部屋を抜け、艶のある木の手すりに手を滑らせ、階段を昇っていく。ステンドグラスのあった玄関のちょうど真上に、大広間はあった。大きな窓が壁一面に敷き詰められ、外見からは想像もつかないほど奥の深い天井から、シャンデリアがぶら下がっている。橙色の優しい光が部屋全体を包み、ヒーリングミュージックの一曲でも流れてきそうな暖かい空気が、旅の疲れを癒してくれた。


「部屋の割り振りはしてあるよ。それぞれの部屋に荷物を置いてきな」


 順に渡された紙にはこの建物の全体図が記してあった。一階と二階それぞれ点々に配置された客室に、私たちの名前が書いてある。ひとり、ひと部屋。一階は男性陣、二階は女性陣。そのように割り振られていた。私は自分の部屋の位置を確かめると、そのまま目の焦点は隣に移った。左隣の部屋は名前の分からない、女性。右隣は……、千紗だ。ふっと私の心に黒い影が差す。影の先に目をやってみると、その正体は「嫌悪感」という、本来千紗に抱く感情とは正反対に位置する感情だった。


 魔女の説明を聞きながら、四、五メートルほど離れた千紗の様子を横目で確認する。バスを降りるとき、黙って伊谷さんの後ろを着いて行った彼女は、いまもそのまま甲斐甲斐しく彼の側に着いているようだった。


「荷物を置いたら、もういちどココに戻ってきな。いいかい、陽が完全に落ちる前にね」


 魔女はひときわ大きな声でそう言った。


「杖は忘れず持ってくるんだよ」


 念を押すように魔女は私たちひとりひとりに睨みを利かせる。「行きな」の声を合図に、私たちは地図を手にしながら、三々五々に散らばっていく。

 私は自分の部屋がある方向に踵を返した、その時だった。清川が「おい」と低い声で私を呼んだ。


「お前、部屋どこだ?」


 清川が突然顔を覗き込むので、私は反射的に体を反らす。


「勝手に見ないでください」

「いいじゃねえか。減るもんじゃねんだから」

「大体、清川さんに配られた紙にも私の名前があるじゃないですか」

「いや、ないぞ」

「え?」


 私は間の抜けた声を出す。


「俺が配られた紙には一階の人間しか名前がねぇ」

「どういうことですか?」


 私は彼の差し出す地図を見る。

 確かに彼の地図にある客室には一階の人間、つまり、男性陣の名前しか記されていなかった。


「ホント、ですね」

「お前の方には全員分書いてあるのか?」

「はい、このとおりです―――――って待ってください」


 差し出した手を引っ込める。

 ふとある考えがよぎったからだ。


「もしかして、防犯上の問題なんじゃないですか?」

「防犯上?」

「たぶん、女性の部屋の位置が分からないようにしてるんですよ。私の配室図を見る限り、男性は一階、女性は二階に集められているようなんです」

「へえ」


 清川が頬をさする。

 そうか、清川は一階の配室しか分からないから、それすらも知らなかったんだ。ヒントを与えてしまったような気もするけど、まあ、いいか。


「だから、男性に渡す地図は男性の名前しか書いていなくて……、女性に渡された地図は、二階の女性の名前も含まれた配室図になっている」

「男は女の部屋が分からないが、女は男の部屋が分かるっつうのか?」

「そういうこと、でしょうか」

「それ男女不平等じゃね?」

「まあ、仕方がないんじゃないでしょうか」


 とてもデリケートな問題ではあるが、いまここで議論をする気力はない。そもそも立場を対する者どうし話し合ったところで、感情が発散されるだけで、話は一向に進展しないのが常だ。

 私の素気のない返事に、清川も口を閉ざした。私たちは背中を向け、それぞれの部屋に向かっていく。気づけば、私以外の女性はすでに部屋に向かっていて、私は静かな廊下を南側にひとり歩いて行き、自室の前に立った。

 

 本当に、ココなんだよね?

 

 右に左に首を回して、もう一度地図に目を落とした。

 廊下の角や、隣の部屋の数を考えると、自分の部屋は確かにココらしかった。何せ、客室番号が振られていないし、プレートが掛かっているわけでもない。ただの扉があるだけなのだ。

 私は扉に耳をすまし、物音がしないことを確認すると、意を決してドアノブに手をやった。

 開けた視界に、部屋の様子が飛び込んでくる。脚の高いシングルベッドに、引き出しのついたチェスト、壁には当たり障りのないアートワークが掛かっている。浴室に入ってみると、足を伸ばせるほど大きな猫足の浴槽があり、それを物珍しそうに見る自分の姿が丸鏡に映っていた。


 部屋が少し狭いのは気になるが、悪くない。魔女の館、と聞いて粗末な環境を想像していただけに、これはいい意味で裏切られた。都会の喧騒を逃れ、緑豊かな隠れ家で安穏とした生活を楽しむ、そんな富裕層の暮らしを想起させるこの環境に早くも私の心は小躍りしていた。


 

 

 荷物を部屋の隅にまとめると、ベッドの上に置いておいた魔法の杖を手にする。ぼうっと先端を見つめて、思い立ったように一回、二回と振ってみる。しかし、杖に変化はない。魔女曰く『魔力』を与えられなければ、『魔法』を扱うことはできない。


 やっぱり、アレは見間違いだったのかな―――――。


 私は、公園の駐車場で、清川が吹き飛ばされた時のことを思い出していた。

 吹き飛ばしたのは、椿さんだ。それも『魔法』によって。背後につんのめった清川はまるで強風に煽られたように、目に見えない力によって吹き飛ばされた。椿さんは魔女と同じように『WAVE』と唱えていた。杖の先が明るく光っているのも確認できた。


 それは、やはり『魔法』だった。


 でも、椿さんは魔女に『魔力』を与えられていなかった。

 もちろん私は『魔法』も『魔力』も信じていないけれど、それを信じている彼女たちや他の参加者にとっては、とても不可解なことだろう。『魔力』は魔女にしか生成できない、いわば専売特許で、その前提を覆されると旅行の根幹をも崩しかねない。


 彼女はどうやって『魔力』を手に入れ、そしてどうやって『魔法』を習得した?

 

 いや、私の目線で言えば、彼女の『魔法』にはどんなカラクリがあるのか、だ。


 問題に問題が重なる。自分が何を解こうとして、何が解けないのか、混沌とした謎の深淵に静かに飲み込まれていく。それでも、今は沈まぬようもがき続けなければいけない。




 

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