第8章 二人の少年‐2
海を越えるとなると、悠に一週間以上を有する。船で航海をする僅かな時間だけは、獣も、民との柵も忘れる事が出来た。
『あいつ、今日もどこにも居ない。船に乗るとどっかに行っちまいやがる』
船に乗り込むと、ハルは終日姿を消した。夕飯の時間だけ、フラリとレストランに現れるのだ。何とかその時間に捕まえて問いただしてみても、どこで何をして過ごしているのか教えてくれない。置いてきぼりをくらった元は、膨大な時間を持て余していた。結局は身体を鍛える事に没頭する事で、寂しさや湧き出る葛藤を紛らす日々を過ごす。
シャワーで汗を流した元が、夜のレストラン内で悲痛な声を上げた。
「何だ~、ハルいないじゃん」
たく~そうブツブツと文句を言いながら、諦めてバイキング形式の食事を皿に盛る。
この航海に民は乗り合わせない。引き返す海竜は、海の中を行き来するからだ。ハーデスラ海(二つ目の海)を越えるエンダの数は、アナンシヴ海(一つ目の海)を越える時の半数だが、それでも二〇組前後のエンダ達が乗り込んでいる。一ヶ月に一回の渡航である事を考えれば、結構な数のエンダが海を越えている計算になった。
食事は一週間強の航海にも係らず、一か月以上の食料が積まれている。エンダ達は積み込まれた食料に手を付けて行く仕組みだ。
「ここ、いいか?」
元がトレイ一杯に食料を乗せ、男ばかりのグループに声を掛けた。
「おう、開いてるぞ、座んな」
「サンキュー、何? 皆同じパーティ?」
「全員が全員じゃねぇな。俺とこいつはパーティだけど」
元の隣に座る男が、野太い声で対面に座る優雅な佇まいの男を指差した。コンパクトな身体が、筋肉ではちきれそうだ。真っ黒に陽に焼けた肌に、白い髭が浮き出ている。豪快にネビールを飲み干すと、野太い声で笑った。別の野武士風の男が口を挟む。
「俺は単独だ。俺らのパーティは、狩り以外は別行動だからな。こうやって他のグル―プに入れてもらってんだ」
隣に座る男が、大きく頷きながらかぶりを振った。
「そうそう、船の上でもあいつらと一緒なんてやだね~。四六時中一緒で、もう見あきたっていうか。話す事もねぇしさ、刺激がないったらあらしねぇよな」
「分かる! 家族じゃねぇのに、ギャーギャーうるせーし。口出ししてくるなっての」
エンダ達の言葉にドキリとしながら、元は肉を頬張る。
「あんたもそうだろ?」
突然指差された元は、居心地を悪くしながら小さく言葉を呟く。
「いや~俺は反対で、仲間に置いて行かれた口でさ。一人になっちまったから……」
しどろもどろに答える元の姿を一瞥すると、席に座る誰もが一瞬言葉をつぐむ。こんなガタイの大きな身体で、置いていかれたと小さくなっているのだ。静けさの後、居合わせた全員の笑い声が響いた。
「ぎゃはははは。何? 依存? 依存型? たく、でかい図体して情けねぇな。おら、喰いな! 周りは広い海なんだ。相手は居なくなんねぇよ」
黒い身体に白い髭を蓄えた男が、バンと元の背中を叩く。あまりの衝撃に、元は食べ物を喉に詰まらせた。悶える元に向かって、男は水を差し出してくる。
「おっといけねぇ!! おら、水!」
二人の遣り取りを見て、更に場は盛り上がった。
基本エンダ達は、自分達の事を話さず、名前を交わさない事も多い。出会った一時を楽しく過ごせればいい……そんな考えが蔓延している。その為、エンダが集まると、「Another woldに来て何年目だ」や「どんな獣を倒した」が、話題の中心となった。
「あ? たった三年で、もうハーデスラ海(二つ目の海)を越えんのかよ? 早すぎだ。俺だって始まりの地から出発して、今で八年だぞ」
「焦って前に進むと、早死にしますよ。そもそも急いでどうするんですか? 僕達、この世界では歳も取らないのに」
騎士っぽいタイプの戦士が、スッとした佇まいで異論を唱える。
「ザルモマナフ海(五つ目の海)を越える事が、旅の目的じゃねぇ。獣を倒し、この世界の民を救う事が目的だろ?」
野武士の親父が、真剣な表情を浮かべ、元を見据えた。
「そうやって死んでいった奴、沢山見てきたなぁ」
見た目は無骨な親父だが、魔法を使うようで横に杖を携え、ボソリと不吉な事を言う。
「ていうか、船場に一直線に進んだんじゃない? 世界、ちゃんと見てますか?」
見た目は十代半ばの少年が、声変わり前の高い声で問うた。職業は不明だ。
様々なタイプのエンダ達が、思い思いに口にする。実際海を越えるのは、早すぎると感じていた元は、小さく唸り声を上げた。
「仲間に言ってくんねぇかなぁ。それにギヴソンの足は速いから、移動時間が短縮されているのもあるし。だから、ちゃんと世界は見てるって言うか……。そりゃぁ、観光とかあんましねぇけど」
言い訳とも取れる言葉を並べながら、元はハルを思い返していた。ハルは狩りにしか興味を示さない。他のエンダ達が、狩りの間の一時を観光に勤しんだり、休息を取ったりする中で、ひたすら狩りの為に生きている。ハルは観光地と呼ばれる場所を悉くスルーし、代わりに獣が居る場所には、どんな所だろうが足を向けた。
場に居合わせたエンダ達が一様に、憐れむ表情を向ける。この世界で狩りだけの為に生きている、それがどれ程刹那的な事か、皆よく分かっていたからだ。
