#19 Door Closer

 社員たちの口はポカンと開いたまま、閉まらない。予めプレゼンの内容を知っていた総務は、私のローブ姿を見て驚いているようだ。

 それはそうだろう。つい五秒前にこの部屋を出た私が、まるで魔法のように、変身して現れたのだから。当然、中には、厳粛な会議の場にコスプレ姿で登場するという奇行に驚いている者もいるだろう。眉間にしわを寄せている、勝山経理部長などがその一人だろう。しかし、一同の目には、はっきりと映っていた。信じられない出来事が起きた、好奇心をそそられた、その感情の揺らぎが。私には見えた。


「『マジカル・ジャーニー』は全く新しい体験型旅行です。皆さんご存知の通り、従来の旅行体型は、旅の三要素であるアゴ・アシ・マクラに、サービスという+αを加え、日常では味わうことのできない空間を演出することが、主流でありました」


 私が指を鳴らすと、スクリーンが降りる。

 私は心の中で、若宮に「ナイスタイミング!」とグッドサインを送る。


「しかし、時代は変わり、お客様のニーズは多様に変化してきました。三要素に加え、デアイ(交流)、アソビ(観光施設)、マナビ(体験学習施設)を求めるお客様が増え、そして、従来のパッケージツアーは束縛が激しいという消極的な理由から、飛行機やホテルが自由に選べる自由旅行を求める声も年々増加傾向にあります。また昨今では、訪日外国人を呼び込むため、インバウンド戦略に乗り出せと言う政府からの通達もございます」


 プロジェクターの電源が点いて、スクリーンに大きく『Magical Journeyマジカル・ジャーニー』の文字が浮かび上がる。


「では、次の流行となる旅行商品はどのようなカタチなのか。それは誰にも分かりません。だから私がその一石を投じてみたいのです。日本の、明るい旅行業界のために、挑戦してみたいことがあるのです。それが今日、ご紹介する企画『マジカル・ジャーニー』でございます」


 深々と頭を下げる私に、誰かがひとり拍手をした。

 皆が音のする方に振り返った。

 

「―――――え、あ、うぅ」


 リコちゃんだ。

 パチパチと二、三回、心もとない音が響いて、その音は止んだ。


 社員は彼女を冷めた目で流し見をし、あるいは嘲笑するかのようにフっと笑んだ。


 ありがとう。リコちゃん。私、頑張るから。

 リコちゃんもはどうぞよろしく。


「では、企画の主旨をご説明します。『マジカル・ジャーニー』はその名の通り、『魔法の旅路』―――つまり、この旅行の参加者は旅の征く先々で、魔法のような体験ができるのです。では、魔法のような体験とは何を指すのか。こちらをご覧ください」


 私はスクリーンを指差すと、アニメの一幕が再生される。ボブカットの女の子がローブを身にまとい、木の杖を手に取って呪文を唱える。するとその杖の先から粉末状のキラキラとしたものが宙を舞って、ペットの愛犬を大きな一軒家に変身させてしまった。映像がそこで一時停止する。


「―――このアニメは、90年代に一世を風靡した『魔法使いボブミイちゃん』第十三話の一幕です。このあと主人公のボブミイちゃんは、家に変身した愛犬トミーにいつものように命令をします。当然、愛犬トミーは主人の言うことを聞くので、ボブミイちゃんが『ひらけ』と言えば勝手にドアは開き、『お腹すいた』と言えば冷蔵庫から食材が出てきて、キッチンで料理が始まります。『今すぐ寝たい』と言えば、その場にベッドがやってきて、ふかふかの枕とあったかい布団で寝ることができるのです」


 私は壇上を下りると、一同に語りかける。


「こんな魔法のような体験をしてみたいと思いませんか―――いえ、いっそ『魔法使い』になってみたいと思いませんか。ボブミイちゃんのように、自由に『魔法』を使ってみたいと思いませんか」


 私と目が合った社員は少し戸惑い、両隣の反応を窺う。他の社員もどうやらそんな感じだ。ひとりだけウンウンと首を振っているのは…、リコちゃんか。ありがとう。


「誰しも考えたことがあると思います。少なくとも、皆さまご自身も幼少期のころはそうだったはずです。『魔法使い』になりたいと考えたことがあると思います。世の人々もあまねく、そうでございましょう。その夢を実現したい、その思いから生まれた企画でございます」


 大きく息を吸い込んで、一つ、二つ、拍を置いて言い放った。


「―――『魔法使い』になることができる旅行、それが本企画の主旨でございます」


 とは言え…、と言葉を添えて、私はゆっくりと上座の席に向かって歩く。

 

