*


 後日談として――。

「ええぇっ!? ユウリさんが……おと、おと――男!?」

 その日三佳は、早坂から事実を聞かされるなり素っ頓狂な声で叫んだ。アパートの〝掃除〟が完了し、一日の休養をもらって出社した矢先のことである。

 早坂は、まるで天気の話をするかのように「そういえば。野々原さん、気づいていました?」とユウリが男性であったことを言ったのだけれど、当然、最初から最後まで女性だと思って接していた三佳にとっては、天地がひっくり返るほどの衝撃だった。

「だだ、だって、持っててほしいって言われた写真のユウリさんは女性ですよ!? ほら、見てください。彼女のどこが男性だっていうんですか。それに、シャワー中にうっかり足を滑らせて亡くなってしまったときも、裸を見られるのが恥ずかしかったって言ってたんです。……あ、いや、個人差もあるので、こればっかりは一概には言えませんけど。でも、そういうのってやっぱり女性のほうが恥ずかしいものじゃありません!?」

 丁寧にハンカチにくるんで持ってきた例の写真を大慌てで通勤バッグから取り出すと、三佳はまだ到底信じられないといった思いで、早坂の鼻先にそれを突き付ける。

 確かに『出やがったわね』や、早坂の裸を見たときのリアクション、消える間際の『新しい自分に目覚めちゃいそう』なんていう言葉に引っかかるものがなかったと言えば嘘になる。でも、写真のユウリは胸もあるし、体の線も細い。どこからどう見ても三佳の目には女性にしか映らないのだ。いきなり男だったと言われても、どうにも信じられない。

「これだから野々原さんは……。節穴もいいところですよ」

 けれど早坂は、息巻く三佳をよそに心底残念そうな目をした。鼻先に突き付けられた写真を迷惑そうにピッと指で弾くと、「ああっ!」と非難の声を上げる三佳に構わず、

「あのですね。彼女――いや、ここはあえて〝彼〟と言いましょう。彼は、髪を伸ばしたりネイルをしたりしていたから、死体を見られるのが余計に恥ずかしかったんですよ。部屋の中のものもそうです。体は男性なのに、部屋にあるのは女性の服やメイク道具だなんて、他人から見たらこんなに不思議なことはありませんからね。不動産会社や警察が状況確認に部屋に入ったときも、そのとおりです。きっと拷問以外の何物でもなかったでしょう。そのためにご両親から勘当されていたとは考えられませんか?」

 そう、駄々っ子に言い聞かせるように問うた。

 そして、続けてこうも問う。

「あ、そうそう。もしかしたら、彼は写真を焼いて供養することにすごく抵抗を示していたんじゃないですか? もしそうなら、ご実家にあるのは彼の〝男性〟としての写真ばかりかもしれませんね。これはあくまで仮説でしかありませんが、そう推察すると、だから彼はその写真をどうしても残しておきたかったと結論付けることができると思うんです。それから、なぜ写真があんなところから出てきたのかも――」

「……もしかして、自分に万が一のことがあった場合を考えて、誰にも見つからないだろうところに隠しておくため……? ご両親に捨てられちゃうから……?」

「そうですね。たぶん、そんなところでしょう。いつからかはわかりませんが、彼は自分の性にずっと違和感を覚えていたんでしょう。勘当されたくらいですから、ご両親はそのことをご存じのはずです。でも、お二人にとってはどうしても受け入れ難いことだったんでしょうね。まあ、隣に写る男性に思いを寄せていたことも事実でしょうけど、だったらわざわざ点検口なんかに隠さず、堂々と写真立てに入れて飾っておけばよかったんです。でも、それをしなかった――いえ、できない事情が彼にはあったんでしょう」

「そんな……」

 三佳はそれきり、しばし言葉に詰まった。ただただ、やるせない思いが胸に渦巻く。

 もし早坂の推察どおりなら、みんながみんな、つらい。息子の性を受け入れられなかった両親も、受け入れてもらえなかったユウリも、どこにも気持ちの行き場がない。

 ……だってもう、ユウリはどこにもいないのだから。

 でも三佳も、どうして点検口なんだろうと不思議ではあった。ユウリの話では『置いておいた』ということだったけれど、まるで隠すようだとも。

 確かに早坂の言うとおりで、好きなら堂々と飾ってもよかったのだ。

 夜の商売ということで、多かれ少なかれ引け目はあったかもしれない。彼は大きな会社の社長ということだったから、念には念を入れて厳重に管理していたかもしれない。けれど、誰に見せるわけでもないのにアルバムに残しておくわけでもなかったのだ、考えられることといったら、両親に捨てられないため――だったのかもしれない。

