#34 Believe

 首筋に強い衝撃を感じた。しっとりと滑らかな冷たさが一瞬、自分の肌の上を弾いた。何かで殴打されたと気づいた時にすでに僕は膝をついていた。掴んだ三角帽子を力なく手放し、『魔法使い』の前に倒れ込む。


 いったい誰が……? 目の前の『魔法使い』がやった様子はない。もしかしてさっきの中年男性が? 僕の背後にいたのはあの男だけだったはずだ。


 じんじんと痛む首筋を押さえ、つむじをコンクリートの床にこすりながら、背後に体をねじっていく。


「え……?」


 そこにはまた『魔法使い』が立っていた。モスグリーンのローブと三角帽子、手には木製の杖。目の前の『魔法使い』と同じ格好をした人間が、もう一人いた。背丈はやや大きく映る。今しがた僕の首を殴打したのはその手に持つ木製の杖のようだ。

 こんな状況で同じ格好の人間を見てと瞬時に気が付けたのは、それだけが理由ではない。そのさらに後ろに、また一人『魔法使い』が構えているからだ。つまりどういう訳か、この場には『魔法使い』が三人いるのだ。


 何がどうなっているんだ……?


「どうするつもりだ、これ」

「まだ意識はある。むしろ好都合だ」


 三人のうち背後の二人が話し合っている。一人は触れば切れそうな鋭い声、一人はやすりで木をこするようなひどく掠れた声。

 ひとしきり会話を終え、大柄な『魔法使い』が僕の脇腹を足で小突く。激痛に耐える僕の顔が月明かりに照らされる。


「特等席を用意してやれ」


 一人が、物陰から今にも崩れてしまいそうなカビの生えた木製の椅子を引き摺ってくる。僕の体を抱き起こして乱暴にその椅子の上に乗せると、手足を麻縄のようなもので縛った。

 気づけば、一人二人と『魔法使い』たちは姿を消し、残されたのは椅子に縛られた僕とうずくまる中年の男だけだった。男は相変わらず苦しそうに右手を押さえている。

 僕は彼の右の手のひらから肩口にかけて、その様子を目で追う。特に変わった様子は、ない。


 さっきまで結衣が掴んでいたその腕を見つめる。


 結衣は……、無事なのか?


 こんな状況に晒されて尚、僕の意識は結衣から離れていなかった。不思議だ。暴力を振るわれ、手足を縛られ、自分の身を案ずるべき今、僕が気になっているのは結衣の無事だ。これを愛とか恋とか形容するのは、後にしよう。今はなぜあの男だけが残され、彼女が姿を消しているのかという理由の追求が先だ。考えろよ。僕はこの製材屋に入るまで二人の姿をしっかりとこの目で捉えていた。顔まではっきりと見た。この倉庫に入ってなお、二人の声は響いていて、この開けた作業場に来るまでその会話は続いていた。そして僕がこの作業場に着いた時、すでに結衣の姿はなく、男が苦しそうに蹲っているだけだった。

 それから、タイミングを合わせたように『魔法使い』が現れた。状況だけを考えれば『魔法使い』の正体は……、しかし、『魔法使い』は複数人いた。彼らは連携してあの男を貶めようと……? いや、やはりその可能性は考えたくないな。あの男を貶めようとしたなら、結衣は立派な共犯者だ。

 


「オキ、タ?」


 不意に耳元で無機質な声が囁く。僕の体がビクつく。


「アノオトコ ハ アクトウ ドロンビー」


 この『魔法使い』は最初に現れた奴だろう。体格や声の質がよく似ている。


「イマカラ、コラシメル」

「何をするつもりだ?」

「コラ、シメル」


 そう言うと『魔法使い』は手にしていた杖を掲げ、声にならない声で何かを呟く。僕がその顔を覗こうとしたその時、耳障りの悪い嫌な声がした。


「ぅぐぉえ……!」


 振り向くと、男が嗚咽を漏らしながらゆっくりと宙に引っ張られている。

 僕は何度も瞬きをして目を凝らす。男は服の襟の辺りがつんと張っている。咄嗟に天井を確認する。しかし、男を上から吊り上げているような装置はない。暗がりの中とはいえ、窓からは街灯の光も差し込んでいる。この位置からでは吊り上げる糸が見えないにしても、あの体重の人間を吊るには相当の強度が必要なはず。それなのに目に見える太さの紐状の物体を確認できない。いま目の前の男は、見えない力に引っ張られているのだ。

 隣で『魔法使い』が親指と人差し指を合わせ、何かをつまむような所作を見せている。もしかして、こいつが引っ張り上げているとでも言うのか?


「ぐぉえ……、離して、くれ……」


 男が呻く。

 二、三メートル宙に浮いたところでその動きは止まった。


「マジカル、ファイア」


 今度はそう呟いてまた杖を掲げる。

 

 聞いたことのない男の断末魔が響く。苦しみもがきながら声帯を極限まで絞り、体内を巡る痛みを口から全て吐き出すように、男は叫んだ。電流がほとばしるように体を激しく痙攣させ、なおも咆哮を続ける。ひとしきり吠えたあと肌を削るように体中の至る所をかきむしり、ただ同じ言葉を繰り返した。熱い、熱い熱いあついあついアツいアツいアツイ…………!!

 僕には何も見えない。ただ男はまるで業火を身にまとったように、自分の身が焦げ尽きることに恐怖しているようだった。言葉にならなかった。動かない体では何もできない。目を反らすことは彼を見放すような行動に思え、ただ見ることしかできなかった。救いを求める彼の叫びが徐々にただの音声に変わっていく。じわじわと追ってやってくる感情は、自分もいずれああなるのだという怯えだった。


 『魔法』という絶対的なチカラで、身も心も滅せられる、哀れな子羊。


 その意味をいまようやく噛み締める。

 

 

 「…………」



 男は力なく首をもたげて、それきり息をしなくなった。



「ワタシ、ボブミイチャン。アクトウ ヲ コラシメル セイギノ ヒロイン」


 杖を収めて、言葉を続ける。  


「アクトウ ヲ コラシメル マホウツカイ」 

「『魔法』だって……? あれが『魔法』なのか?」


 僕の口から零れた言葉を手で拾いすくうように、隣に立っていた『魔法使い』が答える。その声はもう無機質でなかった。


「そう、これが『魔法』なんです。『魔法』は確かに存在するんです。……信じていただけましたか?」


 生身の人間の、生気ある声。

 その声を聞いて思い出したのは、思い出したくない……、いや、思い出してはいけない、彼女の顔だった。聞いてもいない雑学を僕に教えてくれる彼女の顔。必死に僕に何かを伝えたいとする彼女の顔。ようやく僕から理解を得られてホッとした表情を見せる彼女の顔。すべてが僕の頭の中に満たされていく。

 

 頼むから、無機質な声のまま立ち去ってくれないか。


 フィトンチッドの充満するこの空間で、そんな声を出さないでくれ。

 

 『魔法』は存在する……、それは信じる。


 でもそれ以上に、

 

 椿 、僕は君を信じているから。

 

 どうか夢であってくれ――――――。







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