今回、ハルの勢いに押され海を越えたが、勿論元本人ですら、今回海を渡る事には異論を唱えた。
【いや……早いってレベルじゃねぇ。これって無謀すぎねぇ?】
何度ハルに掛けあっても、耳を貸そうとしない。返ってくる言葉はいつも同じだ。
【レベルは十分だ。下手に時間を置けば、成長する時間を悪戯に伸ばすだけとなる。変な癖がつく前に、新たな狩りに身を置いた方がいい】
海を渡る毎に、獣は格段と強く手強くなる。渡る時期を見間違うと、海を越えた途端、獣に傷一つ負わせる事が出来なくなった……そんな噂もよく聞く。
『自分の一太刀が全く通用しなかったら……』
元はブルリと身体を震わせた。海を越えた以上、もとの土地には戻れない。だからこそ、エンダ達は万全を期して、海を超えるのだ。
雑踏の中、レストランの扉が小さく開かれた。扉が開く度に、元は首を大きく振る。
「あっハルじゃん! あ、悪ぃ、仲間が居たからさ、じゃぁな!」
そう言うと、元はトレイに皿とグラスを乗せて、そそくさと席を立った。駆け寄る元の姿とは対照的に、ハルの表情は無表情なままだ。誰の目から見ても、男の方が依存しているのは明らかで、誰かがボソリと呟く。
「……あれは、あれで幸せそうですね」
他のエンダ達の言葉を、ハルにも伝えてみるが、誰の事で、何の事だ? と言わんばかりに、
「自分のレベルにあった獣を倒す。それがこの世界の民を救う一番の方法だ」
デジャブかと思いたくなる程、同じ答えが返ってくる。ハルが食べ物を口いっぱいに頬張る姿は、リスの様で可愛い。姿だけは……そう元は心の中で毒づく。
「自分達のレベルにあっているならね」
何を言っても、聞く耳をもたないハルに、通じない嫌みを言ってみたりする。元自身、いい加減しつこく言っている事は重々承知しているが、少しでも余裕のある狩りに臨みたいが故の苦言だ。
そんな元の言葉に関心がない態度を露わにしながら、食事を終えたハルは、食器類を厨房の洗い場で洗った。元が口を尖らせて見守る中、戻ってくるなり、本を積み上げページを捲り始める。しかしふと思い出した様に、言葉を繋ぐ。
「死んでいない。それが答えだ」
既に本に目を移しているハルに、元はグッと言葉を飲み込むと、「そうだけどさぁ」そう深い溜息を吐いた。
『確かに、勝ててしまうんだよなぁ。死んでもおかしくないのに、どうしてか勝てちまう』
ハルは、この微妙なラインを選別してくるのだ。いつも「今回こそは、負ける!」そう思うのに、気がつけば次の依頼を目指し、旅を続けている……そんな日々の繰り返しだった。
「でも! でもさ! 負けたら終りなんだよ? 死ぬんだよ??」
「死んでいない」
そうやって、どんどん短くなる返答に、「そうなんだけど~!!」そう頭を抱える。掛けている椅子をギーギーと揺らしながら口を尖らす元に、ハルは刺す様な視線を向けた。
『あ、相当、俺の相手が面倒になってきてるな』
見据えるハルの視線に、元は確信を覚える。恐らく早く会話を終わらせて、本に没頭したいのだろう。
「ならば聞こう。どんな獣だったらいいんだ?」
突然の問いに、元は考えあぐねた。もう少し安全な狩りがしたい、そう思っているだけで、具体的に考えた事などない。
「え……えっと、えっとぉ……死なない程度の獣?」
そう困惑しながら漠然とした回答を口にする。そこにハルが、畳み込めるように問うた。
「死なない程度とは、どんな程度だ」
「え? う~んと……Bランク?? 位?」
「Bランクであれば、文句は無いのか?」
「え? いや、ちょっと待って……。Bランクでも、危険な時があるな。えっと、え~?」
あたふたと言葉に詰まる元に向かって、ハルは小さく「……ふ、ん」と、冷めたように失笑を浮かべて、そのまま新しい本に腕を伸ばす。元が声を発する間もなく、ハルはそのまま目の焦点を文字に当てた。こうなると、一切外部の音を遮断して、何を言っても返答は無い。無いと分かっているのだが、元は嘆きの声を荒立たせた。
「ちょ、ちょっと! 何、今の笑い方。俺だって一人だったら、こんな保守的な事言わねぇーもん! 皆が居るって思うから、こうやって、心配で……って聞いてんの!?」
そうして元の言葉だけが、空振りのまま船内に響き渡るのだ。
「お、何だか揉めてんぞ」
元の悲痛な呻きに、先程まで一緒にいたエンダ達がニヤリと笑った。
手持無沙汰の元が、ボリボリとスナック菓子を口にしていた時、
「元、この地にヒーシャの聖地で「正邪の森」と呼ばれる場所がある。近くを通ったら寄ってみたい」
そう思い出したように、ハルが本から目を上げた。
「正邪の……むぉり?」
スナックがいくつ口に入るのか、挑戦していた元はもごもごと問う。
「あぁ、ヒーシャがこの地を訪れたら、必ず立ち寄る巡礼地だ。入口が複雑で、ヒーシャ以外は、すんなり入れてくれない。ま、決められた道順を行けば辿り着けるという面白い場所だ」
言うだけ言ってすっきりしたのか、元が答える間もなく、再度本に目を落とす。
「巡礼地ねぇ。ふーん、戦士にもないかな~そんな場所。秘密基地みたいで面白そうじゃん?」
そう問うた声にハルの応えはない。おいてかれた疎外感に、頬を赤く膨らませ、スナック菓子をボリボリと頬張る元であった。
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