 とはいえ、三佳にはもう、ユウリが何を思っていたかを知ることはできないけれど。

「――でもまあ、物件も掃除できましたし、彼の忘れ形見も無事、見つけることができました。それに野々原さんがたくさん集めてくれたおかげで僕のほうの仕事も片づけることができたんです。こう言っては怖がらせるだけかもしれませんが、それはもう、わんさかといった具合だったんですよ。それを一網打尽にできたんですから、やっぱり野々原さんは逸材なんです。僕も野々原さんも、それから未練を解消できた彼も、ついて・・・ますね」

 すると早坂は、そう意味深に言ってオッドアイを細めた。どこかで聞いたようなその台詞は、忘れるわけもない、面接にやって来た三佳を一目見るなり言ったものである。

「あ、やっぱそういう……いえ、今はまだ、、、、〝ラッキー〟の意味に捉えておきます」

 なんだか上手く丸め込まれたような気がしないでもないが、そして薄々気づいていないわけでもなかったが、三佳は、そこだけは断固、そう主張させてもらうことにする。

 確かに三者三様に憑いて・・・もいて、ツイて・・・もいるだろう。でも三佳はまだ、ここがごくごく〝普通の〟ハウスクリーニング会社であってほしいとも切実に願っているのだ。一晩であれだけの体験をし、写真も預かったわけだが……それでも、と願うところは、まだまだ大いに持ち合わせている。それは俗に言う、現実逃避というやつだけれど。

 第一、〝今はまだ〟と言った時点ですべて認めてしまっている。

「おやおや。それはまた面白いことを言いますね」

「うっ。いいじゃないですか、職場に希望を持ったって!」

「そんなことより、今から僕が言うところにお遣いに行ってきてもらえますか? 頑張って働くと、どうにも体が糖分を欲してならないんですよ、これが」

 揚げ足を取る早坂は、三佳の遠吠えなど、どこ吹く風だ。

 メモ紙にサラサラとペンを走らせると、先ほどピッと指で弾かれた写真を拾い上げたまま、日本語って難しい……! と頭を抱える三佳に「はい」と妖艶に微笑んで差し出す。

「……わかりましたよ。行ってきますよ」

「はい。二十個、お願いしますね」

「そんなに!? どんだけなんですか、もう……」

 てか、一番頑張って働いたのは私だと思うんですが!

 仕方なしに渋々受け取りながら、三佳は声高に思う。

 それより何より、普段は頑張っていないような言い方はやめてほしい。語弊があるというか、誤解が生まれてしまうんじゃないだろうか。それに、なんだかどっと疲れる。

「何を言ってるんですか、野々原さんのぶんも含まれているに決まってます」

「あ、すみません」

 心外だとばかりに鼻を鳴らす早坂に、三佳は苦笑をもらす。そりゃそうか、個数も個数だけれど、一人だけ悠々と食べるだなんて、いくら早坂とて良心も痛むだろう。

「じゃあ、ちょっと行ってきますね」

「気をつけて」

「はい」

 そうして三佳は、メモ紙にある老舗和菓子店『あずま屋』へと足を向かわせた。出がけに「歩いて十分とかかりませんよ」と言われたとおり、ほどなくして店へ着く。

 早坂が言うには、ここの塩大福が絶品なのだそうだ。十個なんてペロリですよと、うっとりとした表情で言っていたので、本当にそうなのだろう。三佳も楽しみに思いながら五人ほど順番待ちをしている客の列へ並び、自分の順番を待った。


 事務所へ戻ると、さっそくお茶を淹れて一休みだ。初めはパクパクと実に美味しそうに塩大福を口に放り込んでいく早坂に唖然とした三佳だったが、一口食べてなるほど、これは何個でも入る。そういえば、もっとたくさん買っていく人もいた。サイズも小ぶりでちょうどいいし、大ファンの早坂ならずとも、三佳でも軽く五個は平らげられそうだ。