「あまりピンと来てない方もいらっしゃるかと思いますので、今日は実際に体験していただきたいと思います―――――社長、よろしいでしょうか」


 私は高浜社長の前に立って、腰丈ほどもある木の杖を彼に差し出した。

 社長の瞳がギョロリと見上げ、私を捉える。私は微かに唇を引いて、ゆっくりと生唾を飲み込んだ。蛇ににらまれた蛙、と題した写真を撮るなら、今だ。


「私は、『魔法使い』になりたいと思ったことはない」


 社長は、私と周りの幹部数人にしか聞こえないくらいの、小さな声で言った。


「君の夢が、今日を以て醒めないことを祈ろう」


 社長は皮肉たっぷりにそう言うと、私の手から杖を奪う。隣で勝山が意地悪く笑った。


「ありがとうございます」


 私はあくまで他意はないと、平静を装い、笑みを浮かべて会釈する。

 本当は、はらわた煮えくり返りそうだけど、ここは堪えないと。裏でスタンバってる若宮のためにも、ここは堪えろ、私。


「では社長、その杖をのように振っていただけますか―――そうですね、会議室のドアが開きっぱなしですから、閉めていただけますでしょうか」


 開けて出てきたのは私だが、ここで社長に華麗に閉めてもらおう。


「社長、よろしくお願いします」

「コレを…振ればいいのか?」

「前と後ろ、どちらでもお好きなドアに向かって杖を振ってください。ボブミイちゃんのように呪文を唱えていただければ、なお良いのですが」

「フンッ、要は振ればいいのだろう」


 社長は前のドアに向かって、ぶっきらぼうに杖の先を倒した。


 ドアは勢いよく風を切り、その体躯に見合わない質量と速度をもって、大きな音を立て、元の鞘に収まった。というのは当然形の上で、その音は大きな車両同士が衝突したような衝撃があった。


 誰かが「おお…」と声を漏らした。


 それが誰の声であったかは分からない。しかし最早、この空間では誰の声であっても可笑しくはない。みな一様に、そんな反応をしていた。


 私は、胸中でガッツポーズをする。


 まったく…、片山さんのおかげだ。



―――ドアクローザーって知ってるかな…?


―――ドアクローザー、ですか?聞いたことないです。


―――ボクもまあ、総務の仕事をしてるから、たまたま知ってるだけなんだけど…、この間、ドアの修理業者が来てね。一階の事務室のドアが調子悪くなっちゃったから、来てもらったんだけど、その時に色々と聞いたんだ。


 片山さんは背伸びして、ドアの上を差した。

 角ばった直方体の鉄塊と、そこからドアに向かって伸びる「く」の字に折れ曲がった棒状の物体を、指差していた。


―――これは『ドアクローザー』と言ってね、重い扉が急に閉まらないように、油圧によって速度を調節する機械なんだ。白居さんも気づいてると思うけど、こんな鉄でできたドアが勢いよく閉まったら危ないからね…、開けるときは手動で、閉まるときは自動で閉まるようになってるんだ。


―――こんなの付いてたんですね…知らなかったです。でも、これどうするんですか?まさか壊しちゃうとか?


―――いやいや、そんなことしたらボクが怒られちゃうじゃないか。業者さんにはこないだ来てもらったばかりだし、そう何度も業者さんを呼ぶほど管理をしてたら、さすがに会社に居場所がなくなっちゃうよ。


―――それは、困ります。片山さんにご苦労掛けるワケにはいきません。


―――そう、だから方法があるんだ。


 片山さんはプラスドライバーを持ってくると、担いできた梯子の上に跨って、『ドアクローザー』をいじり始めた。


―――これを、こうして、と…。


―――それ、何をしてるんですか?


―――実は『ドアクローザー』の速度は、調整することができるんだ。この締めているネジを緩ませることでっ……と。こんな感じかな。


 片山さんは梯子をゆっくりと降りると、額の汗を拭った。


―――もう一度、閉めてみて。


 私はドアノブを握って、確かに手ごたえの変わったドアを引いて、そっと背中を押すように、そのドアノブを指先で押した。





 バダンッッッッ!!!!


 ドアは大きな音を立て、ひとりでに閉まった。それは決して無機物の動きではない。何者かが作為的に閉めたような、動き。誰の手も触れていないのに、閉まるドア。この状況で、それを説明できるとすれば、それは『魔法使い』の仕業としか言いようがなかった。すなわち、の仕業としか言いようがなかった。


「これは……」


 社長は、隣の勝山に目で訴える。これは、どういうことかと。勝山は眉をひそめて、面白くない顔をしていた。

 この会社に通う者たちにとって、この会社のドアは、音もなく自動で閉まってくれるドアである。それを知っているからこそ、驚きを隠せない。己が手に取るドアはこんな風に閉まったりしない、という常識を。目の前のドアはその常識の範疇を、超えていくのである。現実と幻想に揺れるシナプスの細い線が、『魔法』という言葉に集約していく。



「社長、ありがとうございます。折角ですので、後ろの扉も閉めていただけますでしょうか」


 私は部屋の後ろのドアを指す。

 社長は少し躊躇うと、部屋の後方を確認する。社員たちの期待の眼差しが、じっと彼に向けられていた。それは、まるで玩具おもちゃを前にお預けをくらっている、小さな男児や女児のようだった。


「社長、どうされました?」

「いや、なんでもない」


 社長は先ほどと同じように、杖を振った。


 ドアはまたも、大きな音を立てて閉まった。

 重い重い鉄製の、重かった鉄製のりょうのドアが、いま確かに閉まった。会議室内に再び、静けさが戻った。


 

 

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