 というか、もうガッツリとファンになってしまった。初任給で贈ると決めている花と一緒に送って、実家の家族にもこの美味しさを存分に味わってもらいたい。

「ところで例の写真ですが、やっぱり僕は焼いて供養したほうがいいと思うんですよ」

 すると、その五個をものの数分で平らげた早坂が、満足そうにお茶をすするなり唐突に言った。確か全国発送もしてるって書いてあったよね、と店内の様子を思い出していた三佳が、その声に弾かれるようにして「へっ?」と顔を上げれば、

「どう考えても〝新しい自分に目覚める〟って、そういうことだと思うんですよ。彼の恋愛対象は、もともと男性です。でも女性も――というより野々原さんが・・・・・・恋愛対象になり得ちゃったんですよ。あの言葉が本心でも冗談でも、僕にとってはまったくもって由々しき事態です。野々原さんがここに来たときから、野々原さんは僕のものだっていうのに!」

 ――ダンッ。

 なんだかとんでもなく斜め方向の愛を謳いながら、早坂がテーブルを叩いた。

「……は、え、ちょっと待ってください。いくらなんでも話が飛躍しすぎですよ。第一、私は誰のものでもありません。強いて言うなら、まだ実家の家族のもの……? いや、なんか違うか。――と、とにかくですね、所長のものでもないですから」

 当然三佳は、何を言っているんだこいつ、と心底思う。

 変な言い方で従業員への愛を叫ばないでほしい。こちとら、つい数週間前に社会に出たばかりの身。やっと裏の顔である〝いわくつき物件〟での身の毛もよだつお掃除デヒューも終わったのだ。ユウリの恋愛対象になっただの、三佳は最初から早坂のものだの、次から次へとホイホイ言われても、キャパオーバーにも程があるというものである。

「なんでですか。僕がオオカミだからですか?」

「いや、そういうことでもなくて……」

「じゃあ、どういうことなんですか」

「どうもこうもありませんっ。これ以上何か言うなら〝お座り〟って言いますよ!?」

「へえ、いい度胸じゃないですか。もう許しませんよ。こんな写真なんて、こうです!」

「ぎゃーっ、なんでそこで食べるんですかっ!」

 あわやしつけをされそうになった早坂の精いっぱいの抵抗か、はたまた復讐か――三佳の目の前で突如オオカミの姿になり、テーブルに置いておいたユウリの写真をかっさった早坂は、なんと目にも止まらぬ速さでそれを丸飲みにする。それを見た三佳が悲鳴を上げるのも当然だ。ユウリには悪いが、そんなものを食べたらお腹を壊してしまう。

「今すぐ出してください。ほら、ペっ! ってやってくださいっ」

「嫌に決まってるじゃないですか。野々原さんが持っているなんて言語道断です」

 しかし早坂は、必死で吐き出せようとすればするほど、これである。

「――あ、そうそう。言い忘れていたんですが、ウチにも試用期間ってものがあるんですよ。〝これ以上何か言うなら、また一から就活をしてもらってもいいんですよ?〟」

「んなっ!」

 しまいにはそんなことまで言い出す始末で、ここにいなければまた元どおりプチ不幸に見舞われてしまうだろうこと必至の三佳の口を問答無用で噤ませる強硬手段にも出た。

「……すみません、どうぞここに置いてください」

「ふふ、わかってくれればいいんです」

「……」

 それに関して、三佳はもう大人しく白旗を上げるほかなかった。悔しいけれど、自分の力では憑いてくるものを拒めないし、祓えもしない。こんなにも子供じみたことまで平気でしてしまう早坂がいなければ、もうどうにも生活そのものが成り立たないのだ。

「お見事! それでこそ野々原さんです!」

 つい二日前にも聞いた同じ台詞に、三佳はその場にガックリと膝からくずおれるしかなかった。だって、写真か自分の生活かを天秤にかけるまでもない。

 ユウリには本当に申し訳ない限りだけれど、三佳だって生きていかなければならないのだ。こんなのでも、三佳の明日の飯の権利は早坂が握っている。完敗宣言をするほか、三佳に道はなかったのである。

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